フィナーレ ~曲名『命の奔流』~

 曲名は【命の奔流】。


 静かなイントロ。優しいピアノが奏でる静謐なメロディ。


  【命の流れ 未来への一歩】


 全員、手をつなぎ円になる。静かに手を挙げ、ゆっくり下げる。これからの動きのために呼吸を合わせる。調和こそ、青い春に咲く桜花。


「…………」


 寺坂顧問と目が合う。唇をぎゅっと強く結び、つーっと涙が一筋頬を伝って――。


 バアンッ――。その咆哮は突然だった。


 寺坂顧問が前方によろめき、力なく倒れた。後頭部から命の滴が流れ出す。ヒトからモノへ成り果てた寺坂顧問。厳しさの中に優しさがあった顧問。バレーを教えてくれた第二の恩師。その死はあまりにも突然で。まだお礼の言葉も言っていないのに……。


  【向かう先は 灯火ともしびのもとか】


 ああ、そんな……。澄んだ歌声がまるでその死を美化するように響く。


 曲はそのまま進む。緊急事態だ、これはダンスなんてやっている場合じゃあ!


(伊野神)と小声で言ったのは深川。(止まるな。やろう。このまま)


(で、でも……寺坂顧問が!)


(最期に!)と深川。(、くらい……見させてくれよ?)


(みんなと一緒なら怖くないよ)と辻さん。(青春の炎はこんなんじゃ消えないよ!)


(僕)と朝倉。(みんなと部活ができて少し変われたと思う。ありがとう)


(よせよ朝倉)と新城。(それはソロパートをばしっと決めた後のセリフだ)


(伊野神センパイ)と佐々木さん。(私たちの事、?)


(私も)と上巣さん。(覚悟はできている。楽しかった。あと、ごめんね)


(砲丸以外の)と岡本。(楽しみを見つけた気がします。解り合える仲間っていいですね)


  【流れつく先 膨む期待は罪なのか】


 みんなの意志。互いの手を伝って流れる命の温もり。


 横たわる死体。燃えるほどの温もりはそこにはなくて。凍てついた氷のような寂しさ。それすら溶かす青春の炎が高く燃え上がる。旅立った命に届くように――。


 そう、今、この瞬間において俺たちは一つになれたんだ。欠けた命も絶えず俺たちを包んでいる。部活を通して過ごした時間。青春の宝物。


 バアンッ――。


  【ライフ・ストリーム ほとばしる思い出よ】


 サビに入った瞬間、その咆哮は上巣さんに牙を向いた。彼女の表情が静止画のように硬直して乱れた髪に命の滴が散る。


 森川さんへの殺意は彼に対する愛情の裏返し。その愛もろとも、彼女の時間はこの時をもって止まった。それが死という絶対的で、逃れることができないもの。


 けれど! だから俺たちは! 未来のために!


 演技は止まらない。青春は止まらない! 亡骸をそのままに演技は横一列へ。


「ふふ、素晴らしい。これがあなたのやりたかったことか」


 侵入者、尾形正夫は体育館入り口で拳銃を構えながら喚く。


「わかっていますとも、私はあなたに創られた登場人物の一人に過ぎない。あなたの意志を知る刺客という立場でこの物語に干渉していた。


 ただね、どうしても言いたいことがあります。あなたは私についてどこまで知っていますか? 私にとってあなたは神様だ、何でも知っている筈ですよね? ……どうしました? 答えて下さいよ……答えろっ!」


  【どうか水面みなもを乱さないで】 バアンッ――。


「今、少し太った坊主の彼を殺しました。彼についてあなたはどこまで知っている? 出身は? 趣味は? 口癖は? 学力は? 両親については? 知らないでしょう? そう、それがあなたのです。あなたの能力なんてその程度です。幼稚な推理劇を読まされて読者も呆れていますよ。そんな腕で? バカじゃないですか? しかも? そんなことにカネと時間を使うのならもっと仕事に打ち込んだらどうですか? 夢を見る歳じゃあないのですからね」


 大丈夫、未来の俺はこんなことでへこたれない。


 この世界が何よりの証拠。


 自らの意志でやると決めたことに他ならない。信じているぞ、未来の俺!


  【永劫の苦痛 この身を焼こうとも】


 サビが終わり、次なる詩が紡がれる。


 横二列、少し距離をあけ向かい合う。こちらには左から深川、佐々木さん、俺。背中は入り口に向けている。向かい側、俺から見て左から新城、辻さん、朝倉。ここは合唱。澄んだ歌声。


 バアンッ――。乾いた銃声。ばたりと倒れ、命の滴を広げたのは深川。


 曲がったことが大嫌いな深川。ストイックな性格は焦りのせい。誰よりも速くあることを夢見た深川。天空の主のもとにも一番乗りで到着するに違いない。『あれ先輩! 遅いっすね。また鬼メニューいっちゃいますか?』『いや、いかんわ! 少しは休んだらどうだ? おれもお前もさ――』『いや、それは無理っす。だって――走るの大好きですから』――駆け抜けた青春の炎は絶やさない。絶対に。


「止まりなさい。何が青春だ……止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれぇ!」


  【命の大切さ 教えてくれた君へ】


 列の中心の佐々木さん、辻さんが一歩前に出る。


 新城、朝倉、俺はしゃがんで主君に忠誠を誓う騎士のように頭を下げる。彼女らは開いた掌を天に向かって掲げる。天空の主と握手を交わすように。


 バアンッ――。


 燃える命。生きているとはそれだけで、命を削っているということ。


  【澄んだ水面 あなたを映す鏡になりたい】


 時にそれは根こそぎ奪われることがある。佐々木さんがばたりと倒れて動かなくなった。澄んだ瞳に最後の命の温もりが宿り、間もなく消えて虚ろになった。


 小さな体にありったけの優しさを込めて向かってきたあの推理合戦。生きるとは死ぬリスクを常に背負っているということ。それにしても、こんなにあっさりと散っていい命があってたまるか!


「ははははは! 手塩に込めたキャラクターが殺されるのはどういう気分だ? 悲しい? 悔しい? そう思うほどお前はこの子たちの何を知っている!?


 お前以外で誰が理解できるというのだ! 私だってそうだ! 誰が……誰が私のことを理解している? 誰がこの孤独をわかってくれるのだ! 一方的に黒幕に仕立て上げられ、都合よく生かされ、過去も未来もない私の苦悩を思い知れ! !!」


 静から動へ。


 四人で円を描くように舞う。前に朝倉、辻さん、俺の背中を新城が追う。


 円の中心に上巣さん、岡本、深川、佐々木さんの亡骸。


 それは弔いの舞。


 その思いは寺坂顧問、それに別室で横たわる森川さん、東村、平田先輩、国枝さん、堂場顧問のもとにも……。


 刹那の命を散らし未来を照らす光となれ――。


  【ライフ・ストリーム 迸る思い出よ】


 バアンッ――。それが一つの舞のように意外にも美しく倒れたのは新城。


 嫉妬と重圧の中もがき苦しんだ新城。オールバックはささやかな抵抗か。ねじ曲がった自意識が少し正され、未来を夢見た瞳はしかし、もう、永遠に高々と上がるバレーボールを見ることが出来ない。ああ、なんという理不尽! それでも止まることが許されない青春の残酷さよ!! だから俺はあなたが大嫌いだ!!


  【どうか水面を乱さないで】


 円は少し大きくなる。


 命を散らしたみんなから流れ出る命の滴が燃えるように赤くて。


「まだ続けるおつもりで? いいのですか? ?」


 バアンッ――。前を行く朝倉が不自然な動きをしながら円を離れ、膝をつき倒れる。


 一緒に語り合ったロックミュージックのこと。中二病とか揶揄される中、本当に好きで聴いているこいつとだけ馬が合った。これからも聴き続けるよ。そして良いのあったら教えるよ。お前に聴いてもらえないのが残念だけどなあ……。


 このダンスは一生忘れない。この青春は二度と来ない。咲き乱れる花の如く儚い。しかしじゃないか。


  【この命 あなたに捧げる】

  【無数の星々 涙が水面を揺らしても】


 それを未来の俺が証明してくれた。俺さ、十年後この小説を書くよ……。そしてそのずっと先にいる自分に向けてメッセージを送るんだ。


 まだ見ぬ自分……延長線上のまだ見ぬ君に向けて――。


  【ライフ・ストリーム 迸る思い出よ】


 そして訪れるフィナーレ。最後のサビ、一回目。


 ここは我が陸上部のソロパート。俺は円の中心に歩を進める。辻さんが息を合わせるように優しく歩み寄る。周囲にはみんなの亡骸。彼女の制服は命の滴だらけ。その中心で向かい合う。


(怖い?)


(ううん、ちっとも。みんなが守ってくれたから)


(砂場の均し、上手かった)


(ああ……あれ? それはどうも。部長)


(え……ってことは我が陸上部に?)


(ううん。伊野神くんはバレー部でもあり、陸上部でもあると思うの。だから部長)


(そっか。おかげでバレーと向き合えたよ。ありがとう)


(そんな……お礼をいうのはこっちだよ。だから、最後のお願い聞いてくれる?)


(うん)


。伊野神くんになら絶対できる。応援しているから――)


 バアンッ――。


 真横に倒れる辻さん。


 頬に手をやると、彼女の命の滴がべったりと。


 びちゃりという生々しい音。


 横たわる亡骸。


  【どうか水面を乱さないで】


 虚ろな瞳はまっすぐ天井を見つめている。いや見ていない。何も見ていないんだ。そっと瞳を閉じてあげる。こんなにも温かいのに、死んでいる。死と生の境界なんてこのくらい身近にあるんだ。俺が生きているのは奇跡じゃないか。みんなありがとう。そしてごめん。文句は考えといてくれ。


 これで俺以外の青春が散った。でもまだ俺がいる!


 青春はまだ終わっていない!


  【ライフ・ストリーム 迸る思い出よ】

  【どうか水面を乱さないで】


 フィナーレ。二回目のサビ。ここはバレー部のソロパート。みんなからのバトンをもらって最後のスパートをかける。大丈夫……みんながついている。


「先生……これがです。今すぐこれを止めなさい。さもなくば、あなたが一番手塩に込めたあなたの分身を殺します」


 舞い踊る中でしかと見たこちらに向けられた銃口。それは確実に死をもたらす漆黒の塊。


 それでもいいと思っている。過去と決別するために未来の俺がこの小説を書いたのならば俺は黒歴史そのもの。それを消し去りたいと願っても不思議じゃない。未来の俺は、気なのかもしれない。


「撃てよ? とっくに覚悟はできている」


 フェードアウト。青春のダンスが終わった今、何を悔やむことがあろうか! かかってこいクソ野郎! お前なんかに俺たちの青春は穢せない! 


「……お望みならば容易いことっ――!!」


 バアンッ――。目を閉じた闇の中、見えない銃弾に恐怖する。そしてそんな音がして俺の人生が終わると思いきや。


「うぐっ――!?」


 目を開けると衝撃的な光景が。突然、胸を押さえて苦しみだす尾形さん。その手から拳銃がこぼれて床に落ちる。


「ぐっ……うぅぅ、胸が! く、はあ……く、く、くくくくくくくく――!!」


 苦しみの中、聞こえる不気味な笑い声。


「くくく、かかったな伊野神けい! お前は犯してはならない禁忌を犯した! 自らの分身を守るために……あろうことかという立場から、直接、私という人間を……亡き者にするためっ! 手を下したっ――!! これは! あるまじき行為! ! 恥を知れっ! ははは、あっはははははは――――」


 そして。散々未来の俺を罵倒した尾形さんは、苦悶の表情で散っていった。


 青春のダンス。これにて閉演。


 アンコールは勘弁してくれ。


 こんなこともう二度とやりたくないから。


 むせ返る命の滴のかおり。現実が冷たく横たわる体育館。ここは青春の墓場だ。


「みなまで言うな。わかっているから」

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