1-4 親愛
洗濯用のたらいを借りて部屋に戻ると、三人はすでに目を覚ましていた。ひとかたまりでシーツにくるまって、照れくさそうな顔をして俺を迎えてくれる。
「おかえり」
代表するようにアレクシアから声をかけられると、なんとも言えない甘酸っぱい幸福感が胸を満たす。平和になったら、こんな風に毎日を過ごしたいな……なんて、がらにもないことを考えてしまった。
もちろん、そんな未来など存在しない。昨夜のことは夢、いま抱いた望みも幻。そうでなければならない。
「すまなかった!」
だから俺は、たらいを脇に置いて膝を突き、床に額をこすりつけるように頭を下げた。
「え? いや、たしかに最初は痛かったけど、そこまで謝られるようなもんじゃ……」
「まあちょっと、生娘相手にやりすぎではあったね」
「でもほら。そこはお互い様というか、私たちも三人がかりで色々しちゃいましたし」
ああうん、凄かったよね君ら。魔王軍相手に見せる連携に引けを取らなかった。“黒烈”のやつが抱いた恐怖の片鱗を、思い知らされたぜ。
「って、そうじゃなくて! お前らには立場や将来があるってのに、俺なんかが純潔を汚してしまい、本当にすまない。不逞を理由に、パーティから追放してくれてかまわない」
その結果として、奴隷落ちが待っているかもしれない。それだけのことをしてしまったのだ、甘んじて罰を受け入れよう。
そう覚悟して一気にまくし立てたのだが、返ってきたのは、溜息と呆れ声だった。
「またそれ? いい加減にしてよね」
「キミの持ち芸になりつつあるなぁ」
「そもそも、私たちが望んでしたことですよ」
ベッドから立ち上がったマルグリットは、こちらへ歩み寄ってきてしゃがみ込む。裸身を晒していることに構いもせず、俺の顔を、小さな手を這わせ持ち上げさせた。
「『なんか』なんて、言わないでください。あなたは素敵な方です」
聖女という称号にふさわしい清らかな笑みを浮かべ、少女は俺に唇を押しつけてくる。情事の間に交わしたような熱烈なものではなく、親愛のこもった優しい口づけだった。
「あーっ! リット、ずるい! あたしもする!」
「ふ、ボクは最後でいいよ」
シーツが打ち捨てられ、朝の光に裸身を照らした少女たちが俺に群がる。されるがまま雨のように口づけが降り注ぎ、そのまま昨夜の続きになだれ込みそうになったところを、必死になって押しとどめた。
夢のような状況だったが、それに甘んじるわけにはいかない。問題を整理して、今後の対策を練らなければ。
少女たちを説得し、ともかく部屋に戻って着替えてきてもらうことにした。その間に俺は情事の痕跡を消すべく、べちょべちょになったシーツを洗濯し、鋳物の枠に板を張っただけのベッドを拭く。ああ、この染み、取れないな……。
洗ったシーツは荒く絞って宿屋の従業員に預けた。普通の客はそんなことをしないので、なんとなく事情を察せられた感があるが、酔って酒をこぼしたからだと言い訳しておく。
『身支度を整えたよ。ボクたちの部屋で話をしよう』
耳元に風を感じ、キャロラインの声が聞こえる。〈
「
俺の扱う魔術は、物質の変化と空間の操作を得意とする。これは次元に穴を開けて物品を収納できる空間を作り出す魔術だが、俺の魔力だと小屋ひとつくらいの収納量が限界だ。
とはいえ今は、配膳荷台の代わりである。そうして手ぶらで、大部屋に移動した。
部屋の中央に巨大な天蓋つきベッドが鎮座しており、優美な造形の机と四脚の椅子、背の高い衣装ダンスに一枚鏡の張られた鏡台などが置かれている。床にも豪奢な絨毯が敷かれ、隣室には風呂場と便所も併設された、貴族の屋敷の一室かと見違える内装だ。
「朝飯を持ってきたぞ」
「ありがとう、悪いわね」
丈の短いキャミソールにショートパンツ、というラフな格好のアレクシアが迎えてくれる。襟ぐりの広いワンピースに身を包んだマルグリットは部屋に備え付けの道具で茶を淹れており、そのための湯を生み出したであろうキャロラインは開襟シャツと細身のズボンを合わせていた。
少女らのやたら露出度が多い格好は、俺に対する誘惑だったことが判明したわけだが、それが発覚した後でもあまり変わっていない。特にそこの魔女、なんでシャツの前が全開なんだよ。
「いや、ボクの格好はもとからこんなもんだったろ? 単純に、楽な格好が好きなんだ」
なるほど……なるほど? 納得しかけたが、そのわりにはズボンはぴっちりしていて、足の細さと長さを強調するかのようだ。
「イアンさんも座ってください。お話は、食事をしながらにしましょう?」
「ああ、うん……
魔術空間の一部を解放して、大皿三つと小鍋を、机に並べる。山盛りのパンにベーコン入りのサラダ、フライドエッグとチーズの盛り合わせ、小鍋の中身は豆の煮込みだ。
一緒に持ってきた皿を各人の前に置いて、トングと玉杓子で取り分ける。ちなみにトングは市販品の使い勝手がいまいち悪かったので、俺が自作した。
アレクシアは肉とチーズ多め、マルグリットは逆に肉が苦手なのでベーコンを入れない代わりに豆を増やす、キャロラインは半熟の卵を絶対に食べないからフライドエッグはカリカリに。
今日のメニューは各人の好みの差を調整しやすい物で、助かった。場合によっては、いちから俺が作るハメになることもあるからな。
「いと高き生命樹よ、我らにその糧を分け与えたもうたことを、感謝いたします。祝福を」
「祝福を」
聖女の祈りに、勇者だけが唱和する。俺と魔女は教会の教えを信じていないので、軽く手を合わせるだけだ。列聖までされた聖女の言葉を流すなど不敬もいいところだが、この場は仲間だけなので気にしない。
ゆっくりと皆で食事を始めると、ようやくドタバタが終わって、日常に戻ってきた感じがする。それがかえって昨夜からの一連の出来事を思い起こさせ、きまりが悪いというか、くすぐったいような心持ちになった。
「本当はさ」
食器の触れ合うかすかな音だけが響く中、ちぎったパンを飲み下し、アレクシアがぼそりと言う。
「告白するなら、魔王を倒した後かなって。そう思ってたの」
「そのために頑張ろう、ってアレク、言ってましたものね」
サラダをちょっとずつお上品に口にしていたマルグリットが、淡く微笑む。
「まさかこんなに早く、想いがかなうなんて、思ってもみませんでした」
「まあイアンも男だった、ってことだよ。ボクたちの努力が実ったね」
ひととおりのメニューに少しだけ手をつけたのみで、茶を飲み始めていたキャロラインは、肩をすくめて見せた。
「まさかパーティを抜けたいと言い出すほど悶々としてたとは、考えが及ばなかったけどさ」
「それについては、悪かったよ」
甘辛い豆の煮込みを咀嚼し終えてから、俺は素直に謝罪する。
「ただなあ。さっき言ったことも本当なんだ。お前らと俺とじゃ、身分が違う。年だって離れてるし、俺は
俺たち獣族は成長が早い代わりに寿命が短く、五十を越えて生きていられる者なんて稀だ。二十五歳と言えば他種族なら若造の部類だろうが、獣族にとっちゃすでに人生も折り返した、おっさんと言える。
それに対してアレクシアのような
俺は天寿を全うできたとしても、せいぜいあと二十五年しか生きられないのに対し、アレクシアでさえその倍の人生が続くんだ。いくら想い合っていても、伴侶としては不適格だろう。
「そこまで考えていたんだ」
「そりゃそうだろ。傷物にした責任は取らなきゃならん」
「だったら、そもそも追放されたいなんて言うな」
むう、それはまあ、たしかに。とがめるアレクシアの台詞はもっともで、責任を取ると言いながら処罰だけ望むというのも、不誠実な話だ。
しかしなんだな、さっきからぐるぐる悩んでいる俺に対して、少女たちはのんきなものだ。後先考えずに誘惑に負けた俺が言えた義理ではないが、これが若さってやつか。
「そんなイアンに対して、第四十四回対策会議の結論を教えてあげよう」
手にしたフォークを指揮棒のように振るいながら、キャロラインが口の端を吊り上げる。
あ、これはなんかブッ飛んだことを言い出す兆候だな。表面的には大人びて冷静に見えるが、こいつが三人の中で一番のエキセントリックな性格をしているのを、俺はよく知っている。
しかし対策会議の結論ということは、三人の合意ということだ。それを証明するように、マルグリットが可愛らしく両の拳を握って、煽りを入れる。
「身分も寿命も飛び越えて、四人で幸せになる、乾坤一擲の解決策です!」
なんだ? いったいこいつら、なにを企んでいる? 立ち上がったアレクシアが腕を組んで胸を張り、威風堂々という有様で高らかに宣言した。
「魔王を倒すのよ!」
いや。その目標は、最初から変わってないだろ。
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