探偵に忍び寄る天使の笑顔
職員室を後にして、朝倉と新城の教室前に立つ。
時刻は間もなく十二時。ノックをしようとしたとき巡回中の寺坂顧問に見つかった。
「いのかみ君」てっきり怒られるかと思いきや意外な一言が。「ダンス練は順調か?」
「は、はい? ダンスですか?」
戸惑っているうちに、会話はどんどん進んでいく。
「ダンスどころではなくなってしまったな。こんな状況になってしまって申し訳ない」
そう言って腕を組む。
その姿は『鬼教官』の名に恥じない威厳に満ちた姿で。
俺も自然と背筋を正してしまう。
「本当はお前にも出歩いてほしくない。どこに犯人が潜んでいるかわからないからな。でもお前は、探偵なんだろう?」
「はい……そうです。この事件の犯人を追っています」
「ほう。聞かせてくれないか? 現時点での考えを」
顧問は先程はっきりと言っていた。生徒の中に犯人がいると。
その上で訊いてきたのだ。俺だって犯人候補の一人なのに。顧問の目がすっと細くなる。それは疑いの目に他ならない。
俺は現時点での考えを伝えた。
第三者の存在は否定できる。
根拠は天候ならびに目撃情報が零だという点。そんな状況で生徒とはいえ三人の人間を殺めることは不可能だと思うこと。
したがって、犯人は生き残った生徒ならびに大人三人の中にいると思うこと。手がかりは着々と集まっているということ。
「朝倉と新城の部屋でその手がかりがないか今から調べてみようと思います。恐らく拒否されると思いますがなんとか説得してみます」
「ふむ。私の考えと一緒だ。もっとも、本当に生徒の中にこんなことをしでかす輩がいるとは未だに思えないのだがな」
「そうしますと、犯人は大人三人の内の誰か、ということになります」
すると顧問は軽く首を横に振る。
「前途ある若者の命を奪う教育者など、この場にはいないはずだ」
「そうですか。では僕の事は疑わしくないのですか? 放送の後にもかかわらず出歩いていて、証拠隠滅を図っていると判断されても仕方ないかと思いますが」
「……証拠隠滅を図っているのか?」
「いえ。違います」
「だろうな。お前はこの暗い状況を照らす光になるだろう」
顧問は突然詩人みたいな言葉を並べる。ダンス好きで詩人なバレー部顧問。腕を解き、肩をがっしり掴まれる。
「頼んだぞ。老人は引退しお前たち若者の時代が来る。それを守るのだ。探偵として」
一‐五。朝倉と新城の教室。寺坂顧問の許可を得て、部屋を調べることが出来た。
「顧問! いいんですか? こいつ犯人かもしれないのですよ?」
新城は猛反発したが、やがて開き直った。
「まあいいですけど。なんなら調べてくれよ伊野神。怪しいものなんて何一つないから」
そう言った新城の横で、朝倉は俯いたままだった。
「わかった。調べさせてもらうよ」
間取りは俺と深川の教室、一‐二と一緒。黒板、机、椅子、布団、見知ったものたちが静かに佇んでいる。
「東村の荷物は?」
「そこにある黒のエナメルバッグ」
彼の荷物の中に変わったものはなかった。ウェア、大きめの濡れたタオル、バレーの本などありふれたもののみ。彼が失踪してからそのままにしてあるとのこと。
「東村はシャワーを浴びた後、すぐに保健室に行ったのか?」
「……う、うん。そうだよ」と朝倉。「シャワー中から痛がってたよ」
「ふむ……。そうか」
当事者である顧問。己のしごきを少し反省している様子。
「はい。シップ貼ってそのまま休むって言っていました」
「そして夕食……その後は話の通りってわけか」
その後顧問は責任を感じたらしく、しごきについて部員に意見を訊きだした。その話を大まかに聞きながら調査を再開。気になったことを二人に訊いてみる。
「いや、いじってないぜ。初めから入ってなかったんじゃないか?」
「僕も知らないよ」
昼食のバランス栄養食を食べているとノックの音がした。
出てみると佐々木さんが立っていた。
ひとまず部屋に招く。ドアは開けておいた。
「私、どうしても伊野神センパイに伝えたいことがあります。東村センパイに関することなのですが」
しばし俯いた後、顔を上げる佐々木さん。ボーイッシュショートヘアがさらりと舞う。
「えっと、東村センパイは上巣センパイ以外にも、付き合っていた人がいて」それは――と彼女。「森川センパイです」
「森川、さん?」
意外な人物の名前に言葉を失う。
てっきり森川さんは平田先輩と付き合っていると思っていた。
ということは東村は二股をかけていた? でも森川さんと先輩は仲良さそうに写真を撮っていたじゃないか。
「…………」
いや。待てよ。
あれは確か、島に向かう船上でのやりとり。
『さっちゃん』
『…………それ、止めてもらえますか? 平田先輩』
親しげに呼んだ先輩を一蹴する森川さんの言葉。
先輩は森川さんを『さっちゃん』と呼ぶのに慣れている様子だった。これは特別仲が良かったことが推測される。つまり、二人は交際していた。過去形の理由は森川さんがそう呼ばれることをひどく拒絶していたから。
さらに。これは二日目の西館三階での彼女とのやり取り。はっきりこう言っていた。
『もう、関係ないもん』
二人は付き合っていて、今はもうその仲じゃない。だから彼女が新しい恋人をつくっていたとしても不思議はない。それが東村だったとしても。二股をかけられていたとしても。
「上巣センパイ、こう言っていました。恋人を殺した犯人も憎いけど、今は姿がはっきり見えている恋人に言い寄っていたあの女が憎いって」
「上巣さんは東村が二股しているってどこで気づいたのかな?」
「それは……すいません、何も言っていなかったです」
俺には恋人がいないからよくわからないけど、付き合っているとはどこからそう言って良いのだろうか。
キスをしたとき?
抱き合ったとき?
手をつないだとき?
親しげに会話したとき?
明確な定義がない以上、本当に森川さんと東村が付き合っていたのかなんて当人たちがいない今、証明は難しい。
それを議論し出すと上巣さんと東村だって果たして恋人同士と呼べるほどの仲だったのかという話にもなる。
ただこの二人の場合、上巣さんの言動や行動、周りの反応などからかなり親しげだったことは事実のようだ(確かな証拠がない以上メモは控えておく)。
しばらく話した後、佐々木さんは教室を後にした。俺はドアの前に立って彼女を見送る。制服を着た小さい姿がやがて廊下を曲がって消える。
「伊野神クン」
背中に声がかかった。振り向くとそこに。
「私、いつだって伊野神クンの味方だよ。だから無理しないでね」
天使の笑顔。
「嫌だったらやめていいんだよ? 一人で背負いこまないで。もう犯人なんて見つけなくてもいいんじゃないかな」
「…………」
天使の笑顔。
「こんなこと普通じゃないんだからさ。きっともうすぐ助けがくるよ。こんな犯人探し、警察に任せよ? ね?」
天使の笑顔。
ゆっくり。
近づいてくる。
蛇の甘言。
堕落する使命感。
探偵の誇りなんて古びた錆のように、ポロポロと剥がれ落ちていく。
「そうしよ? 伊野神クン。少し休もうよ。私が傍にいるから……ね?」
そしてついに目の前まできた天使は、より一層にんまりと笑った。
「うん……そうだよね。ほんと、もうやめたいよ。こんなこと」
でも。
ポロポロと剥がれ落ちてあらわれたものこそ、本物の『探偵としての誇り』だった。
「でも……犯人を見つけないと俺が疑われたままになってしまう。確かに、悲鳴がしたとき彼女と二人きりだった。その彼女が殺されたのだから、疑惑の目を向けられるのは当然かもしれないし」
「…………ほんとにそれでいいの?」
「うん。もう少し頑張ってみるよ」
天使の笑顔はわずかに綻んだ。
寂しげな瞳。
それでもやると決めたから。
昼食後は聞き込みやダンス練などをして過ごした。
体を動かしている時だけ、探偵であることを忘れることが出来た。
シャワーを浴び事実を整理して夕食へ。いつものバランス栄養食が少し美味しく感じた。
そして時刻は十九時。全てを解く手がかりを携え俺は全員を招集した。場所は職員室。すべてを終わらせる時が来た。
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