5-10 人気


 バルの大河を臨む、グロートリヴィエの船着き場。


 岸に沿って大小の桟橋が何本も突き出し、岸辺には船小屋や加工場が立ち並ぶ。

 この街は全体が丘陵状になっているため、河岸から街を臨むと、領主の館を頂点にいくつもの坂道が伸びているのがわかった。


 対岸は朝靄に霞んで見えず、大河の穏やかな流れの中を、小型の漁船が何艘も漂っている。そういえば、そろそろ鱒の旬だったかな。

 俺は小舟を繰って桟橋へ寄せ、手早く係留した。


 この船着き場の管理人だろうか、侏族ドゥリンかと間違えそうなほど小柄な老人が歩み寄ってくる。あの種族は見た目が老けないから、この皺だらけの男は普通に人族ヒューマだろうけれど。


「兄ちゃん、ここは漁協の許可なしじゃ泊められないよ。冒険者は下流に回ってくれんと」

「悪いなおっちゃん、ちとワケありのお客を連れていてよ。見逃してくんねぇかな」


 謝罪の仕草を取りつつ、老人に銀貨数枚を渡す。

 一般的な船着き場の使用料の三倍といったところだが、小さな手を動かして枚数を確認した彼は、しょうがないなという風にかぶりを振った。


「夕方までにはどかしてくれよ。戻らなかったら、漁協で引き取っちまうからな」

「ああ、それでいい」


 打ち捨てられていた小舟を魔術で無理やり修理した代物だ。多分、三日もせずに不具合が出ると思うが、それを正直に言う必要もなかろう。

 グロートリヴィエでキールストラの一行が目撃されたとわかった翌朝、俺たちは早速〈境門イセリアルゲート〉を用いて、この地に降り立っていた。


 情報を秘匿すべく、街の外に転移してからの密やかな侵入である。

 認識阻害のマントを羽織ったアレクシアに続いて、〈偽装ディスガイズ〉で姿を変えたマルグリットとキャロラインも船を下りた。


「そういえば、おっちゃん。風の噂で、“黄金剣ノートゥング”の旦那がなにかやらかしたって聞いたんだが、知ってるか?」

「耳が早いな、あんた。なんでも勇者ご一行と揉めたとかで、手配書が王都から回ってきて……ほれ、そこにも貼ってあらあ」


 老人の指さした先、船着き場の中にある小さな広場に、粗末な作りの板が立てられている。

 歩み寄って確かめると、どうやら漁業協同組合ギルドの掲示板のようで、貼られた紙は禁漁期の公示や従業員募集なんかだ。


 隣国で巨大な魔獣が暴れているので警戒せよ、なんて告知もあった。大河を挟んだ向こうの国の話といえど、もし魔獣が空を飛ぶ種であるなら人ごとじゃない。

 まあ、あの国には凄腕の七ツ星パーティがいる。あいつらなら、なんとかしてくれるだろう。


 そんな中に混ざって俺の作った手配書が掲示されているのだが、一枚だけ真新しい上に絵が入っているから、やたら目立つな。

 ただ、罪状を書き連ねた部分が破られていて、賞金にも取り消し線が引かれていた。


「勇者と言えばやたら持ち上げられてるけど、実際に魔王軍と戦ってるのは領軍の兵士や一般の冒険者さ。キールストラ様も、きっと嵌められたに違いねぇ」


 わざわざついてきた老人が、忌々しげに手配書を見上げながら唇を歪める。

 どうやら手配書を貼るところまでは冒険者ギルドの要請で断れなかったが、その後に地元の人間が手を加えたってところか。


「へえ、誰に?」

「そりゃ、第一王子派の連中だろ。ここだけの話……領主様を追い落とすための策じゃねえかってのが、もっぱらの噂だよ」


 引退した元漁師なのか、漁協の事務屋なのか。無聊をかこっている男に特有の、自分の狭い政治観が世の真理だと思っている風な物言いだ。

 そういうのは酒場でお仲間を相手に披露するもので、初対面の相手にぶちまけるような話じゃないんだが、なぜだかこの手合いは誰彼問わずに話をしたがるんだよなあ。暇なんだろう、おそらく。


 ともあれ一般庶民が事態に抱く感想を知れたのは僥倖だ、この老人の捉え方が標準的なものかどうかはしらないが、そう考えている住民がいるのはわかった。

 グロートリヴィエの領主である侯爵は、為政者としては優秀で、住民にも好かれていると聞く。大っぴらには、敵に回したくないな。


「ありがとよ、おっちゃん。飲み代の足しにでもしてくれ」


 追加で銀貨をもう一枚渡して、その場を辞す。長々と話している時間が惜しい、目的地である魔術師ギルド支部へ向かおう。


「……あまり気にするなよ」


 なんとなく沈んだ雰囲気になっている仲間たちを、慰める。最前線で命を張っているのにあんな言われ方をされちゃ、やる気も落ちるってもんだ。


「思うに、広報が足らない気がするね。ボクたちの功績をもっと大々的に広げて、政治的な駆け引きを超越した立場を確立した方が良い、と思ったよ」


 人通りの少ない道を歩いていたら、キャロラインがそんなことを言い出した。


「そういう面倒なのは、いいわ。誰彼問わず感謝されたくて、勇者やってるわけじゃないし」

「でも、アレクがとても頑張っていること、皆さんにもわかっていただきたいですよね」


 ぶすっとした口調のアレクシアに対し、彼女の手を取ったマルグリットが優しい声音で言う。

 そうだな、名声を欲しているわけじゃないにせよ、不当に貶められる筋合いはない。


 実利面でも大衆人気はあった方がいい、旅のしやすさが段違いになるはずだ。今回は少し事情が異なるが、人脈の豊富な敵を相手取る場合、こっちの社会的評価も重要になってくるしな。

 功績が充分だからと、今までそういうことをあまり重視していなかった。貴族同士の派閥争いに巻き込まれないためにも、魔女の提案したとおり、今後はもうちょっと対外活動を意識してみるか。


「それで修行の時間が減ったり、変に怖がられたりするくらいなら、あたしは『お飾りの勇者』でいいんだけど」


 従騎士トゥーニスのことを思い出す。あんな風に過剰に恐れられる方が、アレクシアにとっては嫌なのかもしれない。


「いずれにせよ、今回の件を切り抜けてからだね。そら、魔学舎アカデミーが見えてきたよ」


 自分で話を振っておきながら、キャロラインはなんでもなかったように歩みを速めた。

 彼女が示す先に、何本もの塔が寄り集まったような、奇怪な建物がある。周囲が平屋の木造住宅ばかりなので、異物感が半端じゃなかった。


 これがこの街の魔術師ギルド支部か。まずはネスケンス師と連絡を取って、魔石の改良について進捗を聞きたかった。

 キールストラの、というかオネッタの仕掛けた策に対抗するには、〈除呪リムーブカース〉がどれくらい使えるかが肝になる。マルグリットの魔力は飛び抜けて多い方ではないし、おいそれと乱発はできない。


 改良魔石が量産できるようなら、多少なりとその負担を緩和できる。総帥に依頼した時点では想定外のことで、まさかこんな事態になるとはなあ。

 そもそも慎重に慎重を期すなら、出会う人間すべてに片っ端から〈除呪〉をかける必要があるが、さすがに現実的ではなかった。せめて操られた者には、そうとわかる目印がつけばいいのだが。


 そんなことを考えながら、螺旋と傾斜が多用された、じっくり見ていると平衡感覚がおかしくなりそうな門に向かう。

 守衛らしき二人組が無言で立ちふさがるが、〈偽装〉を解いたキャロラインが襟元につけた魔術師ギルドの徽章を見せると、あっさり引き下がった。


 大賢者の称号を持つ彼女は、魔術師ギルドのあらゆる場所に確認不要で立ち入ることができる。

 それはいいが、俺以外の男にそんな無防備に胸元を晒しちゃいけません、今更だけど。


 そのままギルドの職員に案内され、この支部の長の部屋に通される。ここの支部長は研究者然とした気難しげな男で、キャロラインの顔見知りらしく、簡単な挨拶の後に部屋を明け渡してくれた。

 秘匿すべき事項が多いから助かるけれど、いいのだろうか。


「大丈夫、大丈夫。ああ見えて彼、師匠のファンだからね。ボクにも良くしてくれるんだ」


 そのわりに俺へ向ける目がすっげえ刺々しかったんだけど、ありゃ嫉妬かね。ともかく部屋に据えつけの通信用魔道具を起動し、ネスケンス師を呼び出す。


 俺たちの持っている携帯可能なものと異なり、大型の通信用魔道具は一抱えもある箱に受話器と送話器が接続されている形だ。複数の魔石を動力としている他、仕込まれている魔術陣も大掛かりなので、通信時間が長く取れる。

 事前に伝言してあったため、多忙な総帥にもすぐ繋がった。向こうも心得たもので、最も聞きたい情報を開口一番、伝えてくる。


『魔石の改良は目処がついたよ。ただ、抽出用の回路を焼きつけるのに時間がかかるから、一日一個が限界さね』

「となると……今日中に手に入るのは一個だけ、ってことかい?」


 そうなるね、との弟子に対して素っ気ない返事。皆して受信器に耳をくっつけていた俺たちは、我知らず溜息を吐いていた。

 いや、ほんの数日で大した成果なわけだから、さすがネスケンス師と褒め称えるべきことなんだが。


 大呪文一発分を代替できる改良魔石は切り札になりえるが、それを取りにネスケンス師のところへ行くには、同じく大呪文の〈境門イセリアルゲート〉が必要になる。往復分の魔力を考えれば、収支は大赤字だ。

 のんびりしていてはオネッタの精神操作が、どれだけの人間を支配下に収めるか予測できない現状、悠長に魔力の回復を待っている暇もない。


「つまりは自力でなんとかしろ、ってことか」


 あとは、火巨人ファイアジャイアントから手に入れた魔石だな。こいつについては皆で話し合い、昨夜のうちに呪紋石へと仕上げられている。


『それよりも、ひとつ思いついたんだがね──』


 姉弟子と同じ名を持つ少女の行動と、そこから浮かび上がる思惑について、総帥が推測を語る。そして、その対策も。


「それは……まあ、可能っちゃ可能だろうけど」


 いや、大丈夫かそれ。失敗したら勇者の評判が地に落ちないか?


「いいじゃない。やりましょうよ」


 俺の懸念など知らぬげに、当のアレクシア自身が、不敵に笑って応じた。


『鍵は聖女の嬢ちゃんだよ。できるかい?』

「は、はい……なんとか……いいえ、必ず!」


 マルグリットも迷いを振り切り、気合いを入れる。思わずキャロラインに視線をやると、苦笑を浮かべ肩をすくめて見せた。

 まあ、二人がやる気になったのなら、仕方ない。俺は全力で支援するだけだ。

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