依存症
黒い綿棒
第1話
「あっ、もしもし。今日のセミナーに、予約した者なんですが」
女房に勝手に申し込まれた禁煙セミナー。
初回は、仕方なく参加したものの、禁煙ガムや、シールだ啓発本に
全く心ときめかない僕が、人の忠告に耳を貸す訳もなく、
予定は無いが、そこはそこ。
『仕事が立て込んでいる』と、嘘の連絡を入れ、
こっちはパチンコでもして、時間を潰そうと高を括っていた。
僕は、女房に無理やり渡されたクリニックの連絡先が書かれた
メモ紙を鞄から取り出し、携帯から、その番号に電話を掛ける。
「はっ?いや、違いますけど」
電話越しの男性の反応に、僕はメモを見返した。間違えたかな?
「すいません。間違えました」
「あっ、ちょっと待って!ちょっと!」
掛け間違えた事を謝り、早々に電話を切ろうとした僕に、電話先の
相手は、慌てた様子で話しかけてきた。
「えっ?えっ?」
人生の中で、何度か間違い電話を掛けてしまった事はあるが、
間違えた先から、呼び止められるのは初めてだった。
僕は、予想外の展開に慌てて、電話を切ろうとした指を、
咄嗟に画面から離した。
「あのぅ、すいません。出来れば、助けて欲しいんですが」
益々、意味が分からない。
「はっ?」
「助けて欲しいんです」
「はぁ」
暫しの沈黙が電波を支配する。
「いや、『はぁ』では、なくて」
全く事態が掴めない。
火事か何かなら、きっと彼は、もっと焦っているだろう。
拉致や監禁なら、電話に出れるわけが無い。
電話先の男性は、その声から、そう焦っているわけでもなく、
困っているようにも感じられなかった。
「助けるって、あなた、どうかしたんですか?」
「戸田です」
「えっ?」
「戸田と言います、私」
「あぁ、戸田さんね」
名前など聞いていない。何か噛み合わない会話に
僕は苛立ちを覚えた。
「実は、迷子になってしまいまして」
これも、分かるようで、分からない。
声からして僕と同じ世代。
四十から五十。いい歳こいて迷子になんか、なるものか。
「迷子って、あんた。今、どこら辺なんですか?
助けろったって、あまりに遠いなら、私も行くに行けませんよ」
「樹海です」
「樹海?樹海って、富士の樹海?」
「はい。そちらになります」
「あんた、たまに頭に来る言い方するよね」
「いや、すいません。そんなつもりは、ないんです。
お恥ずかしい話。実は、自殺しようと思い立って、樹海に入った
んですが、ちょっと予定を変更しまして、自殺を止めようかなと…
で、樹海から出たいんですが、これが迷ってしまいまして。
そんな折、ちょうど携帯が鳴った次第です」
自殺は思い立つものか、はたまた、変更が効くものか。
彼の言葉に、だいたいを理解した僕は、心の中で
『めんどくさいのに電話したぁ』
と、後悔した。
「…もしもし」
「あっ、はい。聞いてますよ」
「助けて頂けますか?」
行けない距離ではない。
たぶん、電車で一時間くらい。
そして、運が悪いことに、僕には時間を潰さないといけない
理由が足元を埋めていた。
「えぇ、行きます」
そう言うと、僕は電話を切り、加えていたタバコを足元に捨てた。
足元には、チグハグな会話の間に吸っては消したタバコの吸殻が
一、二、三、四と散らばっている。
やはり、電話番号を打ち間違えていた。
戸田という樹海の迷子に、だいたいの場所を聞いた僕は、電話を切り
発信履歴とメモ書きを確認した。
たった一つの番号違い。その為に、僕は電車に乗り、樹海の入り口に
立っている。
彼の言っていた場所に来たものの、これから、
どっちに向えばいいものか。周りは、とうに暗くなっている。
しばらく考えていると、そんな暗闇からポーっと小さな灯りが現れて、
僕の方に近づいてきた。
「ちょっと、君?こんな所で、何してるの?」
それは、自転車に乗った制服姿の警察官だった。
警察官は、僕の様子を不審そうに伺っている。
僕は、樹海の男のことを話すことにした。
すると、警察官は困った表情を浮かべ、帽子を取り、頭をポリポリと掻くと
自転車から降り、樹海の方に歩き始めた。
何も分からない僕も、その後に続いた。
「あんたも、お人好しだね。でも、折角で申し訳ないんだが、その戸田っちゅう
のは、常習犯なんだわ」
「常習犯?」
「そう。これで七回目。まぁ、要は『かまってちゃん』なわけ。樹海に入っては、
誰かに助けを求めて、あんたは心配したんだろうけど、本人は最初から死ぬ気で
なんぞ、更々、ないんだから…それに、ほらっ。おいっ!戸田よ!戸田〜、
出て来い!」
警察官の大声が暗闇に響き渡る。
そして、暫くもせぬ間に、樹海からは小柄な男が、バツの悪そうな
顔をして現れた。
「な、迷うほど深くも入ってないんだわ」
そう言うと、警察官は戸田の首根っこを掴み、僕の前に連れて来た。
「…戸田です」
最後の最後まで、ズレている。
掛ける言葉も見当たらず、僕には怪訝な表情を浮かべるしか出来なかった。
警察官と、かまってちゃん。そして、馬鹿なお人好し。
樹海を前に、三者が立ち尽くす暗闇の中。
それを引き裂いたには、一笛のサイレンだった。
【ウゥ〜!】
パトカーが僕たちを、そのヘッドライトで照らし、
その眩しさに顔をしかめている内に、警察官等はパトカーから降り、
僕たちの身柄を確保した。
署に連行されて数時間。僕は解放され外に出た。
「あの自転車の警察官。あれね、実は偽物。あぁして自作の制服着て
夜な夜なパトロールごっこしてる男なんです。何度も注意してるが
止めなくてね。変な癖というか、中毒というか」
署を出た僕は、いの一番に、タバコを取り出し、火をつけた。
煙の上がっていく先には、偽警官と、偽迷子がいるであろう取調室の
明かりが煌々と灯っている。
『中毒ねぇ。人に迷惑掛けないなら、勝手だが』
そう思いにふける僕に、パトロール帰りの警察官が、入口のほうにを指差した。
【署敷地内禁煙】
「おっと、灰皿、灰皿」
依存症 黒い綿棒 @kuroi-menbou
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