14

「っつっ……みるっ……」

「男の子なんだから我慢しなさい」

「頼むからもう少し優しく……いてっ」

「まったく……階段から落ちるだなんてドジな子ね」

「五月蝿い!」

「うりゃ」

「いっっっっでぇぇぇぇぇーーっ!」

ここは結ヶ崎プールの医務室(施設の中だけど)。全身に擦過傷を負った彼を、白衣の女医さんが消毒液を染みこませた脱脂綿で治療に当たっている。悲鳴は生意気な口を聞いた彼が報復として脱脂綿をぐりぐり押しつけられた結果、というわけ。ちなみに今彼はハーフパンツ一丁という格好。

「他に痛いところはない?」

「もういいです! これ以上脱がされたくないですほら女の子もいるし! これ以上ぐりぐりされたら悶え死ぬ!」

「じゃ絆創膏貼るから大人しくして」

というと彼は大人しくなった。女医さんも血塗れの脱脂綿をゴミ箱に放って棚から絆創膏の箱を取り出した。

「ねえ、葉月さん」

「何ですか? 和泉先生」

「デートだったの?」

「違いますっ!」



「白河君! 大丈夫!?」

気が付くと私はうずくまる彼を抱き起こしていた。見ると全身傷だらけ。もしかしたら私の時よりも酷いかもしれない。

「百合………? 百合なのか?」

「何馬鹿なこと言ってるの! 私じゃなきゃ誰がいるの!」

「だってよ………」

虚ろな目で、彼が指さした方を見ると。

「………嘘?」

ついさっきまで私がいたゲートの入り口が、そこにはあった。つまり、私はこの階段を駆け下りたって事………

「嘘!?」

「はは………出来たな。階段恐怖症。やっぱりちょっとしたきっかけで治るんだな」

「白河君、言葉おかしい」

ん? 『やっぱりちょっとしたきっかけで?』

「白河君、まさか」

「葉月さん、白河君、大丈夫?」

「先生………?」

「早く医務室に行きましょう!」



「私が……ほんとに………?」

「しっかり見てたわよ、葉月さんが『白河くーん』て叫びながら駆け下りてくの」

「嘘―………」

本日二度目の、ゲートへ向かう道を歩きながら私は顔を伏せた。口元に手を当てて。

「百合、感謝しろよ? 僕のお陰で克服できたんだから」

「ってことは……やっぱりわざと落ちた?」

「それが何か?」

「『それが何か?』じゃないよ! 何でそんなボロボロになってまで私の恐怖症を治そうとするの?」

「まさかこんなに痛い目に遭うとは思ってなくて。大して距離のない階段だから軽傷で済むかと思ってたんだけど……いやぁ、百合が階段恐怖症になったのも頷ける」

「これだから男の子は……」

私ははぁ、と嘆息をついた。

「いいじゃん。『終わりよければすべてよし』って言うだろ? ………どうした? 百合」

「………ダメ……」

「え?」

「ダメ! やっぱり、怖くて下りられない! あの時は何が何だか分かんなくなってから下りられたんだと思う……」

「白河君、もう一度」

「嫌です!」

先生、もし彼がもう一度落ちたとしても、私が下まで行ける自信はありませんから。

「仕方ないな、ほら、おんぶしてやっから」

「え? いやそんな」

「じゃ置いてくけど」

「いやそんな殺生な~」

複雑な気持ちを抱えつつ、私は彼の背中に乗った。

「落ちたら承知しないから」

「信用してない?」

「白河君にどれほどの体力があるかなんて知らないから」

「任せとけって……お、思ったより軽いのな」

お、今なんて?

「怖ければ目瞑ってろよ」

「うん」

何年ぶりかな、おんぶしてもらうのって。

「さっきの答えだけどさ」

「うん?」

「『何でそんなボロボロになってまで治そうとするの?』って訊いたじゃん?」

「えっと……うん」

「僕さ……いろいろやってるうちに百合のこと、好きになっちゃったみたいなんだ。それが、理由」

一瞬、時間が止まったかと思った。周りに人がいないのが、何よりも嬉しかった。愛の告白をしてるところなんて、人に見られたくないもん。そして私は、そっと囁いた。

「うん。私も……佑一のこと――――」


階段を下りきって、私たちは先生と別れて帰路に就いた。

「帰ろっか」

差し出された彼の手を……握る振りをしてはたき落とした。

「いて」

「まだ早――きゃっ?」

足下に何かもさもさした感触がまとわりついてきたので思わず悲鳴を上げてしまった。見ると……雑種犬が私の足にじゃれついていた。首輪とリードがついてるけど……

「すみませーん! こら、シリウス!」

飼い主らしき女性がこちらへと駆け寄ってきた。しかしシリウス(大犬座の首星の名前)は離れる様子など一切見せない。

ふと傍らの彼を見ると……青ざめていた。へ? つまり……?

「すみませんちょっとワンちゃん借りていいですか?」

「はい、構いませんが……?」

シリウスを足から引っぺがし、掲げ持つように彼に示す。

「く、来るなっ……」

「ねぇ、もしかして………」

「頼むから近づけないでくれ!」

「佑一って犬嫌い?」

「だから近づけるなって!」

「待て待てー」

「あ、ちょっと!」

佑一が逃げ、シリウスを持った私が追い、それを飼い主さんが追いかける(ごめんなさい)、という妙な構図。まあ、その追いかけっこはすぐに終わったんだけど。


「佑一ぃ、約束は『お互いの恐怖症を克服する』って事だったよね? だったら当然犬嫌いも……」

「分かったよ! 治すよ! 治せばいいんだろ!」

「勝負はまだまだこれから、かな」

共有する秘密をまた一つ増やした私たちは、笑いながら帰宅の路に就いた。

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