1-7 小鬼


 ぎゃっぎゃっ! と聞き苦しくわめきながら小柄なヒューマノイドが数体、牙をむき出し襲いかかってくる。


 子どもほどの体格に尖った耳という特徴だけなら侏族ドゥリンと同様だが、腰巻のみの半裸姿で晒された肌は緑色、猿を卑しく歪めたような顔は醜悪そのものだ。冒険者ならお馴染みの、小鬼ゴブリンである。

 体躯に見合った膂力しかない上に、夜目と鼻が利く程度の取り柄しかない最下級の魔物だが、他種族の女を犯して孕ませることですさまじい繁殖力を発揮する。臆病だが残忍、短慮だが悪知恵の働く、面倒な連中だ。


 暗い洞窟の中、宙に浮かぶ光球に照らされた、魅惑的な格好の少女たち。それを見て劣情をもよおし涎を垂らしながら迫る連中に、俺は道中で拾った石を次々と投げつける。

 小鬼どもは目や鼻を強打され、振りかざした粗末な棍棒や木の槍を振るう間もなく悶絶した。こんなやつら、安ナイフですら勿体ない。


「ほい、ほいっと」


 果実でも摘むような気楽さで、長い髪を額冠サークレットでまとめたアレクシアが左右の手に持った小剣ショートソードを振るうたび、小鬼の首が宙を舞った。

 動けないふりをしていた個体が、彼女の通り過ぎた背後から襲いかかる。が、背中に目でもついているかのようにわずかな動きでかわし、横から首を断った。どす黒い血しぶきが連続して上がるものの、一滴たりとて勇者の衣を汚すことはかなわない。


 子どもが蟻を踏み潰して回るがごとく、呆気なく一方的な惨殺であった。アレクシアが手にしている小剣は街売りの粗悪品だが、圧倒的な剣速と正確無比な刃筋により刀身が摩耗することなく、血糊すらろくにつかない。


「終わり、っと」


 逃げることすらできず岩陰に隠れていた小鬼を刺し殺して、汚れを振り払った左右の剣を鞘に収める少女。


「中一日ですぐ洞窟探査、なんて億劫だったけど、この程度なら楽勝ね」

「ひととおりの探索は済んでるし、気を張る必要もないよ。のんびり、掃除していこう」


 つばの広いとんがり帽子を被ったキャロラインが、宝石飾りのついたステッキ片手に、あくびを噛み殺しながら言う。朝が早かったせいでまだ眠そうだが、それでもこの賢魔女メイガスが魔術をしくじるはずもなく、俺たちが歩を進める洞窟の構造は解析済みだ。


「いと高き生命樹よ、哀れなる魂を清めたもうことを願い奉ります」


 レース編みのベールで後ろ髪を覆ったマルグリットが、短めの錫杖を掲げて祈る。魔物に同情しても仕方ないが、死霊アンデッドとなられても厄介だ。

 とはいえこの聖女はその場にいるだけで周囲を浄化するので、この場の死体が呪いに憑かれることなどあり得ないのだが。


「先行するぜ。この先にいるのは大型ホブ二体と呪術師シャーマンだな?」

「ああ。キミなら楽勝だろうけど、油断はしないようにね」


 勇者と違って不意打ちされれば怪我もするし、打ち所が悪けりゃ死ぬことだってあるからな。気遣いに手を振って礼をし、洞窟を進んでいく。


 これまでの革のブーツから履き替えた氷河の足鎧サバトンは、青白い魔法金属で作られた靴と脛当てだ。一見がちゃついた音を発しそうなものだが、布製の靴でも履いているかのように足に合って、きしみひとつ漏らさない。

 この足鎧での忍び足に関しては、心配無用だな。更に攻撃にも有用な使い道がある上、爪先がひんやりして蒸れず、温度変化を遮断するので冬場は逆に足が冷えずに済むらしい。


 とはいえ靴の使い心地を試すのが今回の目的ではない、探索の行く先は、この洞窟を抜けた向こう側だ。


 場所は王都から勇者印の馬車――車体が特別製な上、馬車を牽くのはキャロラインが召喚した魔法生物であるため、並みの馬車の三倍の速度で進める――で半日の、名も無き山中。

 今をときめくアイハラ猛撃隊が、なぜこんな場所に挑んでいるかと言えば、この先にボニージャが勧めてきた物件があるからだ。すなわち『静かに過ごせて人が滅多に来ず、食料が手に入りやすい、安全で風光明媚な』家。


 本当にそんな物が存在するのか疑問であったが、そこへ辿り着くためにはまず、この洞窟を突破する必要があった。

 道中に生息する魔物を片っ端から退治しておこうというのは、まあ言ってしまえば、もののついでだ。目的地に辿りつきさえすれば行き来はキャロラインの魔術でまかなえるが、すぐ足下に魔物の巣があるというのも鬱陶しい。


 足音を忍ばせいくつかの分かれ道を進んだ先で、洞窟はぽかんと広くなっていた。生臭い空気が漂うそこは小鬼たちの居住空間なのか、地面が多少はならされ、骨やら布きれやらが散らばっている。

 連中の住処にはさらわれた女性が捕まっていたりすることもあるが、この群れは繁殖相手に恵まれなかったらしい。まあ、そこらに転がる骨がであったのかもしれないが。


 奥まった場所には粗雑な造りの椅子が置かれ、大型の小鬼――なんとも矛盾した表現だ――を左右に従える、けばけばしい装飾で身を飾った細身の小鬼が座っていた。大小鬼ホブゴブリンを相手に耳障りな声で、げぎゃげぎゃとわめき立てている。


「物見ノ連中、マダ戻ランノカ! 曲者、ハヤク殺セ!」


 小鬼の言葉は獣族セリアンのものに似た言語なので、聞き苦しいがなんとか意味はわかる。まあ、そのせいで逆に、獣族は差別されるわけだが。


「女イタラ、捕マエロ!」


 それを取り巻きに言ってどうするんだか、魔術が使えるといっても所詮は小鬼だなあ。困ったように顔を見合わせた大型のうちに一体が、渋々といった感じで俺の潜む方へやってくる。

 始末してもいいんだが、それで残り二体に気づかれて乱戦になるのは避けたいかな。


「大型が一匹そっちに向かう。残りは任せろ」


 連中に聞こえないよう小声で呟くと、近くの岩壁がずるりと盛り上がり、黒い狼のような輪郭を形作った。キャロラインが事前に放った使い魔の影獣シャドウビーストだ。彼女と感覚を共有しているので、今の言葉は仲間に伝わっていることだろう。

 んじゃ、あとはサクッと殺りますか。影獣が再び壁面と一体化する一方、その場で跳躍した俺は天井部に四肢を突っ張ってへばりつき、向かってくる大小鬼をやり過ごす。


 手を離して自由落下が始まると同時に懐から短剣を取り出し、地面に着地するまでの刹那に、小鬼呪術師ゴブリンシャーマンに向けて投げつけた。なお傍らの大型にぎゃあぎゃあわめいていたその首に、矢のように飛んだ短剣が突き刺さる。

 着地に合わせて地を蹴った俺は、身を低くして突進した。自分に向かっていた怒鳴り声が急に途切れ、ぱくぱくと意味なく口を開閉させる呪術師に胡乱げな視線を向ける大型、その目がこちらに向くより早く。


「ふっ」


 跳ね上がった俺の蹴り足が、大小鬼の顎を捉えた。ねじ切れそうなほど振られた首が、そのまま硬質な音を立てて固まっていく。もう一発、と位置取りを変えた俺の目の前で、頭から肩まで氷で覆われた大小鬼は絶命していた。

 完璧な奇襲だったとはいえ、あまりに呆気ない。氷河の足鎧の威力すげえな、打撃に合わせて食い込んだ氷が、肉体内部で膨れ上がったのか。魔術に対する抵抗力の低い魔物なら、急所に当たれば一撃で決まるということだ。


 もちろん四天王級の敵には通じないだろうが、同格以下の相手なら十分、戦力としてあてにできる。むしろ生け捕りにしたい相手をうっかり殺してしまわないよう、注意しないとな。

 呪術師に刺さった短剣を回収し、念のため二匹の死体の心臓をえぐっておく。小鬼は生き汚いからな、とどめを刺したと思ったのに息を吹き替えして襲ってくる、なんてことがたまにあるんだ。


「お待たせ〜」


 その間に後ろの方から、のんびりしたアレクシアの声がかかった。途中で鉢合わせた大小鬼は、出会い頭に斬り伏せてきたのだろう、お待たせと言われるほどの時間はたっていない。

 早速、二匹の骸に鎮魂の祈りを捧げるマルグリットを尻目に、キャロラインが話しかけてきた。ようやく眠気が取れてきたか声に艶が戻って、目にはいつもの怜悧な光が宿っている。


「お疲れ様。影獣を先行させているんだけどね、この先に潜んでいる本隊が、どうやらこっちに気づいたみたいだね」


 魔女による事前の探査で、この洞窟全体で五十匹を越える群れが生活しているのはわかっていた。物言わぬ呪術師と大小鬼の死骸に目をやりながら、尋ねる。


「こいつらは門番、あるいは鳴子代わりってところか」

「そういうことだね。……さてアレク、この先はちょっと気を入れていこうか」

「了解。ま、『楽勝』が『面倒』に変わったところで、やることは変わらないわよ」


 こともなげに言うアレクシア。実際、勇者にとっては小鬼数体が数十体に増えたところで、さしたる違いでもない。


「私もしっかり援護しますから、大丈夫ですよ。ね、イアンさん」


 雑魚相手では出番のない聖女様が、ふんす、と可愛く力んで見せる。彼女らにおんぶにだっこではいかんな、俺も気合いを入れ直そう。

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