スズラン

第1話

 「それ」が気になりだしたのは、夏の終わりを象徴するヒグラシの声がやけに耳に残る、九月のある夕暮れのことだった。

 きっかけは些細なことである。

 ふと帰り道を振り返ると、夕焼けに染まる道や木々、自身の影法師から目が離せなくなったのだ。特に気になるようなものは無いはずなのに、なにかがわたしの中で引っかかった。気のせいかもしれないと思いながらも、その場に立ち止まって道のレンガの並びから池の水面のゆらめき、風でわさわさと揺れる木の影まで、ざっと見てみた。「なにか」が気になって、目を挙動不審の魚のように動かして違和感を探した。肌にねっとりと絡みつく夏の空気、遠くで鳴っているはずのヒグラシを耳元で感じながらしばらく探してみたが、結局その「なにか」が何なのかはさっぱり分からなかった。やはり気のせいだったのだと思い、いつもの帰り道を歩いて家に帰った。

 そこまではよかった。こんなことが今までなかった訳ではない。普通の人間なら、子ども時代に似たようなことを感じたこともあるはずだ。わたしがそう思っているだけかもしれないが。

 しかし、その日は家に帰っても、なんとなくあの「なにか」が気になってしまったのだ。もしかしたら、霊的ななにかかもしれない。携帯電話で撮った写真の中から、過去に神社に行った時の写真を見つけ出して眺めてみた。あの「なにか」が気になってやまない、敏感な今なら、霊的なものが写真に写り込んでいたら気づくかもしれないと思った。神社の写真をようく見てみる。言われてみれば、何か不気味な感じもするが、はっきりと霊が写り込んでいるような写真はなかった。これでは気のせいとも片付けられる。結果は予想できてはいたが、世の中そううまく行かないものだ。

 携帯を床に投げ出し、ソファの中に体を沈ませた。

 自分の気にしすぎかもしれない。ひとつのことを疑ったらなんでも疑ってしまうなんて、人間関係でもそうじゃないか。多くの場合は自分の気にしすぎだったりする。

 しかし、祖母が霊感を持っていて、親族がそういうことを受け入れてきたのを幼いころから見ていたわたしにとっては、あの「なにか」をただの気のせいの一言で片づけないという選択肢も残っているのだ。

 それから、わたしはあの「なにか」に似たものを普段の生活から感じないか、周りの気配に注意するようになった。いや正確にはわたしは気配というものがいまいちよく分かっていないので、「なにか」の感覚を探すようになったと言ったほうがよいかもしれない。

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