第02話 命


 ―― あの日から、二日目の朝…

 

 むさ苦しい中年男が獣道を駆けていく。


 「だぁああ… はぁあ… はあぁあ… 」


 息を切らした中年男。登山帽子を被り、口周りに無精髭。眼鏡をかけ、ちょっとだけ筋肉質な中肉中背の、どこにでもいる齢五十前後の中年男。


 「はぁはぁ… やっと… やっとついた… かざね… いるのか? 」


 返事は無い。“かざね〟と呼ばれる人物が付近にいる様子はなく中年男は、祠の扉を両手で開いた。

 

 「おおっ! やはり… 心配するな もう大丈夫だ」


 タオルに包まれた赤ん坊を、腕に抱きしめ山を降りはじめた中年男は、今朝の出来事を思いだした。

 

 (“かざね〟が耳元で俺の名を呼び、ややこを救えという… 何ともリアルな感覚ではあったが… やはり、夢ではなかったか… )


 この中年男、名を “小桧山 源一郎こひやまげんいちろう〟という。現在は、児童養護施設の職員として施設内の設備点検やメンテナンスを主に、日々生活の糧としていた。こう見えて源一郎は、合気道指導員を修得していたため施設内の隅に建てられた道場で、週に三日、無償で希望する施設の子や町の子供達に教えていた。

 よくある護身術というやつだった。空手や柔道のように、派手さは無いが身を守る術を正しく理解出来ればと、はじめた道場であった。

 

 源一郎は、施設内で寝泊りする事も採用条件の1つで、ああ… ガードマンもやらされているようだ。施設側としてみれば割と良物件な男だ、しかも独身。

 この日も、居酒屋から戻り施設内を巡回した後、布団に潜り就寝につく。だが、深夜三時頃… 耳元… いや、頭に直接的に声がする。とても懐かしく逢いたかった声がした。


 「おい… おーい… 源… 源一郎… 」


 「ううっ… 何だ? かざね? かざねなのか? どこだ どこにいる? 」


 “かざね〟が返事をする。


 「源一郎 久しいのう 元気そうで何よりじゃ お前に1つ頼みたいのじゃが… 聞いてくれないかのう… 」


 寂しそうに“かざね〟が言う。源一郎は答えた。


 「もちろん、聞けるものなら聞くが! そんな事より三十年… いや、もっとか… 1つも連絡もよこさず、どこにいる!? 」


 「今も祠じゃ 覚えとるか? 」


 「ああ、覚えているとも 」


 「そうか、それなら話は早い すぐに迎えに来い ややこを助けて欲しい」

 

 「ややこ… ややこって赤ん坊のことか!? どこの子だ!? 」


 「詳しい事は、後々説明する わしは… わしは… ややこの命を救ってしまった… ほっとけば死ぬだけのややこを… ややこの命に関わってしまった… 」


 「わかった、かざね お前には借りもある あの祠に行けばいいんだな? 」


 「すまんのう源一郎 祠で待つ… 」


 源一郎は布団から飛び起き、部屋の中を見渡した。特に意味は無い。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し口の中に注ぎ込む。


 迷ってはいられない。半信半疑であったが、もし… “かざね〟が言う、ややこが実在したら… 源一郎は夢の会話に出てきた祠を目指し車を飛ばした。

 …… …


▽▽▽


 ―― 月日が経ち…


 “託也たくや〟と名付けられた赤ん坊は、すくすくと育っていた。不思議な能力と共に…

 もちろん、その力に目覚めているのを源一郎も解っていた。1つは、異常なほどの回復力。転んで出来た擦り傷、切り傷があっという間に治癒していくのだ。

 次は、風? 空気? これは源一郎にも理解出来なかった。巷でいう“デコピン〟そう、あのデコピンである。託也と一緒に栗拾いに行った時の事だった。

 源一郎が、長い棒で栗を落としていたのを見ていた託也が取った行動は、樹に実る栗目掛けてデコピンをしだした。


 ビュボッ


 指先から凄い音がした。空気を断ち切るような… 圧縮するような… 聞いたこと無い音がしたのを覚えている。栗は吹き飛び拾う話ではない。まだ、小学校に上がる前の出来事だった。


 託也は中学に上がると、人付き合いも少なくなり児童施設の同級生や後輩先輩以外の交流を閉ざしてしまう。まぁ… 分からなくもない。

 

 託也は、源一郎の子供として育てられていた。“小桧山 託也こひやまたくや〟と名付けられ。施設の先輩は゛たくや゛、後輩や同級生達は゛タッくん゛や゛タッちゃん゛と呼び、特に大きなトラブルもなくやってきた。託也自身、トラブルを避けながら生活して来たのだと思う。

 学業のほうは普通だった。むしろ、普通に合わせて目立たないよう生活してきたと思う。それを、源一郎が託也に確認する事は一度も無かった。


▽▽▽


 ―― 託也 十五歳…


 源一郎は末期癌と闘ってきた… 病気と託也が知らされたのは中学に上がり、すぐの事だった。託也が十二歳の時である。

 闘病生活も最後、自宅に帰る許可が出た源一郎は部屋の寝床で横になる。

 時間はもう無い… 真実を教えてやるべきか、それとも何も言わず、このまま逝けばいいのか… 


 身体を起こし、源一郎は徐に自身の子供の頃の話をし出した。託也は、宿題をしていた手を止め、源一郎の話に耳を傾ける。


 「昔な… 子供の頃の話だ 俺は、ここよりずっと田舎な集落に住んでいた。お前も知っているだろ… “風穴堂〟が近くに祀られている…

 歳の近い子供も、四人くらいしかいなかったが缶蹴りや隠れんぼしたりして遊んでいたもんだ… 

 ある年の夏休み、まだ小学生の頃だ。何時ものように皆で缶蹴りをしていると、缶を守る鬼役である俺の近くに1人の女の子がやってきた。真っ白い着物を着て真っ赤な簪をしていたのを今でもハッキリ覚えている。名を聞くと、その女の子は“かざね〟と名乗った。何でも、夏休みで親と一緒に集落へ帰郷中との事だった。俺達は“かざね〟を仲間に入れて、缶蹴りや隠れんぼを夏休み中続けた。

 しかし、“かざね〟は夏休みが終わると、ぷっつりと姿を現さなくなった。誰に聞いても理由は分からなかったが親と帰郷してると言っていたので家に戻ったのだろうと、その時は思った…


 だが、毎年夏休みになると“かざね〟は戻ってきた… 次の年も… その次の年もな…


 まるで、昨日まで一緒に缶蹴りをした次の日のように“かざね〟は言うんだよ


 「缶蹴り いーれて」


 ニコリと笑って言うんだよ…


 俺が中学校に上がるまで、そんな夏休みが続いた。

 妙に思ったよ… 毎年、同じ白い着物に真っ赤な簪をして… 身長も出会った頃と変わらない… まるで… 歳を取らない…

 

 その頃だな、合気道を習い始めたのは… 今じゃお前に適わないがな ハハハ 」


 黙って聞いていた託也が口を開く。


 「親父… その“かざね〟という子と俺は何か関係があるのか? 」


 源一郎が託也を見て答えた。


 「ああ… その通りだ かざねにお前を迎えに行くよう頼まれた。」


 源一郎は、十五年前の出来事を託也に話した。最初は信じられないという顔をしていた託也だったが、自身に秘める能力と何が関係があるのかと直感的に想うのだった。


 「じゃあ “かざね〟という人が俺の本当の両親を知っているのか? 」


 「いや… 詳しい話は後々説明すると言って… 十五年、音信不通だ。毎年暇な時をみて祠に行ってみたが、一度も会えんかったな… 両親の事を知りたいのか? 」

 

 託也は一瞬、考え込むが解らないと答える。


 「気になるなら逢いに行けばいい… 地図は書いてやる。 知りたい事は全て聞け… お前の中にあるちからについてもな… 」


 源一郎は紙に、祠までの地図を書くと黙って床についた。


 それから三日後、源一郎は静かに息を引き取った…


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