異世界は向こうからやって来る

サンサンカイオー

プロローグ

 2020年夏。真夜中の東京上空に一筋の光が駆け抜けた。いや。「駆け抜けた」という表現にはやや語弊がある。それは一瞬で姿を消すでもなく、数秒に渡って夜空に美しい線を描いた。


 間も無く、その正体が隕石であったと判明する。それなりの質量を持った物体が大気圏で燃え尽きずに地上に到達したらしい。この現象は大変珍しく、一部の科学者や天文マニアが注目し、ネットやテレビで取り上げられるニュースになった。


 しかし、人々の心に深く刻まれるほど関心は持たれなかった。なぜなら、このとき世界中で未知のウイルスによるパンデミックが起きていたからだ。もちろん日本も例外ではなく被害を被っていた。人々は毎日、ウイルスとの戦い方を考え、悩み、生活を守ること、生きることに疲れていたのだ。


 ウイルスの蔓延は人災であるという見方も強かった。原因とされる国の責任を問う世論。状況の取り繕いによる功績に固執した政治家たち。命という価値がいかほどのものか、パンデミックはただ病が流行するだけでなく人間の本質を否応なく暴いていく。


 世界は、人間の期待に簡単には応えない。現実は、人間の思い通りに簡単には動かない。そんなことをひたすらに痛感させられ、無力な日々は過ぎていった。未知に対して何を論じても空虚で、あのとき地上に辿り着いた隕石とは異なり、誰かの心へと届く前に燃え尽き、消えてしまう。


 ただそれは、多面的な見方とは言えないのではないだろうか。


 もしも、隕石の落下が。

 もしも、ウイルスの蔓延が。

 何者かの計画によって、期待通りに、思い通りに、「起こされた出来事」だったとしたら。


 この世界に存在する全ての事象は、多面的に見るべきである。それが出来ない者は、たったひとつの面だけで創り上げられたに過ぎない唸りに、ただ無抵抗のまま飲み込まれていくだけだ。


 表があるということは裏があるということだ。形あるもの、ないものに限らず、それは必然である。だとしたら、「もしも」という言葉や、平行世界(パラレルワールド)といった「概念」だけで話を済ませて良いものだろうか。


 こうしてひとつの疑問に収束していく。今、目に見えている世界は、「表」なのか、「裏」なのか。それとも――

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