10-8 聖性


 消え去った牙象マンモスが存在していた場所には、いくつもの武器や道具が転がっていた。

 どうやら、これまでにも魔力を秘めた物品を取り込んで、自身の能力を増大させていたらしい。


「やあ、姫様から拝借した武器も、ありもうした」


 弾んだ声を上げ、やたら柄が長い剣とも穂先が異常に長い短槍ともつかぬ、不思議な形状の武器を拾い上げるサザンカ。

 慣れない武器で苦戦したとか言っていたが、たしかにカタナ使いがこんな物を渡されても、困るわな。


 聞けば、魔力や呪いの類いを切り払う効果が付与されているらしい。社としては攻撃がまるで効かない牙象に対し、魔物の固有能力で防いでいる、と踏んだんだろう。

 実際、精霊が毛皮をまとっていたから物理攻撃が効きませんでした、だなんて誰が想像するというのか。


「結果論だけど、使い慣れたカタナの方が良かったんじゃないか?」


 たまたま俺がいたから敵の正体に気づくことができたとはいえ、サザンカの『気』をまとった剣技であれば、そのうち倒せたようにも思う。


「いえ、拙者の愛刀は赤銅竜との戦いで折れてしまいまして……この国には、その責を負って出向していたのでござる」


 そのカタナはバーグピア自治領の国宝で、折ったことの責任を取る必要があったとのだという。

 古代竜エンシェントドラゴンをソロで討伐する、なんて偉業を成した英傑に対して、ずいぶんな仕打ちだな。サムライの考え方は、よくわからん。


 散らばった残りの武器も回収し、来た道を戻る。

 先だっての大技でさすがに魔力が枯渇したか、サザンカのまとう『気』がかなり弱まっていた。


 吹雪は収まったが気温は低い、あまり無理はさせたくないな。遠慮する彼女を説き伏せて細い体を背負わせてもらい、その上から外套を羽織る。

 氷河の足鎧サバトンで滑走していけば、そう時間をかけず、社に辿り着けるだろう。


「なにからなにまで、かたじけのうござる」

「なに言ってんだ、功労者が。それより、見ろよ」


 雪上を滑りながら、申し訳なさそうにしがみつくサザンカに、山裾を示してやる。

 煉瓦造りの屋根が段々畑のように広がるペン・ボン=ブークの街、その上空に七色の帯が、下向きの緩い弧を描いて走っている。


「わあ……虹でござるな……綺麗……!」


 厳密には虹じゃなくて水平環と呼ばれる現象じゃないかなあと思うが、確信が持てないし無粋だから、黙っておく。

 でも少女の言うとおり綺麗だな、アレクシアたちにも見せてやりたいもんだ。


 きゅっ、と俺の肩口から首に回された腕に、力がこもった。


「本当に……素敵でござる……」


 俺の後ろ髪に頬をうずめるようにして、つぶやくサザンカ。

 少し、くすぐったい。


 美しい景色を横目に滑走する俺たちの向かう先で、山の斜度が急激に高まり出す。

 目指す巫女姫の社まで、もうすぐだった。


 * * *


 エンパシエ巫長国の宮殿でもある巫女姫の社は、巨大な岩棚とその奥に穿たれた洞窟に築かれていた。

 黒塗りの柱と赤い漆喰の壁は落ち着いた色合いだが、そこここにかけられた異国情緒あふれる壁画や織物は、対照的に色鮮やかだ。


 外気を遮断するためか戸や窓は閉め切られ、蝋燭と灯りの魔道具によって内装が照らされていた。

 高い天井との合間にはかすかな煙がたなびいており、風変わりな香の匂いが漂う幽玄な趣の廊下を、地味な色合いの衣をまとった神官が静かに行き来する。


 男は一様に髪を短く刈り、女も飾り気がない引っ詰め髪だ。城下の民衆がじゃらじゃら装飾品を身に着けているのと対照的で、清貧を体現したかのような装いである。

 ちらほらと見かける参拝客も厳粛な雰囲気に気圧されたかのように、沈黙を守って大人しく装飾を眺めたり、案内の神職に従って社の奥へ向かったりしていた。


 俺とサザンカは壁沿いを目立たぬように歩き、社の奥へと進んでいた。武装の類いは仕舞っているが、物々しい雰囲気は隠せまい。

 行く手を遮るような素振りを見せる神官もいたが、少女の顔を認めると、独特の敬礼とともに道を譲ってくれる。


 岩棚に築かれた建物は、参拝者が拝礼したり、神職が社務を行うための場所だ。巫女姫とその臣下が、政務や祭礼を行う本殿は、洞窟の更に奥にある。

 漆喰の壁がいつしか岩肌に変わり、装飾物が減っていく一方、しんと冷えた空気が漂い出した。


「サザンカ殿、よくお戻りになられました」


 天井は高いが幅は数人が並ぶのがせいぜいの、曲がりくねった洞窟。その奥から、配下と思しき者を数人従えた、中年の女性神官が現れた。

 他と違って紫色の高級そうな上衣をまとっており、厳格そのものといった顔つきをしている。


「巫女長殿、首尾良く魔物の討伐は成り申した。こちら、協力していただいた――」

「存じ上げております。イアン殿、お久しぶりですね」

「ご無沙汰しています」


 にこりともせず会釈する巫女長に、こちらも頭を下げる。

 以前ここを訪れた際に挨拶くらいはしたが、まさか勇者一行の従者扱いだった俺を、覚えているとは。


ひめがお待ちです、お二人とも、こちらへ」


 それ以上の言葉を交わすこともなく、淡々と踵を返す巫女長。ああそうだった、こういう人だったっけ。

 彼女が連れていた配下の神職、いずれも年若い少女たちに囲まれてサザンカと二人、巫女長の後を追う。


 素っ気なくあしらわれたような形になったサザンカであるが、特に気にした風もなく従っていた。

 それなりの期間ここで過ごしているなら、巫女長の態度も慣れっこなんだろうな。


 左右の岩壁は等間隔にくり抜かれ、一体ごとに異なる石像が彫られている。

 前に訪れた際にアレクシアとキャロラインが確かめていたが、中には裏側まできっちり造形された立像もあった。

 そこまでするなら別個で石像を作って、後から置いた方が楽だろうに。


 やくたいもないことを考えているうち、本殿の最奥の玄室に辿り着いた。

 三重に垂らされた緞帳をくぐると、急に外界から隔絶されたように静寂が場に満ち、かすかに桃のような香りが鼻先をくすぐる。


 正方形の部屋には、色とりどりの糸で織られた布が敷かれ、その中央に一人の少女が座っていた。


 純白の髪は足を越えて長く長く伸び、周囲に広がる。半透明のヴェールの下には、未成熟な体に張りつくような淡い桃色の薄絹。

 見た目は十にも満たない幼い外見は、もう何十年も変化していないらしい。


 彼女こそ、この国の長。

 巫女姫ニマ=ソナム・クンガナムカ・エンパシエ、その人である。


 人形のように整った花のかんばせを上げてこちらに向けるが、長い睫毛は伏せられたまま持ち上がることはない。


「サザンカ様、よくお務めを果たしてくださいました。お礼を申し上げます」

「もったいないお言葉にござる」


 か細いが不思議と耳に染み入る可憐な声をかけられ、サザンカは片膝をつき深々と頭を垂れた。


 自然とそうせざるを得ない、穏やかだが逆らいがたい雰囲気が巫女姫にはある。

 俺は感じたことがないがマルグリットにも、そうした聖性が備わっているらしい。


「イアン様、お久しゅうございます。息災そうでなによりです」

「姫様も変わりないようで、良かった……っと、これ言っちゃいけないことだったか?」


 その場にあぐらをかきながら、おどけた調子で問うと、ニマ=ソナムは小さな唇を柔らかくほころばせた。


「ほほほ。相変わらずですね」


 人族ヒューマでありながら長命種以上の不変性を保つ少女に、『お変わりなく』は皮肉めいた言葉に聞こえるだろう。

 現に隣のサザンカはぎょっとした顔でこちらを見ているが、巫女姫は気にした風もなく口元を小さな手で隠し、上品な笑い声を上げている。


 以前に拝謁した際には俺も、もう少し畏まって接していたんだ。

 しかしアレクシアがいつもの調子で遠慮なく話しかけるうち、ニマ=ソナムの方がくだけた態度を表すようになった。


 謹厳実直な臣下たちに囲まれていると、気楽に接することができる相手を欲するのだろうか。

 本人から聞いた話じゃあこのなにもない部屋を中心に、本殿の限られた空間でだけ過ごしているため、寂しい思いをすることもあるという。


 かといって本殿を長く離れると巫女としての聖性を損なってしまうらしく、彼女の力によって命脈を保っているこの国のため、今の境遇に甘んじているそうだ。

 そんな彼女に甘えるようで申し訳ないが、俺がここに来たのは、まさにその巫女姫の能力を当てにしてのことだ。


「姫様のことだから、俺が知りたいことはわかっていると思う」

「……はい。魔王のこと、その権能に対抗する方法のことですね」


 本当なら茶飲み話にでもつきあってやりたいところだけれど、先に片づけねばならない問題がある。

 この場に座しながら世界中の景色を幻視することができ、各地に残された伝承を記憶することができるという、巫女姫の異能。


 そいつを頼りに、無敵に思える魔王の攻略法を、見いださなければならなかった。

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