終焉の烙印 ーThe stigma of the endー
亜貴 千翼
ープロローグー
第1話 終焉の紋章 〜プロローグ〜
「うっ!」
壁に背中から叩き付けられる瞬間、身体強化のスキルを咄嗟に纏うが、それ以上の衝撃を受け思わず呻き声をあげた。
炎により焼かれた皮膚は、痛々しく赤黒く腫れ上がり、各部から先ほどまでの闘いによる、赤い血が滴る。立ち上がろうと力を入れるが、上手く身体の隅々まで伝わらない。
ーーかなりの深傷だ。
仲間たちと、依頼のために訪れたダンジョンにおいて、これの咆哮と共に、進入してきたはずの扉は消えてしまったのだ。退路を断たれた、最悪の状況である。
ただ、全てが悪い結果ではない。それは、仲間たち全員が扉が無くなる前に、この場から退散することができたことだろうか!?
この隻眼の少年を、ひとり残して…………。
残された少年は、巨大なこれと相対していた。これと少年の間には、圧倒的な力の差があった。
生き残ることだけを考えて、戦い始めたにも関わらず、今は血を流し、地面に倒れ込んでいる自分がいる。
彼の左眼に付いていた眼帯も、攻撃を受けた際に何処かにいってしまったのか、隠されていた内には、幼き日に付けられた消せない傷跡があった。
遮るものを無くしたことで、造形の整った逞しくも美しい黒髪の少年の顔が、先ほどよりハッキリとわかる。
赤黒い炎を纏った、大きな腕を振り回し、それを弾き飛ばした漆黒の龍は、今、敵であろう倒れた少年の姿を、しっかりと見つめながら、残念至極な気持ちを浮かべていた。
ーー我の眠る、このダンジョンにさえ潜ってこなければ、我と遭遇さえしなければ、このようなことにはならなかったのに、と。
少し無骨ではあるが、どこか気品があり、しっかりとした身形をしていたのなら、王族と言われても納得してしまう。それほどまでに、この少年には気高さが伴っていた。
悠久の時の中でも、これほど心奪われたことはない……。
これと呼ばれたであろう存在は、目の前に倒れているそれのことを、そう思わずにはいられなかった。
ーー何という美しい人の子だろう。
そして、見入ってしまった。こちらを見つめる、それの眼を……。
正確には、今まで覆い隠されていたはずの左眼の、欠けた血のように赤い紅瞳を……。
この闘いも龍にとっては、永劫とも言える時間の中での、たわいもない戯れあいのひとときのはずだった。
それと闘い、勝った方は残り、敗れたそれは滅ぶ。
それが、摂理というものだ。
先ほどまでは、確かにそうであったはず……。
『……うっっ!!!!』
だが、今は何かが違う。
彼の左眼が、終わりを告げている。
終わり……それは即ち、死を告げていると直感した。いや、本能が感じさせたと言った方が正しいのかもしれない。
目を逸らす事も出来ず、先ほどまでの、それとの優位性が揺らぐ。
圧倒的な力の差であっても、それの前では何の意味も持たない。弱者と強者の壁すらも、それには意味がない。そう、全ての理からも、それは解かれた存在なのだと自覚する。
引き込まれるように、その妖しく光を放った目の釘付けとなる。
彼の左眼の中にある紋章が、今まさに自身の存在や名や歴史さえ、全てを奈落の底に引き摺り込もうと、『終焉』の二文字が物語ってくる。
初めての感情が、この龍にも訪れていた。悠久の時を生きた龍種の頂点と言えども、消滅や死に対して、他の生き物と同じく恐怖するのだと悟る。
恐怖に負け、思わずみっともない大きな声で叫んでしまった。
『……みみ、みっ……見るなっーーーー!!!!』
だが、その瞳は決して逃してくれそうもない。
二天龍と、神より称された神龍の一頭である闇の龍、『ダーク』は生まれて初めて「終わり」というものを理解した。
『…………これが死』
せめて願わくば、自身を滅ぼせるほどの力を持った、不完全な終焉の眼を持つ人の子が、この世界にどんな結末を望むのか!?
彼の眼は、まだ完成していない。欠けている、つまり未完成なのだ。
『ダーク』は思った。自身の知識の中にある古の言葉が気になった。何故そんな事を今、思い出したのか自身でもわからない。
その瞳の紋章を見つめながら、彼の行く末を見てみたいと、藁にもすがる思いで、何かに願う事しか出来なかった。
…………そして、神龍と呼ばれた『ダーク』だった存在は終焉を迎えた。
少年は、先ほどまで自分の事を睨んでいたドラゴンが、急に音もなく崩れていく様を茫然と眺めていた。
傷の痛みすら忘れたかのように……。
「?、ん?? ……どうなってやがる」
思わず、声が漏れた。
何かをした覚えはない。むしろ、仲間と分断されてからは、ずっと死を覚悟していた。その死は、それほど遠くなかったはずだった。
傷ついた身体を起こし首を捻る。
しばらく経って、朽ちたドラゴンの残骸の影から突然、恐怖を感じさせる子どもの声が響く。
「そそ、そ、その眼を早くしまってくれっ! 見つめるでないぞ、ご、ご主人様よっ」
ん? 眼? 目を瞑ればいいのか? ……違うか!?
床に落ちていた眼帯を拾い、自身の左眼を覆う。
ーーそんなに、この眼は酷いのか!?
この目を、人はよく思っていないことは、少年も十分理解している。しかし、ストレートに面と向かって言われると傷つく。まして、子どもに言われると……国にいる、幼い弟妹たちに言われているようで、少年はショックのあまり目眩を覚え、その場に膝をついた。
眼帯を付け終わると同時に様子を伺っていたのか、ドラゴンの影からひょっこりと、褐色の肌の黒髪ロングで、全裸の幼女が顔を覗かせる。
涙目でおどおどしながら、話しかけてきた。
「……もう、妾わらわを見ないかぇ? ……ご主人様よ。 ……いやー、びっくりしたわい。まさか、そんなモノを持っておるとは……。さすが、ご主人様じゃ!」
「……ご主人様?? ん……君は誰なんだ? まさか、さっきのドラゴンとかっ!?」
「そうじゃ、妾を倒した者なんじゃから、妾のご主人様じゃ! 龍とは強いものに従うもの、そこは譲れんって。
それとドラゴンと呼ぶのはやめてくれんかのぉ!? あのような下等な生き物と一緒にせんでくれ。
龍種でごっちゃに、よくされるが本来、龍とは1ランク以上、蜥蜴の奴らと次元が違うのじゃ」
胸を張りドヤ顔を決めながら、そう言った。
「妾は古の時代に神々より、二天龍と呼ばれし神龍じゃ。
妾は『ダーク』。漆黒の闇の神龍『ダーク』じゃ。
まあ、最も今し方死んで、もはやそのような力は、全く残っておらんが……」
どうやら幼女は、この朽ちているドラゴンのようだ。いや、龍という方がいいのか!?
龍は現在、その表面を徐々に黒いものが侵食していき、やがて塵となって全身が崩壊していくだろう。いずれ、この場には何も残らない。
神龍ーー古竜(エンシェントドラゴン)より、上位で竜種の最高峰と伝説では語られているが、この龍がそれであるなら、通りで手も足も出なかったわけだ。少年は、こてんぱんにヤラれた状況を納得した。
その神龍様に倒したと言われても、自分は何もしていないし、終始劣勢で転がっていただけとの自覚もある。
さっきまでの戦闘を思い返して、そう言われても複雑な気持ちにしかならない。
「……そか。まあ、いいや。
俺はジェナス・レイナード。ロークランド連合国家、グリンガム大府に所属するギルド【
今回は、このナディア女王国の要請を受けて、遺跡調査のためこのダンジョンに潜ってた。
…………ところで……ここからは出れるんだろうな!?」
自己紹介を済ませ、この場所に1人だけ閉じ込められる原因となった、後方にある消えた扉の壁を見詰めながら聞いてみた。おそらく、この神龍ダークがやった事だろう。
「心配せんでも良い。仲間の者と早く合流したいであろうが、妾と少し話をしてくれんか?」
ダークの頭の中には、彼の目に宿る紋章の興味しかなかった。
自身の生命を容易く奪った紋章ーー正直、ありえないのである。
ヒトに紋章を与えたのは神なる存在である。神たちは不老不死でもある。もちろん、自分自身も神龍と呼ばれる神の一角なのだ。
しかし、その与えた親というべき存在すら殺しかねない。この世界の理をねじ曲げる、このような危険な紋章をヒトに与えた神への疑問が残る。
昔、何処かの国で絵の名人が壁に四頭の龍の絵を描いたが、睛を描き入れると龍が飛び去ると言って、睛を描き入れなかったらしい。
世間の人は、これを出鱈目とし信用せず、是非にと言って無理やり睛を描き入れさせたところ、たちまち睛を入れた二頭の龍が天に昇り、睛を入れなかった二頭はそのまま残ったという故事があったはず。
この故事から、物事を完成する為に、最後に加える大切な仕上げの事を、確か『画竜点睛』という言葉があったはず……。
なら、物事を完璧にする為に、最後に加える大切な仕上げが終わった時、彼の眼にある《終焉の紋章》が完成した時、この世界はどうなるのか?
ふと『ダーク』は考えてしまった。
物事全体を生かす中心にいるであろう、少年が抱える数奇な運命に『ダーク』は興味を持つ。
だからこそ、ジェナスに訊いてみたかったのだ。
「……出れるんだったら構わないけど……、手短にな」
ジェナスは、この何もない壁の向こうにいるであろう少女のことを思った。
甘い恋の話ではない。
全くないとも言えないが、それよりもこの話し合いに、あまり時間をかけたくないという思いがあった。
時間をかける事で、心配をしている少女の行動を自分はよく理解しているからだ。
その少女の性格から考えても、この壁を壊す為にあらゆる手で、遺跡を壊してしまうほどの魔法を使用する危険性がある。要は大惨事になる未来しか見えない。
暴走してしまうと後先を考えない、そんなところがある少女は可愛い義妹なのだ。
(エリシアのやつ、無茶しなければいいけど……)
想像しただけで、背筋にヒヤッとした冷たい汗が流れてくる。なので神龍幼女には手短にと言葉を付け足す。
「ほむ。時間という概念は妾はあんまり気にせんでも良いぞ」
「では、ご主人様よ、単刀直入に聞くが、その眼の紋章は《終焉の紋章》という、神をも殺せる呪われた紋章じゃ。
まだ、本来の力は呼び覚ましてはおらんようじゃがな」
「現に、そこに横たわる妾は存在すら、その紋章の前では許してもらえんかったようじゃが……しかし、最後の望みだけは、叶えてもらえたようじゃな」
と、付け加えニコリと、年相応の可愛らしい笑みを浮かべながらこちらに近寄ってきた。全裸で…………。
黒髪素裸の神龍幼女ダークは笑みをやめ、真面目な顔つきで本題を訊いてきた。
「何故、人であるご主人様が、そのような紋章を持っておるのか!? その理由が知りたい。これまでの事を訊いてもかまわんか?」
子どもとはいえ、流石に全裸では目のやり場に困る。ジェナスはあたふたしながら、幼女の方にあまり目線を向けないように、どこから話せばいいのか考える。
「時間を……気にしなくていいのなら、長くなるぞ。
俺の過去か……。あんまり面白いもんでもないんだけどな」
紋章のことは、正直よくわからない。
ダークに聞いて、この不完全な紋章に名前があるんだと知ったくらいだ。内容は、これまでどう過ごしてきたかで構わないと思い、覚えている事を順々に話すことにした。
「かまわんよ。妾が知りたいのでな」
「じゃあ……ダーク。聞いてくれるか?」
「……んー、そのダークはやめてくれんかの? 恥ずかしい話じゃが……先ほど、ご主人様に全てを殺されたわけじゃし……。
心機一転というか……そのなぁ、新しい名を、ご主人様がくれるというのはどうじゃ……」
と、申し訳なさそうに言ってきた。
「……新しい名か!? うーん?? まあ、それなら安直だが『クー』でどうだ?」
「……『クー』、クー……。うん、良いのぉ、気に入ったのじゃ! 末長くよろしくなのじゃ、ご主人様」
「じゃあ、クー。始めるぞーー」
18年というジェナス・レイナードの…………
いや、アーナス・ヴァリストンの、これまで生きてきた軌跡を、隣に座るクーに語り出した。
彼女はその傍にちょこんと座り、目を輝かせ耳を傾けるのだった。
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