第8話

 キャンディがおかしい。最初にそう気付いたのはいつだったろうか。彼女を冷たくあしらっていたあいつが、珍しく以前のように余り物を持ってきたときか。彼女は、満面の笑顔で言ったんだ。

「ありがとうございます、親切なお方」

 見知らぬ相手に対するような言葉に俺は絶句し、あいつは…何とも言えない表情かおをした。また別の日。一緒に暮らす俺に、キャンディは言った。

「坊や。もう遅いから、おうちにお帰りなさい」


 少しずつ少しずつ、キャンディは壊れていった。“壊れる”という表現は、人に使うものじゃないかもしれない。だけど、まさにそれがぴったりくる感じだった。

 俺やあいつのことを、そして自分自身のことさえも、忘れていたり覚えていたり。行きつ戻りつしながら。キャンディは、記憶を失っていった。


 さらさらと、指の間から砂が漏れていくような、そんな感じなの―。

 ある日、いつものキャンディに戻ったときに、彼女は言った。震えながら。

「…ねえ、私、どうなっちゃうの? 全部忘れちゃっても、私は私でいられるの?」


 この界隈で唯一の医者(本当の医者かどうかなんて、知らない)、通称“やぶ”の話では、ある種の遺伝病の症状らしい。少しずつ記憶が欠落して、やがて別人のようになる。その後は? ―やぶは、何も答えようとしなかった。


「…もしかして、私のお母さんも同じ病気だったのかも。後で迎えに来るつもりで、キャンディを渡して私を待たせておいて。だけど、症状が出て忘れちゃって、探しに来たときにはもう、保護された後で見つけられなかった」


 捨てたんじゃなくて、病気のせい―その推察を本当に信じているのか、彼女の表情からは読み取れなかったけれど。俺たちはただ、「かもな」と応えた。

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