9-6 遁走


 尻尾を巻いて逃げ出す以外に、俺ができることを考えろ。

 どうも相手を即死させる視線も、体を操る言葉も、一度に一人しか狙えないようだ。


 魔王にとっては、魔術を使いながら片手間に行えるようなことらしいが、それでも隙は隙である。

 一瞬でも意識が逸れるなら、アレクシアに攻撃させることはできるはず。


 だがその隙を作り出すためには、やつの攻撃に身を晒さなければならない。

 俺がばらばらにぶっ飛んでいるのに、勇者が動揺せずに攻撃を叩き込めるかというと、難しいだろうな。


 やつの移動方法、特に結界に感知されずこの場に現れた手段が謎な以上、賭けではあるが……これしかないか。


「鳩の案内を頼む」


 キャロラインに符丁を伝え、俺は少年魔王との間に常にアレクシアを挟むように位置取りながら、じりじりと後退した。

 やつはちらっとこちらに目をやったものの、すぐに眼下の勇者に集中する。どうやら『吹き散らすものエクスティンギッシャ』による飛ぶ斬撃は、魔王にとっても警戒に値するものらしい。


 ツバサの死を呼ぶ視線の有効射程が、もしも『いちど見た相手ならいつでもどこでも狙える』とか『不可視の使い魔ごしにでも攻撃可能』だったら、俺はおしまいだな。

 あまりに理不尽な前提すぎて、変な笑いがこみ上げてくる。


 それでも覚悟を決めると、後退りから転じて一気に背を向け駆け出した。


「ひ、ひいいっ! 死にたくねえよぉ!」


 せいぜい情けなく聞こえるよう悲鳴を上げて、全力で逃げる。

 後ろは振り返るな、やつの攻撃が飛んできても少女たちが守ってくれると信じろ。


 背中の方から閃光が走るが、特に痛みなどはない。やつの〈光穿フォトンピアース〉を、勇者か聖女が防いでくれたか。

 そして走る俺の横を影が併走し、わずかに頭を覗かせた後、俺の影と同化した。


『大した演技だね』

『すまん、ちょっと本音だ』


 使い魔の影獣シャドービーストを介して、キャロラインの念話が届く。

 先の符丁は正しく伝わったようで、少しほっとした。


 これまでも強すぎる敵に対して俺だけ戦線離脱し、戦場外から援護に徹することはあったけれど、あれほど圧倒的な相手は初めてだからな。

 心底びびって単純に逃げ出したと取られたら、少々悲しい。いや、あの娘らが今さらそんな風に思うわけはないだろうが。


『キャロ、逃げるついでに煙玉を撒いてきた。〈発火ティンダー〉あたりで燃やせ』

『了解。とにかく〈光穿〉をなんとかしないとね』


 理解が早くて助かる、どうやら彼女も動揺から立ち直りつつあるようだ。

 〈光穿〉は極めて強力な攻撃呪文だが、霧や煙などを通過すると拡散してしまい、威力が大幅に落ちる。


 魔女の使える呪文なら他に、魔力の鏡を作り出し呪文を反射することも可能だが、彼我の速度差を考えると煙の方が確実だろう。

 感覚を共有して戦場の様子を覗き見することはできる、敵の視界外からだって、やれることはあるって見せてやる。


 いや、見られちゃ困るんだけどな。


 * * *


 俺がみっともなく遁走したのを小馬鹿にした表情で見送った魔王だが、他の面々に対しては油断ならない相手と見たか、けして地上に降りることなく〈光穿〉での遠距離攻撃に徹していた。

 それにしてもどんだけ魔力があるんだ、あいつ。


「まずは回復役から潰すのが鉄則、なんだが……」


 少年がぼやくとおり、マルグリットもたびたび攻撃に晒されているものの、手にした錫杖から展開される障壁は貫かれずにいる。

 十二天将に寄ってたかって攻撃されたときとは違うんだ、いかにツバサの魔力が強大でも、単独なら聖女の防御が突破されるわけがない。


「熱よ高まりて火を放て、〈発火〉」


 その隙にキャロラインの放った火花が散って、あちこちに散らばった煙玉に着火した。

 花火で遊んでいたときにもやっていたが、単純な呪文を広範囲にばら撒くのがうまいよなあ。


 間を置かず、煙玉から白煙が立ち上り、あたりは雲海のごとき有様となった。

 煙の向こうに見え隠れする勇者パーティの姿に、眉を寄せた少年魔王は鬱陶しげに手を振るう。風の魔術で煙を晴らすか、方針を変えて別な呪文で攻撃してくるか。


「〈光穿〉」


 しかしやつが選んだのはどちらでもなく、両手を鍵盤楽器でも弾くかのように突き出すと、十指すべてから光線を放ってきた。

 威力が落とされるなら数で補おうってか、雑なやつだ。


 しかし有効な手といえなくもない。立ちこめる煙への対策をしている間に『吹き散らすもの』の一撃をぶち当ててもらう算段だったが、これでは下手に反撃を狙うと逆に隙を突かれかねない。

 事実、アレクシアは回避で手一杯となっており、マルグリットはその場に釘づけ、キャロラインは彼女の障壁の後ろから動けない。


「くっ」


 大剣を鞘に収めた勇者は、地面を転がりながら別な剣を抜いた。

 片刃の長剣で反りが全くなく、柄は刀身から微妙に斜めに据えられ、鍔があるべき部分には円筒が収まっている。


 切っ先を空中の魔王に向けたアレクシアは、柄の上部から飛び出した機構を操作しつつ、突きを繰り出した。

 その動作に伴って円筒が回転し、真っ直ぐな峰に沿って刻まれた溝が発光すると、爆発音とともにほの赤い光線が放たれた。


「ちっ」


 まるで自分の〈光穿〉の意趣返しのような攻撃に、舌打ちをしてツバサは身を翻し、胸元に撃ち込まれた光線をかわす。

 そういう場合じゃないとわかっているが、もったいない、と思ってしまう。


 勇者が使ったのは砲剣『閃襲熱撃砲ガンブ・レイド』。超高温の熱線を発射できる魔道具で、使い手の好みに合わせて剣状に仕立てられているが、実態は銃に近い。

 問題は特製の弾薬が非常に高価なことで、一発で庶民の年収分くらいする。


 当然“山吹党ニーベルング”のような金満集団ではない我がパーティに、数を揃えられるわけもなく、弾薬はいま撃った分も含めて六発しか持っていない。

 それでも、結果として外してはしまったが、威嚇としての効果はあったようだ。


 大振りの必要な『吹き散らすもの』と違って閃襲熱撃砲は狙い撃ちがたやすい、こうなると手近な距離で浮いている魔王は絶好の標的となるだろう。

 それを察したか、ツバサのやつも高度を上げて不意打ちを避けようとするが、それこそがこちらの狙いだ。


「今だ!」


 俺は〈遠視リモートビューイング〉越しに捉えていた魔王をにらみながら、傍らの味方に合図した。


「ふっ」


 短い呼気、そして金属質の弦音。

 風を切って飛んだ矢は山なりの軌道を描き、魔王の足下をかすめていく。


 俺の隣で長弓を構えた、すかさず次の矢をつがえた。

 影獣で感覚を共有しているとはいえ、実際に目視して射っているわけではない、どうしてもずれは生じる。そこを補うのが、俺の役目だ。


「上七、右四、奥二」

「心得ましたわ」


 おそろしく正確に射形を再現し、気負いもなく次の矢を放つ。

 先ほどとほぼ同じ、しかし微修正された牛娘の射撃は、狙いあやまたず魔王の羽に突き立った。そして弾着と同時に鏃に仕込まれた火薬が炸裂し、羽に大穴を空ける。


「なんだとぉっ!?」


 共有した感覚越しに、驚愕の声が伝わってくる。夜闇の向こう、遙か数百歩も離れた距離から狙撃されるなんて思いもしなかっただろう。

 ヘレネーナの“天の火ガーンデーヴァ”という異名の、面目躍如たる一撃だ。


 そう。戦場を脱した俺は一目散に藍之家へ向かい、彼女の協力を仰いだのだ。


 細かい事情も説明しきれぬまま、今は湖畔を見下ろす森の一角に身を潜めている。

 目標を直接に見ずに射つという、間接射撃の方法自体は以前から聞いており、黒耀竜との戦いを前にやり方だけ教わっていた。


 古代竜エンシェントドラゴン相手には披露する機会のなかった技術だが、思わぬところで役に立ったな。

 観測役は斥候のゴスが担うところを、今回は〈遠視〉の使える俺が代理を務めた。相手の視界に絶対に入れない以上、下手に近づかせるわけにはいかない。


 それにしても人間大の相手にぶっつけ本番で命中させられるかどうか、半信半疑だったけれど、牛娘の卓越した技量を思い知らされたぜ。

 作戦を持ちかけたとき『ふ、二人の共同作業ですわね!』とか謎の勢い込みをしていたのは、意味不明だったが。


「よし、移動するぞ」

「はいっ」


 この場所に留まって攻撃する方が命中精度は上がるだろうが、それで魔王に居場所がばれたら元も子もない。

 少なくとも影獣を通して見る分には、まだやつは今の攻撃が狙撃であること自体、気づいてなさそうだ。


 見られただけで死ぬ、なんて相手に対抗するんだ、慎重に慎重を期していかないとな。

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