大いなる嵐の咆哮の中、微かに聞こえた上履きが床を駆ける音
中央館一階まで戻ったところで深川たちと合流した。森川さんと国枝さんもいる。二人とも寝間着の袖で手を隠している。朝の挨拶をする余裕すらない中、点呼を開始する。
深川、岡本、国枝さん、森川さん、そして俺。平田先輩以外、全員点呼完了。
「顧問、何だって?」と深川。「探しに行っていいんだろ?」
「うん。手分けして探すように言われた」
「なら、男子は三階を探すのはどうかな?」
提案をしたのは森川さん。理由を訊くと、三階は行き来するのが面倒だから男子三人が分かれて探すのが効率的とのことだ。確かに移動の手間を女子に課すわけにはいかない。
「まあ……確かに」と承認する俺。「そうしたら、二人は一階をお願い」
「うん、わかった!」と国枝さん。袖から手を出す。「いこ、さつき!」
ひとまず一階を任せることにした。
「もしバレー部に会ったら、二階をお願いするように伝えてもらっていい?」
「うん。伝えておくね。じゃああとで」
森川さんと国枝さんは階段横にある保健室に入った。
「よし、分担どうするか?」
「僕はどこでもいいですよ」
「そうだな……」
適当に分担を決め、行動を開始した。
西館三階。スマホを開く。時刻は朝の八時十五分。話し合いの結果、俺は西館を探すことになった。ちなみに深川は中央館、岡本は東館。俺たちは中央館一階で別れ、それぞれ担当の館へ向かったのだ。
「おーい先輩! 東村! いますかー?」
反響する自分の声以外、聞こえてくるものは――。
「……雨、か」
黒い絶望から降り注ぐ雨。
窓に打ち付けるそれは悪意に満ちている。風も既に暴風と化していて、外の木々はまるで柔らかい素材でできたオブジェみたいにしなって、地面との別れを惜しんでいるかのように必死で耐えている。一枚壁を隔てた世界は変容してしまった。まるで俺たちの状況をあざ笑っているように感じるのは、神経が疲弊した証拠か。
「天空の主は機嫌が悪いらしい。私たちに愛想を尽かせたのだ」
印象に残った小説のフレーズをぽつりと呟く。こんな時に小説世界に浸るのは現実を直視したくないからだろうか。ではいつなら現実を直視しなくてもいいのだろうか。
「…………」
考えても仕方がない。ひとまず、フロアを一通り見て回ることにする。階段を上がってT字廊下になっているのは東館と一緒だ。部屋は廊下を挟んで四つずつ。
調理室。使われることを夢みるフライパンたち。隅に設置された冷蔵庫は電源が入っていない。中は当然、空だ。ガスコンロの元栓を入れてみると――。
「うおっ!」
火がついた。ガスは生きている。慌てて火を消して元栓を締める。人影はなし。
被服室。カラフルなエプロンが壁にかかっている。机の上にはミシン(これにはトラウマがある。ボビンのセットが出来なかった)。
もちろん先輩が丁寧に返し縫いをしているわけもなく無人だ。
その隣は空き教室。がらんどう。人影なし。
トイレ。右に同じ。
向かい側に移動。
視聴覚室AおよびB。二つの部屋は中で繋がっているので廊下に出なくても行き来可能。防音設備のせいでドアを閉めると無音に支配される。軽音部は日々鼓膜を犠牲にして練習しているようだ。
フリーAおよびB。会議などで使われる部屋。パイプ椅子と長テーブルが置かれている。ここにも人影はなし。強風が窓枠をぎしぎし軋ませる。
これで全ての部屋を見たことになる。結果は西館三階に当該二名の姿はなし。
廊下に出てスマホのグループメッセージで進展がないか確認しようと思ったが――。
「うそ……圏外?」
これはいよいよ天空の主が罪深き人類を灰燼に帰すべく、その誇り高き嵐を遣わせたのかもしれない。遠くに見える海はうねり、海神の剛腕が海面よりその威厳に満ちた――。
ダッダッダッダ。
小説の主人公になりきっていた、その時。
大いなる嵐の咆哮の中、微かに聞こえた上履きが床を駆ける音。
「あ、伊野神君……」
現れたのは。
我が陸上部第三の女神。
森川さん。
「…………」
今にも嵐が喰い尽くさんとする校舎三階の廊下で俺たちは、向かい合った。
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