サマーロマンスはどこに

人新

第1話 夏の始まり 1

 高校生になって二度目の夏休みを迎える前日。僕は担当教諭から縁のないはずの第二職員室で幕川夕日教諭がお前を待っていると言われた。もちろん、第二職員室など縁がないのだから、幕川夕日教諭など顔も知らないし、名前も聞いたことがない。

 最初は倦怠感を言い訳にした近頃の、サボりや遅刻なんかを咎められるのかと思ったが、それなら担任の教師が言えばいいわけだし、そうではないのだろう。

 だったら、理由は何かと考えようとしたが、別にそんな程度で頭をはたかせるほどではない。ただ単純に、結果だけを聞けばいいのだ。だから、僕は廊下を渡り、第二職員室を目指していくことにした。

 それにしても、暑い。僕の通う高校は近場に高い建物がないので、風があまり吹き抜けないのだ。だから、夏の我が校は一日乗らなかった車の中のように、むわっと気が狂いそうなほど暑い。

 僕はブラウスの裾をもう一段階、折り曲げほとんど半袖のような状態にする。無論、肌の露出部分を増やしたところで風が吹いていない限り暑さは変わらないのだが、幾分かには気分的に涼しく感じるのだ。

 長い廊下を渡りながら、窓辺の景色を眺める。そこには一面、砂漠のような灼熱の熱気を漂わせるグラウンドがある。その上では、まるで罰ゲームか何かのように全力疾走で直線上を走る選手が数人見られた。暑い、見ているだけで、こっちまでも汗が噴き出しそうだ。けど、彼らにはこの暑さも、またあの寒さも慣れているのだろうか、どうも僕と同じような心情ではいないように感じる。

 長い廊下を渡り終えると、やたらと平均年齢が高くなり、浦島現象のように、生徒から教師に顔ぶれが変わっていく。

 僕は役立たない推測で第二職員室は三階にあると判断し、同じ階のままでさらに廊下の左方の果てへと進んでいく。すると、突き当たりの部分でネームパネルが一つ主張するように飛び出ていた。そこにはしっかりと筆記体で、第二職員室と書かれてある。

 僕はどうもスムーズに扉を開ける気にはならず、その場で考えを張り巡らせるように呆然と立ち尽くす。

 まず、なぜ僕は第二職員室に呼ばれたのか。さっきは、結果だけでいいと、かっこつけたけど、いやいや過程が大事なんだ。怒られる案件なら、事前にそれさえをわかっていれば僕の十八番(ではないと思うけど、得意だ)の嘘の言い分が炸裂するから説得時間も半減するし、逆に、褒められる案件なら、同じように十八番を用いて説得時間を増やすことができる。まぁ、だからといって、なんだというわけだが、とにかく第二職員室というのは印象が良くないのだ。なにせ、第二職員室の存在意義は生徒の指導を主としているからだ。つまり、君は普段から、本当に素晴らしい模範的生徒であると囃し立てられるか、君は全く学生の体を成していない。まるで生産性のないモラトリアム的な大学生のようだと口を酸っぱくして言われるかの二択なのだ。

 僕は間違いなく普段の素行からして後者にあてはまるだろう。

 だが、さっきも言ったように、それなら担当教諭が僕に直接言ってくれればいいのだ。別に、僕はぐれているわけでもないし、顔つきも怖いわけではない。言われたことは半分聞き入れてるし、注意されたことは三回に一回反省している。僕は模範的な若者だ。

 では、なぜ僕は呼び出されたのか。

 そんな途方もないループを繰り返していると、後ろから野太い声がかかった。

「何か用か?」

 少々驚いてしまい、僕は肩を震わせながら、振り返る。そこには昭和的な人間と言うべくか眉が太く、精悍な顔つきで、熱血という言葉を信条としてそうな、言わば僕の嫌いなカテゴリーの熱い男がそこにいた。おそらく、体育教師だろう。

 僕は別段、用はありませんと嘘を吐き、その熱男が職員室に入れるように入り口付近を空けた。

 だが、熱男には僕の気遣いを感じ取れぬほどの朴念仁なのか、ただ一目散に僕の事を見ている。こんな男にじろじろ見られるほど嬉しくないものはない。吐きそうだ。

 ただ、それはあくまで僕の過剰な反応であって、実際は熱男は僕をじろじろと長く見たわけはなく、普通に気になる程度に見渡しだけである。

 熱男は口を開く。

「お前、灰ヶ崎か」

 それが肯定文だったのか、疑問文だったのかはわからないが、おそらく後者だと思う。とりあえず、僕の名前はどちらにせよ、灰ヶ崎なので、頷く。

 すると、熱男はそうか、そうかと独り呟きながら、とりあえず職員室の中で話があると、僕に言い、半ば強制で職員室の中へと連行されることとなった。ただ、結果的にこれは正しく。僕は熱男の背中にぴらぴらとした吊り下げしき名札を見て、この男が幕川夕日であることを知った。

 職員室の中は我らの学費とか公費とか、税金とかで秋のような気温を保っていた。おそらく、この室温は22度ほどだろうが、我らの勉学を勤しむ場は老朽した扇風機、時々28度のエコもくそもないクーラーのみの構成である。そのくせにして、校長はこれほど整った環境は世界を見ても、日本が稀であると大変満足そうに言うのだ。こういうぐうの音も出ない比較論を持ち出す、スピーチは非常に説得力が欠ける。今頃、きっと校長は涼しい部屋でゼロカロリーのコーラーを呑みながら、スマホでもいじってるか、微笑ましい顔をしながら下心満載で、女子水泳部の練習でも窓から覗き込んでいるのだろう。

 と、そんな風にいつのまにか校長にヘイトを集めていると、熱男は自身の持ち場所に行くことはなく、応接室の方へと行った。応接室と言えば、説教が長くなるパターンである。 

熱男は僕を応接室に招き入れると、適当に腰を掛けてくれと言った。腰を掛けると言っても、周りには一脚のパイプ椅子とソファーしかない。立場的に僕はパイプ椅子を座るべきなのだけれど、熱男は昔にやった椅子取りゲームにでも名残があるのか、何も言わずにパイプ椅子に腰を掛けた。椅子は熱男の予期せぬ重さに悲鳴をあげては、やがて落ち着いた。

 僕は熱男の膝の上に座るわけにはいかないので、偉そうに足を組みながらソファーに座る。なんてことをせず、ちょこんと音を立てない程度で、ソファーに腰を掛けた。

 さて、何か言われるのかと思えば、焦らすのが得意そうな熱男はアイキャッチを挟む要領で、たばこをくわえ、火をつけた。喫煙者の肩幅が狭く成り行くこの時代に堂々と生徒の前で断りも入れずにたばこを吸うその姿は今の時代では絶滅危惧種である。そろそろ、ワシントンなんとかがこの男に対して規定でも入れるのではないだろうか。

 男は別に美味くもなさそうに、義務感のある一服を終えると、ポケット灰皿に吸い殻を放り込み、一つ背を伸ばしてからこちらの方に目を向けた。

「さて、灰ヶ崎。話があるんだが」

 僕はこの男は単にアホなのではないかと思った。なににせよ、あれだけ一服して間を空けながら、開口一発がこれなのである。さすがに、僕の家のテレビが一つのチャンネルしか点かず、こんなテンポのドラマしか流れなかったら、間違いなく問屋にそのテレビを卸しに行くだろう。もしくは、不法投棄をしてでも捨てる。

 ただ、人によって、話し方のスタイルや順序は大きく変わるので、その点は仕方のないことだ。僕はなんでしょうかと言い、優秀な生徒のように迷いなき顔で熱男に視線を向ける。

「実はだな、お前に依頼が来ているんだ」

 一体、僕はいつから探偵にでもなったのかと思う。もしくは、殺し屋だろうか。

 とりあえず、どちらにせよ、依頼の意味合いがどういうものかがまったくわからないので、依頼という言葉にクエスチョンマークをつけ、熱男に返す。

「あぁ、依頼というのはなんか誇張表現だったなぁ、そこまで大層なものではないんだ」     

そこはどうでもいいので、早く内容を言ってほしいものである。

「なんて言ったらいいのか、お願い事というか、望みというか」

 どうやら言葉選びで熱男は頭を悩ませているみたいだ。まだここは涼しいからいいものの、こんなやりとりを外でやられたら間違いなく僕はこの男にラリアットをして、退学させられていただろう。

 熱男はようやくにして、依頼に変わる言葉を望みに統一したらしく、話し始めた。思えば、望みと依頼は結構、意味合いが違うと思うのだが。まぁ、そこはいいか。

「実はだな……。の前に、お前、今悩んでないか?」

 むしろ、それが本題ではないのだろうか。ただ、の前に、と言ってるから、話題の前置きか、話を広げるための策なのだろう。だが、さすがに後者はタモリでも使用しないと思う。とにかく、僕は熱男の意図のないその質問に対しては、無愛想にないと返答した。

「そうか。だったら、いいんだがな」

 その言葉を告げた後の、熱男の顔色はどこか盟友が遠い地に行くときの表情に似ていた。

「さて、本題なんだが」

 熱男は腕を膝元に下ろし、リングの角で座るボクサーのように目線をこちらに飛ばす。

 さて、ここまで長い行程で一体、どのような本題が出されるのか。僕は別段、覚悟を決めるわけもなく、ただいつものような表情で待ち受ける。

「ぜひ見舞いに行ってきて欲しいんだ」

 熱男は間違いなく学生時代には国語が常に赤点だったに違いない。いや、むしろ、ここまでのこの男の発言を見て、もしかするとこの男の言葉の不器用な使用加減は文豪レベルかもしれない。そうだ、きっと何か伏線めいたことでも言いたくて、今までの発言をしたのだ。ただ、だったらなんの伏線かと考えたら、一切何も見えてこないので、単に熱男は不器用なだけだ。

 僕は本心では、この男にどこか呆れる部分があったが、それは見せないで、見舞いの相手は誰ですかと答えた。思えば、男は見舞いと見合いを間違えてはいないかと心配になる。   

 熱男は視線を左方に向け、窓辺の向こう側を見た。その視線の中にはきっと、別校舎の屋上のフェンスや、雲の断片、澄んだ空が入っているのだろう。そして、目をそちらに向けながら、口を小さく開け。

「俺もわからん」と言った。

 間違いない、この男は今、クスリでも決めているのか、単に究極のアホなのだ。逆に、ここまで堂々と自身の発言に対して顔を赤くしないというのなら、それはもう何かの賞でももらえると思う。その賞金で、余生でも楽しんでおいて欲しい。

 ただ、実は僕はそれを文学めいた何かを言いたいのだろうとこの男にどこかまだ信頼をしており、再度発言した際には、見舞いの相手の名前が出てくることを期待し待つ。

「で、どうだ?」

 あぁ、熱男は本当に僕の予想するその図の型にぴったりあてはまる男なのだ。もう、この男には逆転劇も信じないし、どんでん返しも信じない。おそらく、この男の脳みそはプロテインパウダーで構成されているのだ。その味はきっと甘いストロベリー風味だろう。

 さて、僕はなんと答えれば良いのか。これがまた、正解がわからない。ここで、僕はこの男の要望を承諾すれば、きっとどこかの病院か、もしくはこの男の夢物語でできたドラッグタウンにでも行って誰かの見舞いに行かねばならないのだろう。だったら、面倒ごと自体が嫌いなので断らせていただこうと思う。

 だが、断り方がいまいちわからない。普通に行きませんと断言すればいいのだろうが、どうもこの男だ。普通のホモサピエンスとは違う雰囲気を漂わせるこの男には取り扱いマニュアルが在庫切れしているためか、全く反応が読めないのだ。それに、この男の人生教科書はきっと肉体を中心として進めていたに違いないので、断り次第で僕はプロレスの数多の技を掛けられるのではないかと思う。そうなれば、無論、PTAだかPTSだか、なんかの教育信者がその事を下敷きして、今の教育に関しての持論を持ちかけながら、どや顔しつつ満足そうな顔で現環境の不備を述べるだろう。ただ、そんな状況下でもこの男は何も動じることなく、次の日にはけろっと学校に来て、教鞭をとるだろうと思う。この男にはそんな未来しか見えない。うらやましい限りである。

 さてさて、話がそれて長くなったが、結局、僕は今、二つの選択になぜか迫られているのである。考えてみれば、どうして人は二択などを作ったのだろう思う。どちらも選べないときがあるのに。

 こうして、僕は長く、その二択に対し頭を悩ませた。僕はこう見えて、かなりの優柔不断なのだ。

 やがて、その末に僕は決心した。よし、断ろう。仮に、この男が僕に何かの技を仕打ちしてきても、僕は非暴力・一部的非服従の精神で何もせずそれに耐えようと思う。

 やめておきます。

おそらく、『て』の部分までは熱男の耳に届いたと思う。だが、その先からは全く耳に入れていないためか、答えの認証は不可であったというように、熱男はパイプ椅子から立ち上がり、僕に一枚のメモ用紙を渡した。そして、何も言わずに、応接室から出て行った。

 ドアの閉まる音がする。今はただ冷房の空調しかこの部屋には響いていない。

 僕はおそらく一分ほどは自身の状況に理解できずに、ソファーの上で呆然と扉部分を眺めていたと思う。

 やがて、自分の現状を理解することができ、僕は無意識に立ち上がった。

 どういう意味だ。どういう意味だ。

 まるでどこかでカメラでも仕掛けられていて、何かの説検証のために僕はいたずらに使われているのではないかと思った。だが、そんないたずらにわざわざ僕が選ばれる余事もない。 

 とにかく、僕が現状をより深く理解するにはこの右手にある小さな紙切れ一枚だけが頼りであることがわかった。

 僕はその無地でどこにでもあるメモ用紙の一枚に目を向ける。

 そこには端的にこう書かれていた。

『坂井中央病院、204号室』と。

 さて、この少ない情報は僕の行動を左右するのだろうか?

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