エクストリーム・タイム②
堂場顧問は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。散乱する書類に鮮やかな命の滴が飛び散る。毛が逆立つような不気味な静寂。石像のように硬直する面々。
「…………」
銃口からは薄い煙。尾形さんはゆっくりと銃口を下げる。誰も動かないし、呼吸すら忘れたかのように黙る。声を出したら撃たれるような雰囲気。血の臭いは雷管後の火薬の臭いに置き換わる。精一杯の逃避行動。脳が現実を直視するのを恐れた証拠。
『今の状況が分かったところでそろそろ私についてお話させて頂きます。まず、杵憩舞という名前について。これはこの学園の名前でもあるのですが、何か気づきますか?』
「…………」
『そうですか。まあ、ノーヒントで気づく人なんていませんよね。ではヒントを出します。ヒントはアナグラムです』
アナグラム。言葉を入れ替えることで別の言葉をつくる言葉遊びの一種。
『…………私の名前、杵憩舞をローマ字に変換します。即ち、KINEIKOMAI』
「きねいこまい……いまいこ……」
佐々木さんが小声でつぶやく。他のみんなも考える素振りこそ見せるが思考は働いていないだろう。生死の瀬戸際で言葉遊びなんてやってられない。
「ねいこき……まえきにき……けいこ……いこねい……いのまい……けい……」
いのまいけい……。なんだか俺の名前みたい――。
「い……の……か……み……け……い」
佐々木さんが俺の名前を亡霊のように呟く。
「ちょっと佐々木さん。それ俺の名前じゃん」
「いのかみけいになります……」
「はあ?」
「KINEIKOMAI。並び替えると、INOKAMIKEI。いのかみけい。
センパイの名前になります……」
「…………………………………………………………………………………………は?」
『おや、後輩に一本取られたね。このアナグラム、並び替えるといのかみけいになる。即ち私の正体は、伊野神けい、君だよ。天海山が噴火して偶然合宿に来ていたダンスメンバー全員が帰らぬ人になった現実において、その十年後、二十七歳になってこの小説を書いている私は紛れもない、君なんだよ』
「…………未来の、俺だと?」
『そう。まさに私は二十七歳になった君だよ。いきなりこんなこと言われても混乱するだろうから、少し現実の話をするね。
今から十年前、十七歳だった私は陸上部の部長を務めていた。その年の体育祭でバレー部とダンスをすることになった。でも私はダンスなんて踊りたくなかった。やったこともなかったし、何よりバレーと関わりたくなかった。バレーは中学で懲り懲りだったから。そしてメンバー選抜の時に練習がしたいと言って辞退したんだ。だから現実のダンスメンバーは、今回のメンバーから伊野神けいを除いた計十一名。これに顧問二名を加えた十三名が現実において天海島に行ったメンバーなんだ。
そしてあの悲劇が起きた。天海山の噴火。島は一瞬にして分厚い噴煙に覆われ、火山灰が容赦なく降り注いだ。落石や火砕流などで島は地獄絵図と化した。テレビ中継を見て愕然とした。そして追い打ちをかけるように流れたテロップは今でも目に焼き付いている。
【合宿で訪れていた高校生九名の死亡を確認。残り二名並びに引率の教員二名は行方不明】。
みんな死んでしまった。校舎は閉鎖され島は今でも人の立入が厳重に制限されている』
俺は自分の掌を見つめる。
薄い皮膚の下には血管が無数に走っていて、赤血球が絶えず酸素を全身に運んでいる。心臓は規則的な動きをして、脳は絶え間なく思考し、水晶体は目に入ってくる光の量を調節している。
深川が見える。岡本が見える。新城が見える。朝倉が見える。上巣さんが見える。国枝さんが見える。辻さんが見える。佐々木さんが見える。寺坂顧問が見える。堂場顧問が死んでいる。尾形さんが笑っている。
「先生」と尾形さん。「もう私の役目は終わりですよね?」
でも現実では。
『そうだね。感謝しているよ。私の刺客として申し分なかった』
深川は死んでいる。岡本は死んでいる。新城は死んでいる。朝倉は死んでいる。上巣さんは死んでいる。国枝さんは死んでいる。辻さんは死んでいる。佐々木さんは死んでいる。寺坂顧問は死んでいる。堂場顧問は死んでいる。森川さんは死んでいる。東村は死んでいる。平田先輩は死んでいる。
「ありがとうございます。では余興を存分にお楽しみ下され。最後に私から置き土産を」
辛かったよなあ?
熱かったよなあ?
苦しかったよなあ?
でも確かに、今、みんな生きているじゃないか。
「貴女は最後に私との約束を破った。決して私のことは公言しないようにと言っておいた筈なのに。先生はあなたに渡したいものがあるとのことです。代わりに私から、先生からの伝言も込めて」
この命が虚構と言うのならばそれをしかと受け止めよう。
しかしこの命! 鼓動! これは紛れもなく俺のものだ! 俺たちの命だ!
「『さようなら。初恋の人』」
バアン――――ッ!!
再びの銃声。気づいた時にはもう遅かった。
「――――っ!?」
放たれた銃弾は。
我が陸上部第一の女神、国枝さんの左胸を貫いた。
「――え」
どくどくと、溢れる命。命の滴が、ああ、こんなにもあっさりと――。
「ああ真希、なんてこと」
辻さんが抱き起す。その両手も次々溢れる命の滴でいっぱいになる。命が流れていく。ライフストリームとなってどこか遠い所に行こうとしている……。
「あの野郎! どこか行きやがった」
悪態をつく新城。寺坂顧問、深川、岡本は保健室に直行中。上巣さん、佐々木さん、辻さんの三人で懸命に声をかける。その様子を残った男性陣が見つめる。
「はっ……ぐ……はあ、はあ」
これはきっと現実じゃない。夢だ、悪い夢だ。醒めろよ。早く醒めろ……。
醒めたら現実が待っている。その現実の国枝さんは死んで――。
「い……の……かみ、クン」
命の滴ごと彼女の手を優しく握る。むせ返るような命の滴のにおい。
「……大丈夫だよ国枝さん。安心して。すぐ良くなるから……」
「ゴ……メン、ね」
「え……?」
「……みんなに、めいわくかけちゃった。さつきを、私が――」
「もういい! もういいよ!」
「きっとね……私、後悔……してないと、おもうの」
げんじつのこと、と彼女。
どうして、と訊くと痛みをこらえながら小さくわらった。
「みんなと……」
いつの間にか三人が戻ってきていて。
全員固唾を吞んで見守る。それを感じたのか、彼女は安心したように目を閉じて言った。
「一緒に部活が……できた、から」
それが国枝さんの最期の言葉となった。
彼女は天に向けての旅を開始したのだ。その旅路が安らかであることを。おもいでをありがとう。またあえる日まで。
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