第11話
その年の夏休みもずっとヨーコ姉ちゃんと山で遊んだ。俺は去年より強くなったので、去年は登れなかった木に登ったり、川を普通に泳いだりした。でも俺は去年と同じ遊びではなく、もっと違うこともしてみたくなった。そして提案してみた。
「ねえ、明日からさ、あの山登ってみない?」
そう言って俺が指さしたのは俺とヨーコ姉ちゃんが来るときに通る山ではない山。この川の流れてくる山。俺は去年も少し気になっていた。初めて会ったこの川は二人が来るときに通る山のちょうど谷の部分になるが、その山には川は流れておらず、別の山から流れてきているようだった。この川はどこから来てどこへ行くんだろう、と。それを調べたかった。
「あの山?あそこは、危ない気がする。」
「慎重に行けば大丈夫じゃないかな?」
「そういう事じゃなくて、何か・・・。それに行ったことないし、少し遠いよ?」
「とりあえず行ってみてさ、ヤバそうなら諦めればいいじゃん。」
そして次の日から未知の山に登ることになった。
大冒険になるかもしれないからとその日は朝の早い時間に待ち合わせをした。
いざ出発しようという時、ヨーコ姉ちゃんが
「やっぱりさ、止めない?」
と言った。
「なんで?」
「何か、いけないことのような気がするんだ。」
ヨーコ姉ちゃんのその言葉に俺は去年の友達を思い返した。
「うーん、じゃあ止める?」
無理して付き合わせちゃいけない。俺はヨーコ姉ちゃんが嫌なら別に行かなくてもいい。そう思っていたが
「・・・ううん。やっぱり何でもない。行こっか。」
そう言ってヨーコ姉ちゃんは歩き出した。そして
「マコト君と遊ぶの、楽しいから。大丈夫。けどもし何かあったら、ちゃんと助けてね。」
振り返りながらそう言った。もしかして俺が思ったことをヨーコ姉ちゃんも感じて、気を使ってくれたのかも知れないとも思ったが、そんなことは聞けなかった。
川をつたって山に向かって行くとその景色が一変した。今までは川の傍は石だらけで空が見えていたが、山に近づくにつれて空が見えなくなってきた。足場の石にもコケが生えてきた。今までの山とは違うと、その時理解できた。
それでも山に入ってしばらくは川を辿ればいいので道に迷うことはなく意気揚々と進めていたが、川はどんどん細くなりついには湧き水になってしまった。
「これじゃもう辿るとこないね。」
「どうしようか。」
「川はどこからくるのかって目的は果たしたけど。」
「帰る?」
川の大本は湧き水なんて当たり前のことなんだろうけど、俺は肩透かしを食らったような気分だった。根拠もなく、もっと凄い何かがあるんじゃないかと思っていたからだ。
「もうちょっと登ってみようよ。何かあるかも知れないし。ここで終わりは嫌だ。」
「でも頂上までは行けないんじゃないかな?道標になるような物も、もうないし。」
「行くだけ行ってみようよ。ダメなら引き返せばいいし。」
ここから先はただ登るだけ。より高いところを目指すだけ。登りながら思うのは、俺一人では絶対にここまで来れなかったということだ。怖いというのもある。でもそれ以上にヨーコ姉ちゃんの判断は的確だと思う。一度下らなければならない時や、足場が不安定な場所、そういった時にガムシャラな俺と違ってヨーコ姉ちゃんはしっかり考えている。もし俺一人ではもっと時間がかかっていただろうし、どこかで足を滑らせて怪我をしていたかも知れない。俺は一年で随分大人になったつもりだったけど、まだまだだったんだと思い知らされた。
遠目に見た時は相当高い山で、探検は数日がかりになると思っていたし、まさか頂上まで行けるとも思っていなかった。
でも初日に、まだ日が昇っている内に頂上に着くことができた。そこは小さな丘のようになっていて、木の生えている数も少なく生えていても背が低かった。そのため木に登らず地面にいても見通しが良く、簡単に四方を見渡すことができた。
「着いたね。」
「うん。」
「案外いけるもんだね。」
「そうだね。」
二人して意外という顔を見合わせた。
「俺さ、あっちに住んでるんだ。あの山の向こう。隠れちゃってて見えないけど。ヨーコ姉ちゃんは?」
「私?私はあっち。やっぱり見えないけどね。」
視界が開けていると言っても結局見えるのは山ばかり。だけどこんな景色はテレビでも見たことがない。どこを見ても人の気配のない山々。吹き抜ける風。それは今まで感じたことのない程の達成感と解放感、そしてなぜか少しの安心感があった。
「やっぱりマコト君は凄いね。」
囁くような小さな声でヨーコ姉ちゃんが言った。
その言葉の意味が俺にはよくわからなかった。
「俺なんか全然だよ。」
「そんなことない。・・・私ね、毎日退屈して、・・・色々嫌になっちゃって。内緒であの場所に遊びに来てたの。でもマコト君にこの山に登ろうって言われたとき躊躇しちゃった。私、結局自分で狭めてたのかも知れない。マコト君はいつも私に新しい遊びをしようって言ってくれるから、マコト君のお陰で私、楽しいっていうことがわかった気がする。ありがとね。」
ヨーコ姉ちゃんは真っ直ぐ俺の目を見ていた。忘れもしない、初めて会ったあの時のように。
「俺もさ、前にも言ったけど友達と上手くいってなかったんだ。でもヨーコ姉ちゃんのお陰で仲直りできたし、それに今日この山に登れたのも、登ろうと思ったのも、全部ヨーコ姉ちゃんがいたからだよ。俺一人じゃ絶対ここまで来れなかった。ヨーコ姉ちゃんと二人だからこの景色が見れたんだと思う。だから俺の方こそ、その、ありがと。」
思っていることを、心からの言葉だけど面と向かってお礼を言うのは照れてしまう。
それから俺とヨーコ姉ちゃんは二人、手をつないで景色を眺めていた。どれくらいの時間が経ったかはよくわからない。そんなに経っていないと思うけど自分では全く感覚がなくなっていた。それどころじゃないくらい、俺は繋いだ手のことで胸がいっぱいで景色なんて見れてなかった。他の女の子と手を繋いでもこんな気持ちになることなんてなかった。その感覚を、気持ちを、俺はまだ頭で理解ができていなかった。
ただわかっていることは、この時間がきっと人生の中で最高の時なんだってことだけだった。
「太陽が、もう落ちてきちゃったね。」
ヨーコ姉ちゃんにそう言われて俺は意識が戻った。見上げるともう時間にゆとりがないことがわかる。
「帰ろっか。」
当たり前のこと。頭ではわかっているのに。早く帰らないと日が落ちてしまうのに。俺はずっとここにいたいと思っていた。帰りたくないわけじゃない、ただ、今が終わるのが嫌だった。
「今すぐじゃなきゃ、ダメかな。」
「うん、早くしないと。」
「俺、もっとここにいたい。もう少しだけでいいから。」
自分でも我儘だと思っている。まるで理屈の通らない子供の我儘。でもそれを
「しょうがないなあ。少しだけだよ?」
と囁き、肩を寄せ俺にもたれかかるようにするヨーコ姉ちゃん。
その時、俺は高揚感と共に全能感すら感じていたと思う。頭が真っ白になりながら、心臓の鼓動が早くなっていることを、息が荒くなっていることを、汗ばんでいることを、ヨーコ姉ちゃんに知られたら恥ずかしいと思いながらその距離を離すことはできなかった。
それから少しして、
「・・・もう、限界かな。・・・行こっか。」
ヨーコ姉ちゃんが俺から離れる。太陽はさっきより更に落ちていた。
夢の時間は、終わってしまった。
それからは急いで山を下った。来るときに危険そうな場所は覚えているので時間をかけずに下れたとは思うが、それでも湧き水のところに着くころには夕暮れになっていたし、いつもの川に着いた時には暗くなり始めていた。
「足元気を付けてね。」
「ごめん。俺が我儘言ったせいでこんな遅くなって。ヨーコ姉ちゃんは大丈夫?帰れる?」
「大丈夫だよ。マコト君も気をつけてね。」
薄暗くなってはいたが慣れた道、俺はそんなに苦労することなく帰りの山の頂上まで着いた。その頃にはもう日が沈んでいたが、そこからは道がひらけているので月明かりが十分入ってきてそんなに困ることはなかった。
家に着いたのは夕飯の頃。
「どこ行ってたの!」
母親に怒られたがまさか一人で遠くの山に行っているとは思わないのか適当に謝ったら許してくれた。普段から日が沈んでも中々帰らないのもいいカモフラージュになっていたのかも知れない。
特にお小言もなく、俺は次の日も普通にいつもの川に向かった。初めての時は探り探り下りて行ったことが懐かしく思える程、俺は簡単に進むことができるようになっていた。
いつもの川に着いて岩の上でヨーコ姉ちゃんを待つ。
来ない。
その日は太陽が真上に来ても、傾いても、沈みそうになっても、ヨーコ姉ちゃんは来なかった。もしかして帰り道に事故にあったのかもしれない。不安になったが俺はヨーコ姉ちゃんの来る方の山を登ったことがない。道がわからなければ相当苦労するだろう。はたして俺一人で行けるのだろうか。だけど今日はもう日が沈む。
俺が行ってみたところでどうにもならないことはわかっているが明日、明日になったら、行ってみようか。
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