彼女はクリスチャン(仮)
久野真一
第1話 クラスの聖女様
今日は12月24日。クリスマス・イヴだ。きっと、世間的には、一大商機だったり恋人と甘い一夜を過ごすための日だったり、友達同士で集まって騒ぎ合う日なんだろう。
しかし、僕、
カトリック系高校といっても、別に通っている生徒がクリスチャンなわけじゃないけど、校長先生が神父さんだったり、教師にもクリスチャンが居たりする。ちなみに、僕はクリスチャンではない。
カトリックはキリスト教の二大宗派の一つで、クリスチャンというのはキリスト教の信者のことを指す。日本語だとわかりにくいけど、Christianと書けば、
そして、折に触れてキリスト教関連の行事が催されるのが特徴だ。その最たるものが、本日、クリスマス・イヴだ。なにせ、キリスト教で重要な存在であるイエス・キリストが生誕した日とされているのだから。そのため、今日は体育館で全校生徒を集めてミサ(カトリックの祭礼)が行われている。少々だるいのだけど、仕方がない。
もう1つの事情は、今まさに僕の隣の席で目を閉じて
僕は彼女に淡い想いを抱いている。雪ちゃんの体躯は女子としては平均的。いつも丁寧に手入れしているであろう、肩までおろした黒髪、無駄な肉の無いスリムな体型、きりっとした眼、背筋を伸ばした姿勢や立ち居振る舞い。どれを取っても綺麗だと思える。
もちろん、性格もいい。物静かで自分から輪の中に入っていくタイプじゃないけど、困っている人がいると当然のようにそれを助け、見返りを求めない。そして、人から評価されない事も地味にこなす。そんな彼女はクラス中から
キリスト教の教えを忠実に実践しているような彼女についたあだ名は「聖女」。いい意味でいうと、清らかな心の持ち主、悪い意味でいうと、信仰に熱心過ぎてとっつきづらいといったところだろうか。
ただ、僕は、彼女が実は全然熱心な信仰の持ち主ではない事を知っている。事実、僕の前で以前、彼女は「イエス・キリストなんて信じてない」と言ったことがある。その時は僕は仰天したものだった。
◇◆◇◆
「やっと、掃除当番終わった……」
持ち回りの掃除当番を終わらせて、僕は一息つく。学校は「人格修養のため」というけど、学校が掃除の人を雇いたくない、単なる言い訳じゃないだろうか。そんな愚痴も吐きたくなる。
「ま、いっか。帰ってゲームでもしよ」
最近、毎日のように進めている大作RPGが途中なのだ。もう誰も居なくなった教室を見渡して、日誌に掃除を終えた事を書いた後に下校準備をする。
廊下を通って階段に向かおうとすると、ふと、見覚えのある人影が空き教室に見える。あれは風間さん?目を閉じて膝に手を置いているけど、何をしてるんだろう?
「風間さん、何してるの?」
興味が湧いた僕は、教室に入って声をかける。すると、ゆっくり目を開けて、彼女がこちらを振り向いた。
「あれ。星崎君。どうしたの?」
きょとんとした表情で僕をみやる風間さん。クラスで「聖女」とあだ名されている彼女とは、時折ちょっと話す程度で、さほど親しいわけではない。
「いや、帰ろうと思ったんだけど、風間さんが目をつぶってるから気になって」
何か祈りを捧げているようにも見えたけど。
「ああ、
「そうそう、黙想」
学校の行事で折に触れて聞く言葉。目を閉じて静かに内面について考えること、らしいのだけど、いまだにピンと来ない言葉だ。
「別に大した意味はないよ。ちょっと自分を見つめ直してただけ」
僕に向かって静かに微笑む彼女は、本当に綺麗で「聖女」とあだ名されるのもよくわかる。しかし、見つめ直す、ね。
「見つめ直す、って何かあったの?」
何か失敗でもしたのだろうか。そう思って聞いたのだけど。
「別になにもないよ?」
一体何を言っているのだろうという表情。
「じゃ、なんで、黙想なんかを?何か考え込んでるように見えたけど」
「考え込んでたわけじゃないんだけど……私なりのストレス発散、かな」
「ストレス?」
いつも落ち着いていて優しい彼女に似合わない言葉。
「あ、私にストレス発散とか似合わないって思ったでしょ」
眉に皺を寄せて睨まれる。しまった。
「ご、ごめん。ちょっとイメージしてたのと違ったから」
「慌てなくてもいいのに」
クスっと笑う彼女。
「私はね、イライラしたりうまく行かないなーって事があったら、黙想してるんだ」
「風間さんがイライラ?」
「また意外そうな顔をする。私だって、普通の人間なんだから」
再び睨まれてしまう。
「そうだよね。でも、黙想ってそんなにいいんだ?」
「やらかしちゃったな、とかいう時は、結構効くよ。深呼吸もするとより効果的に」
「そんな、健康法みたいに」
「似たようなものだと思うんだけどね」
そうサバサバ言う彼女は、以前持っていた、敬虔なクリスチャンのイメージから遠く離れたものだった。
「なんか、全然、「聖女」って感じじゃないね」
そうなんとなく言ったのだけど。
「私としては、「聖女」ていうのも、色々ビミョーなんだよね」
「まあ、勝手なイメージの押し付けかもね」
「それはいいんだけど、私は神なんて信じてないし」
「え!?」
その言葉に僕は仰天する。
「風間さんは、クリスチャン、だよね?」
「そうだけど?」
けろっとした表情で答える。
「クリスチャンって神を信じてるものじゃないの?」
「普通はそうだね」
相変わらずけろりとした表情だ。
「イエス・キリストは、カトリックだと神と同じようなものだよね」
「そうだね。それが?」
「じゃあ、イエス・キリストも信じてない?」
「歴史上の人物は居ただろうけど、神じゃないと思うよ」
頭が痛くなってきた。僕の中のクリスチャン像がガラガラと崩れ落ちていく。
「じゃあさ、風間さんはなんでクリスチャンやってるの?」
「難しい問いだね。神とかイエス・キリストはどうでもいいんだけど……」
敬虔なクリスチャンが聞いたら卒倒しそうだな。
「だけど?」
「新約聖書の教えって、結構面白いの。たとえば、"偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。"なんてのがあるんだよね」
「ミサとかで聞いたことがあったかも。どういう意味だっけ?」
「色々解釈はあるけど、人の問題を指摘する前に、まず自分の問題を認識しなさいってとこかな」
「割と手痛い言葉だね。実践できる気がしないや」
僕自身、自分のことを棚にあげて誰かの事を非難したことは何度もある。
「私も全然実践出来てないよ。ただ、ためになる話だなって思うだけ」
「だけって……」
「でも、意識してたら、自分を戒められるでしょ?」
「それは確かに」
なんでもない事のように言うけど、それは尊敬できる事のような気がした。
「あとは、"明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう。"なんかも好きだな」
「それの意味は?」
「明日のことは明日の自分が考えるから、今日1日のことをまず考えなさいってところかな」
「なるほど。言いたいことはわかるんだけど……」
とはいえ、どうしても明日のことを不安になってしまうものだろう。
「他にも、聖書の一節は、読むと「ああ、私、全然まだまだだなー」って思える教えがいっぱいあってね、面白いんだよ」
「聞いてると、自己啓発本みたいな扱いだね」
というか、まさにそのものな気がする。
「ふふ。そうかも。自己啓発本として読むと色々面白いっていうか。これが、2000年近く前に出来たんだから、凄いよね」
神なんて信じていないなんて言う割に聖書の事を話す彼女は楽しそうだ。
「だから私は、聖書の教えには共感するんだけど、神が人を作ったとか、そっちは受け入れられないな」
「わかるんだけど、それでクリスチャンって言えるのかな」
学校内のクリスチャンでもそんな人は聞いた覚えがない。
「そうだね。あえていうなら、私はクリスチャン(仮)なのかな」
悪戯めいた笑みを僕に向けてくる彼女。
「(仮)って、それでクリスチャン名乗っていいの?」
「駄目かもしれない。だから、秘密にしといてね」
「わかったよ。にしても、風間さんがそんな不信心者だったなんて」
ちょっと可笑しくなってくる。
「幻滅した?」
「ううん。親しみが湧いた」
「良かった。両親が厳格なクリスチャンだから、あんまり言えないんだよね」
ため息をつく風間さん。なるほど。だから、敬虔なクリスチャンぽく振る舞っていたのか。
そう思っていると、いつの間にか風間さんは鞄を取って帰り支度をしていた。
「これからマッグに行くんだけど。良かったら、一緒にどう?」
そんな彼女のお誘いに、僕は、
「喜んで!」
と返事をしたのだった。そうして、僕と彼女の交流が始まった。
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