10-9 称号


「……結論から申しますと、魔王の権能に対抗する方法は、ございます」


 巫女姫は静かにそう言った。

 俺にとっては希望の福音となる言葉、しかし少女の顔は思わしげで、続きをためらうかのようだ。


「どうすりゃいい? 頼む、教えてくれ」


 あの、でたらめな能力に対抗しようってんだ、代償が大きそうなのはわかる。

 それでも、俺がアレクシアたちを助けるために必要ならば、大概のものは差し出す覚悟があった。


 事情をわかっていないサザンカも、その場に正座し大人しく続きを待っている。

 俺たちの視線を受け、瞑目したままの──といっても彼女は、盲目なのだが──ニマ=ソナムは、ぽつりぽつりと言葉をつむいだ。


「希少性の高い称号の持ち主には権能が効かないと、魔王は言っていましたね?」


 あの場での戦いを見聞きしていたかのように、巫女姫が尋ねる。

 そういえば魔王のやつが、そんなことをぼやいていたな。


「であればイアン様も、称号を得られればよろしいのです」

「いや、そんな簡単な話じゃあないだろう」


 称号は偉業を成した者が、天から授かるものだ。

 生命樹教会や魔術師ギルドのような世界的組織の公認を受けるなり、大陸中に雷名を轟かすような武功を立てるなりしなければ、得られるものではない。


 アレクシアだって初代勇者の子孫であり、各地で活躍し名声を高めていたが、条件を満たせなかった。

 難攻不落の“あおぐろき密林迷宮”を踏破し、失われた聖剣アイエスを見いだして認められることで、ようやく勇者の称号を得たのだ。


「……そういえばサザンカ、お前も称号を持ってたりするのか?」

「はあ。恥ずかしながら『剣聖』と『竜伐者』の称号を賜っております」


 後者はわかる、ソロで古代竜エンシェントドラゴンを打ち倒すなんて偉業を成し遂げたんだ、そりゃ称号を得られるさ。


 対して前者は、バーグピア自治領で一番の剣士になった際、授かったのだという。

 どういう基準で『国一番の剣士』というのが選ばれるのか不明だが、サザンカが言葉を濁したので、それ以上は聞かなかった。俺には縁のなさそうな話だしな。


「称号とは一朝一夕に得られるものではありませんが、例外はあります。たとえば、長く空であった地位に就くこと。誰も倒せなかった難敵を下すこと。そして、一人として扱うことの叶わなかった神器の主となること」


 うつむきがちだった顔を上げ、ニマ=ソナムはこちらを向いた。

 見えないはずの目をこちらに向ける、その虚ろな瞳は血のように赤い。


 柔和な表情は変わりないというのに、愛らしい顔に不吉な雰囲気が漂っていた。

 そして、静かな声にも。


「イアン様。その命、神器に捧げるお覚悟はありますか?」


 * * *


 巫女姫に案内され、本殿の更に奥へと向かった。他に同行者はなく、二人きりだ。

 通路に灯りはなく、先導するニマ=ソナムの小さな手だけを頼りにして、暗闇の中を進んでいく。


 幅は俺が両手を左右に伸ばせば壁につく程度、上に伸ばせば天井も触れた。

 舗装のされていない岩の床は緩い下り坂で、足音の反響やかすかな空気の流れから察するに、分かれ道はなさそうだ。


「落ち着いていますね」

「訓練しているからな」


 洞窟や迷宮を探索中、灯りなしで先行偵察する機会は、これまでもあった。

 ここまで完全な暗闇は初めてだが、視覚を失った程度で移動できなくなっては、勇者パーティの斥候は務まらない。


「そういうことではありません。命を捧げるという話を聞いても、落ち着いてらっしゃるな……と」


 それこそ今さらだ。魔王に対抗できるだけの称号を得ようっていうんだ、命懸けに決まっている。

 むしろ俺ごときが命を賭ける程度でなんとかなるのか、と拍子抜けしているくらいだった。それに。


「姫様の提案だ。乗る価値はあるだろう?」


 ただいたずらに死ぬとか寿命を縮めるとか、そういう類いだったら断っていた。

 俺は命を捨ててアレクシアたちに尽くしたいんじゃない、命懸けであいつらと、ともにいたいんだ。


 巫女姫だってそれをわかってくれている、と信じているからこそ、彼女の提案に乗ったのである。

 ニマ=ソナムは俺の問いに答えなかったが、握られた手にはかすかな力がこもり、少女の体温が伝わってきた。


 やがて黒一色の視界に、青白い光が差す。

 下り坂の先には小さな部屋があり、壁も床も天井も、見慣れぬ様式の魔術陣が刻まれていた。だが光を放っているのは陣ではなく、部屋の中心で浮かぶ拳大の結晶だ。


「魔石……じゃないな」

「はい。あれは『神石しんせき』といって、かつてこの世界を治めていた神の欠片だと言われています」


 生命樹教会に伝わる遺物や神器の持つ、暖かくも清らかで荘厳な、俺のような俗人でもわかる神聖さは感じさせない。


 角錐の底面をずらしてくっつけたような、ねじれた双角錐トラペゾヘドロン

 この結晶からは、嵐の前に湧き立つ雲を見上げるような、どこまでも深く底のない海を覗き込むような……人の身では計り知れない迫力が伝わってくる。


 不吉とか禍々しいといったものとは違う、あえて表現するなら『違和感』が近いか。この世の物ではなく、物理法則や魔術理論の外側にある、次元の異なる存在。

 確かに視認しているというのに、脳が実像を捉え切れていない。


「あまり注視しない方が良いでしょう」


 巫女姫に声をかけられ、はっと気づく。

 危ねぇ、完全に見入っていた。


「イアン様には、この神石を御していただきます」

「御す、って……どうやって?」

「わかりません」


 おい。

 思わず仲間たちにするように、肩なり腕なりをはたきそうになるが、さすがにそれは不敬が過ぎるかと自重する。


 ニマ=ソナムが顔つきを変えぬまま説明するところによると、この結晶はエンパシエ建国以前に存在した、原始的な宗教の祭器であったらしい。

 長時間に渡って見つめると正気を失い、直に触れると生命力や魔力を枯渇するまで吸い取られるという。


 ただの呪われた品のようにも思えるが、魔力を吸収するという性質は、魔物の出現を抑えることにも繋がる。

 そのため過去には、魔力が濃くなり過ぎた土地に結晶を持ち込んで枯渇させる、といったことも行っていたそうだ。


「といってもユウタロウ様……初代の勇者様が土地ごと浄化する儀式を編み出しましたので、ここ百年は持ち出されたことはないのですが」


 ああそうだ、初代勇者ってそんな名前だったな。

 アレクシアの兄貴もその名を受け継いだんだっけ、思わぬところで思い出せた。


 ともあれ出番のなくなった神石は、ここで封印されたまま放置されている。

 巫女長が代替わりした際など、ときどき有効活用できる手段を模索する者も現れるのだが、芳しい成果は上がっていないそうだ。


 研究しようにも、長いこと調べていると正気を失っちまうんだ、むべなるかな。


「この神石を、イアン様。あなたに埋め込みます」

「……俺に、魔族マステマになれってか?」


 とんでもない提案に驚愕しつつ尋ねると、巫女姫は首を横に振った。


「魔族とは、魔石を移植した者。神石を身に宿した者は、そう呼びません」


 そんな、頓知じゃねえんだからよ。

 そもそも神石なんて初めて聞いたものだし、それを移植した人間なんて


 あれ? つまり、そうか。


「お気づきになられましたか? 神石を宿した人間は、この世界で最初にして唯一の存在となります」


 称号を得るための偉業は、なにも武功や組織の認定である必要はない。

 世界で誰にも成し得なかったこと、到達できなかった地平に辿り着くことこそが、偉大なる業績なのだ。


「正直、神石の移植に耐え切れたとしても、さしたる力は得られないでしょう。しかし称号の希少性という意味では、勇者にも勝るものとなります」


 なにせ世界初だもんな、珍しいってだけなら群を抜いている。


 でもその理屈でいうなら、世界で初めてであれば、なんでも良くはないか?

 たとえばゲテモノ食材を初めて食ったやつとか。


「そうかも知れませんが……今から、誰も食したことなき食材を探してみますか?」


 ああ、うん。難しいか。

 魔王に対抗するため食いを試みて食中毒で死にました、とか笑えない。


「過去の記録によれば、旧大陸で初めての魔族は、『魔征者』の称号を得ています。もっとも、すぐ倒されてしまったそうですが」


 魔石ひとつじゃ、ちょっと強力な魔物と同程度だもんな。

 腕の立つ冒険者パーティなら、さして苦戦はしないだろう。


 しかし魔石と神石という違いはあれど、称号を得られた事例はあるわけだ。

 つまりは、分の悪い賭けじゃあない。


「魔石を移植する技術は、幻視にて心得ています。実行は難しくありません」


 言葉は悪いが、巫女姫は世界最高の『覗き屋』である。

 その彼女が保証するのなら、移植自体は可能なのだろう。


「もし魔力が暴走することがあっても、先人の遺してくださったこの封印の間であれば、影響は最小限に抑えられるでしょう」

「問題は俺が、神石の移植に耐えられるか、ってことか」


 魔石であっても移植には凄まじい痛みと生命力の消耗を伴い、常人ならば耐えきれずに死ぬか、魂を汚染され魔物と化す。


 目の前に浮かぶ結晶の圧倒的な存在感、この世の物ならざる違和感。

 こんなもの体に埋め込んで、はたして俺は無事でいられるか、そして俺のままでいられるのか。


「そればかりは、耐えていただく他ありません。ですが、きっと大丈夫です」

「……根拠は?」


 ずっとつないだままだったニマ=ソナムの手に、再び力がこもった。

 こちらを向いた幼い顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。


「あなたは、こんなところで倒れる人ではありませんから」


 当然のことを口にしているような声音で、世界の全てを幻視する巫女姫は言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る