2-4 独白
現人神だった初代勇者の子孫ということで、彼女は下にも置かない扱いだ。とはいえ絶対服従というより、なついた犬みたいな態度だったが。
昼食で食べさせてもらった野菜の他、小麦粉や卵、しめたての鶏なんかも土産にと供与され藍之家に帰る頃には、すっかり日も傾いてきた。夕焼けに染まる盆地と森、残照を照り返す湖面が、牧歌的でありながら一枚の絵画のように神秘的だ。
「楽しかったわね」
手を繋いで歩く道すがら、アレクシアがぽつりと言う。
「そうだな」
短い言葉のやりとりに、暖かな感情と互いへの親愛が宿っていることを感じる。俺たちは今、同じ気持ちを共有していると信じられた。
「魔王軍が攻めてきたとき、あたしはまだ十歳にもなっていなかったけど……ああ、とうとう来たんだ、あたしは勇者にならなきゃいけないんだ、って思ったの」
余韻にひたるように歩調を緩めながら、アレクシアは独白する。なんの話かと思ったが、邪魔せずそのまま聞くことにした。
「爺さんや叔父さんに鍛えられはしたけど、親父の本命は兄貴だったわ。あたしは、あくまで勇者候補の『予備』。だけど教会でリットと引き合わされて、魔術師ギルドでキャロを勧誘して。それから、あんたに出会った」
そうだったな。俺が絡んで、冒険者ギルドに大目玉を食らって、無料奉仕を命じられた。それからはずっと、四人でやってきた。
「聖剣に選ばれたことであたしは勇者になったけど、そこまでやっていけたのはリットとキャロと、あんたのおかげよ」
「俺たちが生き残れたのは、お前のおかげだぜ」
どんな困難にも果敢に挑み、いくら傷ついても必ず立ち上がる。その姿に俺たちが、どれだけ勇気をもらったことか。
俺の言葉に曖昧に笑った後、立ち止まった彼女の笑みは、寂しげなものに変わる。
「でも今、四天王の一人を倒して、あたしの剣は魔王にも届くかもしれないって実感して……怖くなったわ。もし本当に魔王を倒せたとしても、あたしは元の生活には戻れない。リットも、キャロもそうね」
今は勇者だ英雄だと持て囃されたとしても、その戦闘力が常人の枠からはみ出したものになってしまったことは事実だ。魔王軍を討伐して平和な時代が訪れたとして、彼女は普通の人間に混じって、暮らしていけるだろうか。
「王侯貴族なんてガラじゃないし、人間同士の争いに加担するのなんか、死んでも嫌。たまに冒険者として人助けや探検をして、疲れたらここに帰ってきて休む。そんな生活がしたいわ」
「いいね、それ」
「なんて言ったかな……そう、『スローライフ』ってやつね」
初代勇者の遺した言葉か。異世界の人間はのんびりとした生活を送れているんだな、うらやましい。
でも、実現不可能な望みじゃないはずだ。魔王を倒して世界が平和になって、アレクシアは勇者を引退。マルグリットも無理に聖女を続ける必要はないし、キャロラインなんて今でも好き勝手やっている。
「将来の気楽な生活のために、死ぬ気で頑張ってかみるか!」
「ふふ。なんか変なの」
「はは、まあな」
にかっと破顔するアレクシア。うん、こいつが笑うときは、こんな顔をしている方がいい。
そのまま少女が頬を赤らめ、顎を突き出し目を閉じたので、その唇にそっと口づける。しばし互いの舌を絡め合い、名残を惜しむように顔を離す頃には、日が落ちかけていた。
「あれくさま、やっぱりボスにめろめろ」
「めろめろ~」
「……しずかにする」
小分けにした荷物を担いで後ろをついて来ていた犬っころどもが、ひそひそ囁きあっている。空気を読めお前ら。
* * *
その日の晩飯は土産に貰った野菜と鶏肉で作った。腿肉と甘藍の赤茄子煮込みに、蒸した胸肉と葉野菜のサラダ、竜髭菜と玉葱のフリット。パンも焼きたかったが発酵させる時間がないので、明日の朝食だな。
「美味しいです!」
頬を押さえて、幸せそうな顔をするマルグリット。一日のんびりしたお陰か、顔色が良くなって肌艶も戻っている。
「材料がいいからな。連中、けっこうやるぜ」
欲を言えば乳製品も欲しいところだが、牛はさすがに飼っていないそうだ。羊乳でも調理には使えそうだし、今度わけてもらえるか、聞いてみるかな。
「旅先で新鮮な野菜が食べられるとは思わなかったよ。犬人様々だね」
「もう『旅先』じゃないわよ、キャロ。ここは、あたしたちの家なんだから!」
サラダを口にし顔を綻ばすキャロラインに、なぜかアレクシアが自慢げにしている。ああ、あの野菜、昼に彼女が収穫したやつか。
「それもそうだね……そう言えば、犬人たちが余った食材を捧げ物にした、って話があったじゃないか。あれ、どうも館の人工精霊が魔力に変換して、吸収していたみたいだね」
増加量は微々たるものなので、あってもなくても構わない水準らしいが、
「他になにかわかったことはあるのか?」
「そりゃあもう! アレクのご先祖とその仲間は、大したもんだね。神代の奥儀に匹敵しようかという技術が惜しげもなく注がれている、この館自体が
あ、いかん、めっちゃ早口で喋り始めた。こうなるとキャロラインは長い、適当に押さえながら、食事に集中させないと。
ときどき俺やマルグリットが相づちを打ちながら聞いた中で、差し当たって重要そうなのは、館と周辺環境についてだ。どうもこの山全体になんらかの細工が成されているらしく、地下深くに存在する岩漿の塊から熱を吸い上げ、地上に分布させているようだ。
「じゃあやけに暖かいのは、地熱が高いからじゃないのか」
「昨日も言ったけれど、それだと植物が育たないね。畑の様子を聞いた限りじゃ、山の外よりちょっと暖かい程度だと思うよ」
なるほどね。そして吸い上げた熱の力は魔力にも変換され、気温の制御以外にも様々なことに使われているようだ。館の維持に外敵を防ぐ結界、周囲からの認識阻害など。
「ボクたちの馬車に使われているのと、同種のものだね。おそらく空から観察しても、この盆地のことは知覚できないと思う」
あの馬車はアレクシアの実家から借りているもので、俺たちのじゃないけどな。いずれにせよ、ここが容易に見つかるような場所じゃないとわかったのは朗報だ。
「とはいえ強力な魔物なら、術そのものを打ち破る手段を持っていると考えられる。たとえば四天王級の相手なら、この場所を突き止められれば、遠からず発見されるだろうね」
「犬人たちの生活もあるんだもの、そんなことさせないわ!」
勇者の力強い宣言に同意したいところだが、口元が赤茄子煮のソースで真っ赤で今ひとつ、しまらない。聖女が手拭いで拭いてあげているのを横目に、魔女に確認しておく。
「警戒すべきは、四天王の“
空を飛ぶ魔物を率いる
ビッセリンク鋼血帝国の砲撃部隊がその全滅と引き換えに深手を負わせたと聞くが、死んでいないならいずれ復活してくるだろう。
なんだかこの会話自体が変なほのめかしのようで、嫌な予感がした。
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