第一協力者

 魔法の粉に興味を示したアジュレ嬢は、お茶会がお開きになってから厨房へと足を運びました。


 本来、お客様をお招きするような場所ではなくお断りするところですが、お嬢様もお嬢様で自慢をなさりたいらしくお忍びで本館の厨房に来ております。


「もうすぐ夕食の準備に入られるでしょうから、長くはお邪魔いたしません。ご無理をいって申し訳ありません。」


「いえいえ、あんまりきれいな場所じゃなくて申し訳ないよ。」


 仮眠を取り少し顔色の良くなったシルファが出迎えてくれます。綺麗ではないと言ってはおりますが、普段から掃除を徹底していますので厨房はとても美しく、その上には白い粉の入ったジャム瓶が並べられていました。


「エリザが言っていた魔法の粉、とはこれのことですか?」


「そうよ!これのお陰でたくさんマフィンを焼けたの!」


 誇らしげなお嬢様のお隣で、興味深そうにジャム瓶を手に取るアジュレ嬢。まるで品定めをしているように独り言を呟いておりました。


「あの、これは何で作られているのですか?」


 みた感じは小麦粉と変わらないため首をかしげているアジュレ嬢。小麦粉と卵と牛乳だけではマフィンは作れませんので、至極普通の反応です。


「大半は小麦粉だけどあと砂糖とかふくらし粉とか…マフィンに必要なものは大抵入っていますよ。もとはパンケーキ用だったんですけど、マフィン用に分量を変えたのであとは卵と牛乳とバターを入れれば生地がつくれますよ。」


「まぁ、そんなに簡単に?」


 予め用意していた台詞を彼には教えておりましたので、うまくアピールをしてくれております。もとより今回はアジュレ嬢に魔法の粉に興味をもってもらいたく、お嬢様にもご紹介したのですが。大いに手応えがあります。


 だってアジュレ嬢、手で口許を隠して驚いておりますが、ニヤリと笑ったように見えましたもの。


「ねぇエリザ。この魔法の粉、私に預からせてくれない?」


 お嬢様に向かって放たれた言葉は、家を代表しての言葉でしょう。預かる、というのは言葉通りの意味ではなく売らせてほしい、ということです。あまり商売に詳しくないお嬢様は首をかしげました。


「別にいいけど…ただの粉よ?売れるかわからないし…。」


「いいえ、必ずこれはヒットしますわ!私の勘がそう告げておりますの!もちろん発案者が誰かは明記させていただきますから、エリザに損なことは一切ないしさせませんわ!」


 またもお嬢様の手を握り説得なされるアジュレ嬢は、まさに商人が商品を卸す説得をしているようでした。あまりの熱にお嬢様は首を縦にお振りになられる位しかできませんでした。


「ありがとうございますわエリザ! 料理長さん、この粉の全材料と材料比を教えてくださりませんか?あと小麦粉は何を使って…」


 お嬢様の許可をいただいたアジュレ嬢の勢いはそれはそれは凄まじく、結局予定時刻を一時間ほどすぎてのお帰りになられました。


 帰り際のアジュレ嬢はその手にいくつかの魔法の粉…後にケーキ粉と名をつけられたそれを持ち帰り、るんるん気分でお嬢様と別れられました。


「長居をしてしまってごめんなさいエリザ。またお招きくださいね。今日は楽しい催しをありがとう。」


 いつもは送り出しなどしないお嬢様ですが、アジュレ嬢が馬車へ乗り込むまで今回は付いておりました。馬車が見えなくなるまでお見送りなさると、深く大きなため息をお吐きになられました。


「アジュレをもてなせたのはいいけど、なんであんなに嬉しそうだったのかしら…ただの粉なのに。」


「アジュレ嬢の商人としての勘があるのでございましょう。」


「私のかわいいマフィンでもてなそうと思っていたのに!」


 すっかり主役を奪われてしまってご立腹なお嬢様は、頬を膨らませておりました。こればかりは仕方がないのですが、少し心苦しいところです。朝早くから、楽しみにマフィンを焼いておりましたから。


「まぁ、いいわ。それよりレイ、私は夕食を食べに行くから、あなたもそうしなさい。」


「かしこまりました。」


 踵を返し、急に歩き出されたお嬢様。その足取りはまっすぐ本館に向かっておられます。一定の距離をおいて追いかけますが、もう夕日が沈んでおられます。侍女にランタンを持ってこさせ、明かりをともします。


 夕日が沈んですぐのため、青や紫といった幻想的な色が、まるで絵の具を垂らしたようなグラデーションで空を彩っておりました。その上を、一番星が輝いております。


 夕食の時間…ともなれば今まさに厨房は、支度中で慌ただしくなっているでしょう。あちこちで鍋やフライパンの上で食材が躍り、シェフたちの指示が飛び交っている様子が目に浮かびます。


 シルファに一言礼を言いたかったのですが、後の方が良さそうです。


 お嬢様には先に夕食をと言われておりますから、私は別館に戻りましょう。ランタンの明かりを頼りに別館へと戻ります。


 咲いてないバラのアーチを抜け別館の食堂へ向かうと、数人の侍女や執事がすでに食堂に集まっておりました。しかしまだ少し早い時間もあり、人はまばらです。


 使用人の食事はビュッフェスタイルで各自とっていくものになりますから、人が少ない時間帯は夕食をいくつも選ぶことができます。本日は盛り付けられていたハンバーグをいただきました。溢れる肉汁にデミグラスソースがよく合い、とても美味しいです。


 食後に紅茶をいただいて、落ち着いた頃。厨房からシルファが出てきました。その頃には食堂も少しばかり人が増え始めております。


「やぁ、レイさん。今日もお疲れさま。」


「お疲れさま、シルファ。今日はありがとう。お嬢様もアジュレ嬢もとても楽しんでいたわ。」


 もちろん策を成功させるためだったといえ、お嬢様には楽しんでもらいたかったのです。そのため、シルファには少し無理なお願いをしておりました。


 お嬢様とアジュレ嬢のマフィンデコレーションを出来るだけ楽しんでもらうため、デコレーションパーツの種類を増やしてもらうこと。お嬢様のご要望は出来るだけ叶えること。そしてアジュレ嬢にケーキ粉の説明をお願いしていました。興味を持ったアジュレ嬢が厨房に向かうのは、想定できましたので。


 しかしどのタイミングでいらっしゃるかわからないため、シルファにはずっと待機してもらっていました。


「いやぁ、俺もみたかったなぁ。お嬢様がわいわいデコレーションしてるの。けどまぁ、大役を仰せつかったわけだし、頑張らせてもらったよ。」


 影で大活躍してくれた彼の顔には疲労はあれど、やりきったと笑っておりました。少し頑張らせ過ぎてしまいましたが、料理以外の事は何もできないから、と引き受けてくれたのです。


「じゃ、最後の頼みを叶えないとね。ちょっと待っててくださいね。」


 ウィンクをひとつ向けられたのですが、私は首をかしげてしまいました。もう頼んでいることはないはずなのですが…。


 厨房に向かい、そしてまた戻ってきたときにはその手に一枚の皿が乗せられておりました。そっと、私のテーブルへ置かれたそれは…。


「まぁ…。」


 そこにはチョコレートマフィンが座っていました。楕円形ホイップクリームが絞られ、円の縁をさらに丸いクリームがいくつも並んでいます。まるで、シニオンのようです。


 そしてピンク色のお皿の余白には、震えて歪に引かれたチョコソースで


“いつもありがとう”


 そう、綴られていました。


「お嬢様が今日の朝、どうしてもチョコマフィンを作りたいっていうからさ。一番最初に焼き上がって、もっともきれいなものを選んでいたよ。」


『レイには最初に一番きれいなものをあげるの!』


 お嬢様はそういっていたそうです。メッセージをなんとかかけるように練習なさったそうで、珍しくお嬢様に早く夕食に向かえと言われたのも、このマフィンを見せたかったためのようです。


「それじゃ、ごゆっくり。」


 気を利かせてくれたシルファが厨房へと戻っていきます。辺りはすっかり、混雑しているのに騒がしい声が、一切耳には入りません。


 胸の辺りがとても暖かくなって、瞳が熱くなります。


 あぁ、何て幸せでしょう。


 こんなに幸せになっては、いけないのに。


 ほんの少しだけ、許されるのなら。

 今日だけは、この幸せを感じさせてください。

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