10-5 模倣


 進めば進むほど風は強く、降雪は増えていった。

 もはや自然現象というより、そういう攻撃を受けているような気さえしてくる。


 雲で覆われているはずの頭上は不思議と明るいのだが、かすかな日差しを雪が乱反射させるため、よけいに視界は閉ざされた。

 白一色に染まる景色の中で、サザンカだけが浮かび上がっている。


 彼女は白い上着と黒い胸甲、『ハカマ』という赤い下衣を着つけ直していた。

 足を包むのは指先の分かれた靴下と、藁を編んで作ったと思しきサンダルだ。


 整えられた庭園を歩くならともかく、雪中行軍にはまるで向かない格好である。

 だというのに彼女は毛足の長い絨毯でも踏んでいるかのごとく、わずかに沈む雪に足を取られもせず、すたすたと前進していた。


 そもそもよく見ると、少女に降り注ぐ雪はその髪や服に積もることなく、それどころか触れる直前に溶けて消えている。

 エンリのような拳士が使うのと同様の、『気』によるものらしい。


 俺のいた穴に飛び込んできたときは大騒ぎだったが、万全の態勢であれば、寒さなどものともしないというわけか。

 なるほど、あんな薄着で極寒の山をうろつくだけはある。


「イアン殿、平気でござるか?」

「……おお、どうにかな」


 気遣わしげに問いかけるサザンカに、完全装備の俺はどうにか答える。

 最初は呼吸するのもきついくらいだったが、だんだんとコツを掴んできたぞ。


 なるべく細く長く、息を吸う。急速に外気を取り込むと肺腑まで凍りつきそうだから、ゆっくりと少しずつ。

 逆に息を吐くときは、大きく短く。ぱっと出してすぐ口を閉じる。


 そうやって体内に空気を循環させつつ、普段は魔術の使用時くらいしか意識しない魔力を、体の隅々に送り込むイメージを描いた。

 一流の前衛職が無自覚にやっていることを、意識的に模倣する。


 そして最後は、体さばきだ。腕の振り方、足の運び方、体幹の保たせ方。

 目の前にサザンカというお手本を置いて、脳裏に刻まれた様々な強者の動きと照合していく。


 アレクシアのしなやかかつ躍動感みなぎる体づかい、エンリの力強くも軽やかな足取り、ゴスの密やかで流麗な動作。

 そして肉食獣の獰猛さと人間の狡猾さを併せて体現したような、静かにして圧倒的な速度を誇る、“白撃はくげき”コバックの身ごなし。


 最低の性格をした、ムカつく野郎だ。

 しかし獣人セリアンの俺が前衛職の真似事をするなら、四天王最速のあの動きこそが、最適解にして理想型であった。


「おお……」


 なぜか前を歩いていたサザンカが半身で振り返り、感心した声を上げる。


「大したものでござるな、この短時間で環境に適応していらっしゃる」

「猿真似はわりと得意でね」


 などとうそぶいてみるが、自分でも驚いていた。

 なにか詰まっていた樋が急に水通りを良くしたような、卵の薄皮を引っ剥がしたような、不思議な爽快さがある。


 血の巡りが活性化して視界が開け、体じゅうに魔力が行き通っているのを感じた。

 先ほどまでは死と隣り合わせで歩いている気分であったのに、今は新生児のように目の前がまぶしく開けている。


 四天王戦からこっち、実力に見合わない強敵相手に四苦八苦しどおしだった。

 その経験が俺の血肉となって、ようやく存分に発揮できる状態になった気がする。


「サザンカ。そういえば武器は見つかったか?」

「いやあ、来し方を直線上に進んでいるはずなのでござるが、どうにも。なに、いざとなれば拙者、素手でも戦う術は心得てござる」


 これほど見事に『気』を使いこなせるなら、拳を真剣にも匹敵する威力で振るうこともできよう。

 それでも慣れた戦い方ができた方が、勝ち目は上がるはずだ。


 俺は無詠唱で〈宝箱アイテムボックス〉を発動させ、緊急用にと納めているアレクシアの、予備のカタナを取り出す。


「これを使え。俺の仲間の物だから、貸すだけだぞ」

「おお、これはかたじけない」


 隣に並んで鞘ごと渡すと、少女は滑らかな手さばきでカタナを抜いて、虚空に向けひと振りした。

 なにげない動作だというのに眼前の吹雪がすぱりと切れて一瞬、雪景色に裂け目が生まれる。


 無論すぐに元どおりの白一色に覆われるが、いま尋常でないことを軽々やりやがったぞ、こいつ。


「なかなか性の良いカタナでござるな。異国にも優れた匠はいるようで」


 カタナを鞘に納めながら、にかっと笑う。

 その幼い表情からは想像だにできなかったが、こいつアレクシア並みの……いや、純粋な剣技だけなら、アレクシア以上の腕なんじゃないか?


「それに、今の魔術も凄いでござる、イアン殿は一流の魔術師でありましたか」


 俺の戦慄に気づいた風もなく褒めてくれるが、そちらは大したことじゃない。肉体の活性に回している魔力を、そのまま呪文の発動に融通しただけだ。

 ゴスのやつが、激しい戦闘中でも黒魔術で移動する、あの技術の真似である。


「俺の本分は中間距離からの投擲だ。魔術での援護はあまり期待しないでくれ」

「ほう、それは心強い。敵は的が大きゅうござるから、撃ち放題でござるよ」


 自分で猪武者だって言っていたものな、冒険者における前衛職のような動きはできないのだろう。

 そこは俺の方が気を配って、こいつが戦いやすいよう援護してやろう。


 お互い戦っている姿を見たことがないんだ、連携もなにもない。

 臨機応変に動ける相互の位置取りなどを頭の中で考えていたら、吹き荒ぶ風に混ざって、大きな管楽器を吹き鳴らすような音が聞こえてきた。


「近うござるな」

「ああ」


 竪穴で感じたものよりもはっきりと、断続的な震動が伝わってくる。

 どうやらゆっくりと遠ざかっているようだが、この方向は。


「街へ向かっているのか?」

「の、ようでござるな」


 俺が通ってきた径路と違うから気づくのが遅れたが、大きく迂回しながらも山裾へ向かっているのは間違いない。

 街の兵士と協力して挟み撃ちにできるかも、という考えがちらりと浮かぶが、難しいかな。


 飛び道具で援護するくらいはできるだろうが、精鋭である社の守護兵もかなわない相手だ、無駄な犠牲が出かねない。

 結局、二人でやるしかないか。


「先行いたす」


 一定の歩調で進んでいたサザンカが、予備動作なしに走り出した。

 すごいな、三歩目には最高速に乗っている。俺も外套と上着を脱いで〈宝箱〉に納めると、氷河の足鎧サバトンで雪原を凍らせながら、追随する。


 固めちまえば雪を踏みながら歩くより進みやすく、最初からこうすれば良かったと思う反面、吹きつける雪と風の勢いは相対的に強まる。

 自ら〈凍嵐フリージングストーム〉の呪文に突っ込んでいるようなもので、長くは保たないなこりゃ。


「はああっ!」


 幸いといって良いのか、標的はすぐに見つかった。

 前方から裂帛の気合いが轟き、巨大な四足獣にサザンカが切りかかっている。


 太い足に大きな耳、伸びた鼻と長大な牙。造形は俺の知る象に近いが、全身が剛毛に覆われ、なにより上に向かって湾曲した牙の長さと太さが段違いだ。

 魔物化したことで攻撃性が増したのか、元が草食獣とは思えないほど凶悪な気配を放っている。


 体だけの大きさなら、二階建ての家屋くらいか。あまりに牙が長いため、体の高さ以上に、ぐっと圧力がある。

 火巨人ファイアジャイアントだの古代竜エンシェントドラゴンだのと、非常識な巨体の主とばかり戦っていたせいか、あれくらいの体格の方が現実的な脅威を覚えるな。


 そんな牙象マンモスの牙の一方には、色鮮やかな赤い布が巻きついていた。

 まさかやつ自身が選んだ装いとも思えないし、強い魔力を発しているのを感じる。サザンカが暴走させたという魔道具は、あれか?


 その少女はといえば、咆哮とともに突っ込んでくる牙象の横に回り込み、太い足に切りつけていた。

 カタナを抜きざまに一歩、踏み込むと同時に横ざまに一閃。


 体は微動だにしないのに斬光だけが通り抜けた、そう見えるほどの速さで繰り出された一撃が、巨木のような牙象の足を切断した。

 鮮血が迸り雪原を染める──


 そう思ったのだが、血の一滴もこぼさぬまま渦巻く吹雪が傷口に集中するや、瞬く間に切断面を埋めてしまった。

 治癒とか再生といった話ではない、まるで斬られる前に時間を戻したかのようだ。


「むむむ、やはり末端部への攻撃は効かんでござるか」


 一歩一歩がえらく距離のあるバックステップで後退してきたサザンカが、悔しそうに言った。

 結果として無傷で健在といえど痛みはあったのか、牙象は猛り狂ってこちらへ突進してくる。


 設置面積の広い足は積雪などものともせず地を踏みしだき、巨体に信じがたいほどの速度を与えた。

 眼窩に満ちた闇の中に爛々と光る赤い灯りが、まっすぐに少女へ向けられている。


 頭を低くしたことで前方を向いた、太い部分は一抱えはありそうな牙。

 そいつが、さながら破城槌のごとく少女の体に迫った。

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