2-5 意識


 今日の逢引はマルグリットの番、ということで、朝から湖に向かって歩いていた。


 昨日は盆地の東側の探索を済ませたので、今日は北側を探る算段だが、主目的は聖女のおもてなしだ。

 激戦が続くと回復役の彼女は魔力が枯渇して、寝込んでいることが多い。ここしばらく二人でゆっくり話すこともなかったので、今日をいい機会にしたかった。


「気持ちいいですねぇ」


 平原を渡る風に長い金色の髪を踊らせ、マルグリットは伸びをする。反らされた胸があるかなしかの隆起を主張しているが、俺の目線は無防備に晒された脇に吸い寄せられていた。

 今日の彼女は袖無しのブラウスに短いスカート、という開放的な街娘みたいな格好で、普段の『透け』や『チラ』とは違う健康的な色気があった。


 幼い容姿の彼女にそんな邪な視線を向けるのは特殊な性癖の持ち主か、女ならなんでもいい変態か、深い仲になった男しかいまい。

 俺は特殊性癖の変態ではなく情を交わした恋人同士なので、堂々といやらしい視線を向けられる。いいよね、脇って。


「どうしました?」

「いや……手を繋ごうかと思ってな」


 あまり露骨な視線を向け続けると、いい雰囲気が台無しになってしまう。日が高いうちから盛っていては生活にメリハリがなくなるし、マルグリットの魔力が保たない。休養とは休んで、心身を養うことなのだから。

 少女が頷いて嬉しそうに伸ばしてきた手を取ると、指を絡め合って密着させる。これをやるのは今まで夜だけだったが、まあ良かろう。


 ちょっと驚いた風だった彼女が、すぐに笑み崩れて身を寄せてきたので、間違いではないはずだ。

 取り留めのない話をしながら歩いているうち、湖畔に辿り着く。そのまま岸辺沿いに歩いていると、湖上を渡る爽やかな風が、かすかに熱を帯びた体に心地いい。


「ここは本当に素敵な場所ですね。アレクのご先祖様たちに感謝しないと」

「そうだな。平和になったら、皆で墓参りするか」

「うーん。以前に聞いた話だと、初代勇者様とその仲間の皆様は、墓所を遺されていないそうなんです」


 変に神格化されて、政治利用されるのを嫌ったのかな。勇者の一族は辺境の地に封土されて引きこもっているし、魔王軍の再侵攻までは中央政界でも存在感が薄かったと聞く。そのあたり、アレクシアと似た気風なのかもしれない。

 彼女の実家を訪れたのは一度きりだが、あのときは大騒ぎだった。主にアレクシアの兄、つまり勇者候補の本命だったやつのせいだが。


 勇者家に伝わる聖剣の情報を調べようとしたら妨害し、同家の伝来品を借り受けようとしたら憤り、俺のような獣人セリアンが従者を務めるのは相応しくないと侮り……最後は堪忍袋の尾が切れたアレクシアに、ぼっこぼこにされていた。

 初代勇者の生き写しと称えられる秀麗な顔を腫れ上がらせ、悔しそうに俺に謝罪する姿を思い出すと、申し訳ないが笑ってしまう。傷を癒してくれたマルグリットに惚れたはいいが、妾にするなどと言い出して、妹の見事な踵落としで地面に埋め込まれていたっけ。


「おぼえていますか? あのときのイアンさん、アレクよりも早く怒ってくれましたよね」

「まあなあ。俺のことはどう言われようがかまわないし、マルグリットを好いたのが本当だってんなら、告白でも求婚でもすればいい」


 幼女趣味の変態だなあ、と当時は思ったが。


「でもそれをすっ飛ばして妾にするってのは、駄目だ。今の俺が言えた義理じゃないけどよ」


 だから彼女の手を握ろうとした勇者候補君を遮って、掴みかかってきたところを投げ飛ばしたまでだ。その後、後頭部にアレクシアの踵が突き刺さって、顔面が地に埋まったわけだが。


「私は、嬉しかったですよ。あのときも、もちろん今も」


 きゅっ、と指を絡める力が強くなる。


「それに、あれが……あなたのことを、男の人として意識した、きっかけでした」

「そうだったのか。なんかあの時期、よそよそしいというか、距離があったような気がするけど……」


 それまでは三人の中で一番、優しく接してくれていたから、地味に悲しかった。兄貴相手に暴れたのがよくなかったかなあ、と反省したもんだ。


「だから、意識しちゃって恥ずかしかったんですよ! 言わせないでください、もうっ」


 ぷぅっ、と頬を膨らませるマルグリット。あざとい、でも可愛い。


「そ、そういうイアンさんはどうなんですか? 私のことをいつ、す、好きになったんですかっ?」

「うぇっ!? それ聞くのか?」


 当然です、と言わんばかりに膨れっ面で身を寄せてくるマルグリット。逃がさないという意思表示にも思えるし、体をくっつけ甘えているようにも思える。


「……まあ、きっかけ自体は、お前と一緒だよ。あのとき、アレクシアの兄貴に迫られているのを見て、嫌だなあと思ったんだ」


 あいつ、名前はなんていったかな。モータローだかギュージローだか、変わった名前だったのは覚えている。将来の義兄になるかもしれない相手だ、再会するまでには思い出しておこう。


 それはともかくモージロー? に限らず、この娘が誰かのものになって、そいつと将来を誓う姿を想像したら……気分が悪くなったんだ。

 俺の生殺与奪を握る三人の娘、その頃にはもう何度も助け合ってきた仲間が、俺と無関係に幸せになる。それがどうにも、悔しいと思った。


「ようは嫉妬だな。で、なんで嫉妬するかって考えたら……」

「考えたら?」


 わくわくした顔で続きを促す聖女様、本当に表情がころころ変わる。人前じゃ取り澄まして、泣いたり怒ったりしませんよ私は聖女ですから、なんてツラしているのにな。


「俺はこの娘が大切で、この娘を幸せにするのは俺でありたい、なんてガラにもなく思っちまったわけだ」


 今にして思えば、という程度の些細な思いだ。それから旅を続ける中で、少女たちと親交を深めて、何度となくあられもない姿を目撃して。

 まあそれは彼女らの作戦だったわけだが、ともかく『女』として意識してしまうと、どんどん気になって。


「いつからと言われると曖昧だけど、あの時から、俺も意識してたんだろうよ」


 当時は、というかつい五日前までは、まずい考えだと思っていた。かなり年下で、立場に差があって、寿命も違い過ぎる。好きになっちやいけない相手だ、切りのいいところで離れるべきだ……と悩んでいた。

 今でもじつは、そう考えることはある。魔王を倒せたとしても、彼女らが提案したように全てが上手くいくとは限らない。そのときこそ、潔く追放されるべきなのかもな。


「えへへ……じゃあ、ずっと前から、両思いだったんですね……!」


 俺の内心の不安など知らぬげに、俺の袖にぐりぐりと額を押しつけ、嬉しそうにつぶやくマルグリット。長い耳が赤く染まっているので、見えない顔も真っ赤なんだろう。

 ふと悪戯心が沸き起こって、その耳に口づけてみた。


「ひゃあっ!」


 愛らしい悲鳴を上げながら飛び離れようとするが、手は繋いだままなため身を仰け反らせることしかできない。マルグリットはなにか文句を言おうとしたが上手く言葉にできなかったか、無言でぽかぽか殴ってきた。

 特に力を込めているようにも見えないのに、ずしんと骨身に染みる連撃だ。勇者ですら腰砕けにさせた猛攻を俺がいなせるわけもないので、速やかに降参する。


「悪い、悪い。つい、な」

「もうっ、もうっ!」


 牛かな。先ほどまでとは違う意味で頬を紅潮させ、不満に唸る彼女を、平謝りでなだめた。そうしながら、先ほど胸に浮かんだ考えもかき消す。


 好きになってはいけない相手だなんて、今は考えるな。俺の役目はこいつらを幸せにすることで、その幸せってやつに、俺自身も含まれていると自覚しろ。

 そうやって俺は、遠くない未来への不安に、蓋をした。

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