第5話 原告準備書面(1)-4
三 本件被告の一連の書込みに対する総括
1 原告は本書面第一 全般において、一連の被告による原告ブログに対する書込み内容及び被告ブログを利用しての記事を原告なりに精査・分析してきた。
図らずも被告は、甲第2号証-2、甲4で示した書込みにおいて、
「今日(平成21年5月6日、祝日。原告注)は連休最終日で、遠出するわけでなし、調整日ということで、ネットくらいしかすること無いです。」
と当該書込みの枕詞において述べている。
また、平成21年9月29日付謝罪メッセージにおいて、謝罪以前の問題として関与禁止を被告が通告しているにもかかわらず、アメブロの絵付メッセージを用いて、「今後ともよろしく御願いいたします。」と述べ、「トモダチになってください(友達になってドリ)」と描かれた絵(甲第8号証)を添えている。
さらに平成21年12月17日付被告ブログ記事において、「(私たちの間のトラブルなら)ここで貴兄が大暴れしてもらっても私は一向に構わなかったのだけれど。」 とさえ述べている。
2 上記1 において原告が列挙した被告の記述3例を含め、平成21年5月以降本件提訴に至るまで被告がブログ機能を利用してしつこいと言っても過言ではないほど様々なメッセージを原告に送付してきた事実に基づき、被告の置かれた状況を原告なりに推測するに、被告は、かなりの孤独感にさいなまれて日々の生活を送っているのではないかという思いを禁じえない。
3 上記2 の原告の推測が大筋において事実であるとすれば、確かに一連の原告に対する記述にも、同情の余地がないわけではない。
しかし、それゆえに旧知の間柄でもある他者たる原告ブログのコメント欄に一連の記述をなしても構わない=「友人」だから最後は許される、という免罪符になどならないことは言うまでもない。
(この項後半は本件と無関係のため略)
4 被告はO大学歯学部卒業後、程なくしてZI市内で歯科医院を開業したとの案内を原告はかつて被告より頂き、年賀状のやりとりもあった。それによれば、被告は結婚し、奥さんも子供さんもいらっしゃると、原告は記憶している。
男女の本質的平等を日本国憲法かで謳われた現行法令の趣旨にそぐわない発言であることは重々承知の上で述べるが、被告は、自らの一家の主であろう。
独身でなおかつ現段階においては結婚の意思もない原告が述べるのも大変心苦しいが、被告は、妻にとっての夫であり、子女にとっての父親であるはずだ。
5 しかし、一連の言動を被告自身が他者、それも旧知の人物である原告に対し執拗に繰り返してきたことは、紛れもない事実である。
そしてそれを、被告自身も原告が平成21年11月X日(*)21:57に原告が被告に対し架電し、事実関係をそれとなく問い質した際に、被告は問題となる書込みが自己のものによることを認めた。そして、その後も一切当該発言の撤回・取消の意思表示はいまだなされていない。
6 原告が本件訴訟において提出した記述はすべて、電磁的記録という動かぬ証拠として、被告が取消す意思を表示したとしないとを問わず、原告も被告も死して後もなお、未来永劫残存するのである。面と向かっての会話上の発言なら、あるいは密室の中での出来事であるなら、「言った」「言わない」の水掛け論にもなろう。紙による文書であれば、その原本が処分され、なおかつ写しが一枚も現存しなくなれば、もはや立証は困難となる。
しかし、公開の場における電磁的記録はそうはいかないのだ。
かかる記述によって被告より非難を受けた原告及び原告父、母、並びにその親族一同は、被告の心無い一連の言動に、未来永劫苦しめられることに、被告は思いがいかないのか。
もし、被告自身が原告に限らず他者より成育歴や自身の人生を誹謗中傷されたら、どんな気持ちになるか。その誹謗中傷が自身の子女に向けられたら、どうなのか。
7 とりもわけても、「他人のガキなんぞにまったく興味ありません」などと他者のブログのコメント欄に書き込んでいたことを、自分の夫が、父親が、親族が、今はなき被告の先祖が知ったとき、彼(彼女)らはどんな気持ちになるか?
果たして、「他人の「ガキ」じゃないから、その分被告にかわいがってもらえる。無茶はしないだろう」などと善意に満ちあふれた解釈をするだろうか?
原告も会話の場においては、「ガキ」なる言葉を用いないわけではない。しかし、法廷の場はもとより、他者のブログのコメント欄に書込むにあたってもまた不適切を極める表現であることは論をまたない。
ブログ記事は、いわゆる「キャラクター」として多少のおふざけは許される。現に、原告のブログも含め、一見「暴言キャラ」といったブログも多々存在する。しかし、コメント欄は他者との交流の場である。そこでの礼を失した言動は決して許されざるものであることを、被告は改めて認識するべきである。
8 子どもは、親の私物でもなければ、親や一部親族だけの宝ではない。
子どもは、皆、社会全体の宝である!
だからこそ、日本国憲法下における諸法令は、子どもたち(あえて「児童」という小賢しい言葉を本項では使用しない)のため様々な施策を規定している。
それは、児童養護施設の子どもたちに対してだけではない。
どんな金持ちの子女にも、貧乏人の子女にも、才能にあふれた子女にも、原告の異父妹の長女である原告からみ姪のように障害をもちつつ生きている子女にも、その子女の状況に応じた施策を、日本国は実施しているのである。
どんなに金持ちの子女であり、なおかつ私立の学校に通っている者であっても、その子女の通う学校の学校法人には、国などからの補助金が毎年交付されている。公立の小中学校は言うに及ばず。教職員の給与は税金でまかなわれていることはいまさら原告が指摘するまでもない公知の事実である。
9 さらに、被告は原告の経験にかこつけ、図らずも児童養護施設に育つ(育った)子どもたち(元「子ども」も含む)を誹謗中傷する記述をいくつもしている。
ところで、被告自身の子女にあっては、果たして、この先いかなることがあっても、児童福祉の現場(その対象は児童養護施設だけではない)に世話になることなど金輪際ないと、被告は一人の父親として、そう断言できるのか。
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