報告書36「優しさと厳しさ、相反する二つの事象は表裏一体について」

 朝。外を降りしきる雨音で目が覚める。枕元の時計を見るに、そろそろ事務所に行かないと間に合わなくなる時間だが……


「仕事行きたくねぇ〜〜……」


 池袋駅ダンジョンでヒシカリにズタボロにされてから幾日か経った。背中の傷はすっかり良くなったものの、斬られた俺の心は一向に良くならず、今日も布団から全く出る気がしない。BH社にいた頃でも朝が来れば条件反射の如く自動的に身体が動いて準備に取り掛かれたのに……どうせ俺なんていなくても同じなんだ、今日も休もう……


「何まだ寝てるのよ!遅刻よ!!」


 そうは問屋が卸さなかった。玄関の扉が壊れんばかりに開け放たれると同時に、轟音が部屋中に鳴り響く。しかもその声の主は断りもなくズカズカと部屋の中に入って来て、枕元に立って再び轟音を発するではないか。


「さっさと起きなさい!」


「チトセ〜、今日は休ませてくれ〜……」


 その声から逃れるように布団を頭まで被り、必死の命乞いをする。


「何バカな事言ってんのよ!さっさと出てきなさい!」


 情け容赦無く何の躊躇いも無く引き剥がされる布団。その後に残されたのは、無残にも寒さに丸まっている俺。命乞いが通じる相手でも無いのは百も承知だったとは言え、人間ここまで酷い事を平気で出来るものなのか……


「何この世の終わりみたいな顔してんのよ。とにかく5分で事務所に降りてきなさい!」


「分かったから……もう起きるから〜」


「いい!?5分よ!1秒でも遅れたら耳元で手榴弾使うわよ!」


「分かった分かったよ!」


 そう言い残すと爆弾女はようやく部屋から出て行った。全く、まるで台風だ。仕方ない起きるか……あいつの事だ、次は本当に手榴弾を持ってきかねないからな。


 気力を振り絞って服を着替え事務所に顔を出すと、そこには既にチトセの他にササヤさんにイクノさんが各々自分の席に着いていたのだが、2人は俺の顔を見るに急に慌ただしく動き始めた。


「先輩!これ、コーヒーです!あとあと、朝食にマフィンはどうですか?私ので良ければどうぞ!」


「破損した機動鎧甲と刀なんじゃが、早速後で見て貰いたいものがあるんじゃが!」


「あっ……あぁ、2人ともありがとう」


 2人とも凄い圧を伴ってグイグイと来るので、すっかり押されてしまう。


「はいはい、2人とも落ち着いて。それで、早速次の任務が来たんだけど……あんたは大丈夫なの?その、色々と」


 大丈夫、と言う言葉が胸に刺さる。そうだ、俺は負けたんだ負け犬なんだ。同時にこの世界に入ったはずの男に、復讐を誓った組織に属する男に負けて、鎧は壊され刀は折られて、俺の今までは全く無に帰されたんだ。


「大丈夫?もちろん大丈夫さ。左手を失い、存在を失い、今度は機動鎧甲にアタッカーの魂とも言える刀まで失った。でもそんなの全然気にしてないさ。どうせ俺にはもう何も無いなんだからな!」


 池袋駅ダンジョンでの一件が未だにどうにも自分の中で消化できてない俺はいたたまれなくなり、事務所を後にした。そんなガックリと肩を落とし、落ち武者そのままの形をした俺にそれ以上誰も声をかけてこなかった。


 本当はこのまま場末の飲み屋で飲んだくれるか、もっとカッコつけてどこかの屋上でタバコでも吸えば絵にでもなるのだろうが、生憎飲みに行く金なんて無いし、タバコなんてこの方吸った事も無い俺は、他に行き場も無いので格納庫のトレーニング室の前の椅子に腰掛け、ただただ無駄に時間を過ごしていた。


「世の中良い事無いな全く……」


 本当ならこんな嘆いている暇があったら、少しでも訓練をするべきなんだろう。ヒシカリの奴だって人斬りだけじゃない、相当な訓練を積んでいたはずだ、生き残るために。そんな事は分かっている、分かっているが今はどうにもやる気も出ない。 


「あーあ……早く死にたい……」


 今はこんなネガティブな言葉しか出てこない。どうせ俺なんて……


「じゃあ死ねば?」


 うぐっ。それに対してどストレートな言葉が返ってくる。死にたいと言ってる人にそのままじゃあ死ねと返す奴なんて、なかなかそうはいないだろう。


「シャ、シャチョー!もっと優しくしてあげましょうよ!」


「チトセ……もっとこう労りをじゃな……」


「何よ。私に抱きしめてあげろとでも言うの?」


「それです!それでいきましょう!」


「分かったわよ。聞こえたでしょ?私の胸に飛び込んできなさい」


 その言葉を聞き、半信半疑でチトセの方を見る。するとなんと笑顔で手を広げ、まさに抱きしめてと言わんばかりの姿勢をしているじゃないか!


「うぅ……グスッ……チトセ〜!」


 涙と鼻水を垂らしながら、その優しさに飛び込もうと思わず駆け出す。そうだ、あの池袋駅ダンジョンでの敗北以降、俺はこれを待っていたんだ!


 次の瞬間、凄まじい衝撃が顔面に走る。と同時にブラックアウトする視界。ブーツの厚めの靴底が顔にめり込んでいるのが確かに分かる。


「キモっ!何本気にしてんのよ!」


「……鬼め……」



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