二人の勇者 3
フシギは世界の歪みを感じ取っていた。セイギとオカシは、まだこちらに気づいていなかった。
「隠れますよコウさん!」
「わかった」
二人は逃げるようにして近くにあった茂みに身を潜めた。セイギとオカシは気づいていないようで、二人はそのまま森を直進していった。
「どうするんだ、フシギ」
「と、とりあえず作戦を練るしかありません。今日はここから離れずにテントを張って野宿しましょう。そうすればかちあうことはない……はず――ですが万が一のことを考えるとなるとこのさい一度街へ……でもでもこのトンネルをまた通らなきゃいけないわけですし……八方塞がりです」
「おちつけ」
「こ、こんな物語を想像していなかったので……悔しいです」
どうやらフシギはけっこう気が動転しているようだった。いつものように知ったような態度ではなくあたふたしているのは、見ててちょっとかわいかった。そしてそう思ったのが初めてフシギにばれなかった。
「とにかく今日はここで野宿だな。テントを張ろう」
「ほ、ほんとに大丈夫ですかね?」
「心配するな。俺がついてる」
「……まぁ、はい」
フシギが不満げなのは置いておいて、さっそく近くにテントを張ることにした。そして近くから焚き木を持ってきておく。水や食料はあるので問題なかった。
まだ夕日が顔を出している時間なので、火は焚かずにテントに入り作戦を考えた。
「夜二人が寝静まったときに殺しましょう」
「だめだ」
「なら起きているときに不意打ち」
「だめだ」
「では罠を」
「だめだ」
「なら縄」
「だめだ」
「……ならコウさんはどんなのならいいんですか?」
「正々堂々たおす」
「そ、それはだめですよ! もしコウさんが死んだらどうするんですか!」
「それをお前が言うのか?」
「……墓穴を掘りましたね」
「そうだな」
「と、とにかく違う方法を考えてください! それは却下です! ありえません!」
「話し合うのはどうだ」
「話が通じる相手だと思いますか?」
「思わないな」
「なら言わないでくださいよ。余白ばかりだとちんぷにみえますから適当なことを言わないでください」
「余白?」
「なんでもありません。それよもっと他の作戦を考えてくださいよ」
「もうない」
「えぇー」
フシギは不満そうだった。コウが使い物にならないと悟ったのか、フシギはどこからかノートとペンを持ってきて、なにやらひたすらに書き続けた。それは夜が更けるまで続いた。
「おいフシギ。もう寝るぞ」
「も、もうちょっとだけ作戦を練らせてください」
「もういいだろ」
コウは電球を消した。とたんに辺りが暗闇に包まれる。
フシギはえぇーと小さく声をあげたあと、ぱたんとノートを閉じた。
そして――
「あの、コウさん」
「……わかった。入れ」
フシギが言わんとしたことがわかったので、コウはそう言った。
「ありがとうございます……襲わないでくださいね」
「そんな趣味はない」
コウはフシギがちゃんと入ったことを確認すると、布団をかけなおした。
「おいフシギ。しがみつきすぎだ」
「で、でもですねコウさん。いまこのときにもあの二人が襲ってくるかも――あ、いまなんか足音しませんでしたコウさん!」
「空耳だ」
「ほ、本当ですかね? ちょっと見てきてください」
「……はぁ」
コウは疲れたと言わんばかりにため息をつくと、外を確認しようとした。するとフシギが抱き着いたまま離れない。
「おいフシギ」
「ど、どうにか私から離れないようにして外みれませんか?」
「手が伸びなければ無理だ」
「なら伸ばしてください!」
「あのなぁ……いいかげんにしろ」
「う……うぅ……だってぇ……」
フシギは本当に怖いらしく、ぽろぽろと泣き出してしまった。コウは慌てた。
「おい泣くな」
「コウさんのせいですよぉ……」
「わかった俺が悪かった」
「なら手、伸ばしてください」
「それは無理だ。あきらめろ」
「そんなぁ」
コウはここで、さきほどからずっと疑問に思っていたことを口にした。
「なぁフシギ。ならこの物語を戻せばいい。そうすればお前は怖い思いをしなくてすむ。違うか? お前にはおそらくだがそういう力があるんじゃないのか?」
「……」
フシギは押し黙った。
「どうして使わないんだ?」
「そんな当たり前のこと私に聞かないでください」
「――つまらなくなるからか?」
「そうです。というか、するならとっくにしてますよ」
フシギはふてくされたように言った。
「そうか。ならばフシギに一つ言いたいことがある」
「……なんですか?」
「命がけで寝ろ。命がけで起きろ。命がけで――生きろ。そうすればお前は寝れるし起きれるし、生きることができる。わかったか?」
「ぜんぜん一つじゃないじゃないですか。コウさんのばか」
フシギはコウの布団をはぎ取り、体全体を丸め込むようにして寝る態勢をとった。
「はぁ……」
こんなにコウがため息をついたのは生まれてはじめてかもしれない。
「おやすみ、フシギ」
二人はこうして眠りについた。
翌日、二人は緊張した面持ちで北へ北へと向かっていた。セイギとオカシはまちがいなく魔王城へと向かっているはずだ。そして魔王城は北へ真っすぐ行くとある。なので二人は北に向かって歩いた。
もしセイギとオカシに遭遇した場合の対処法は、けっきょくやられる前にやれだった。これは不意打ちという意味ではない。相手がこちらに気づいたらどんどん攻撃し、そのまま押し勝つのだ。それしか安全策はない。怯めば負けだ。
森を抜けた。ここまで人の気配はなかった。それにホッとしたのも束の間、二人は眼前の光景に絶望した。
「橋が落とされてますね……」
二人がたどり着いたところは奈落の桟橋と呼ばれているところで、まるでこの世界の右端から左端を、長方形でくりぬいたような場所だった。くりぬかれた部分は黒く塗りつぶされていて、文字通りの奈落だった。
そして唯一この奈落という地獄を渡る架け橋となっているのが、つたない木板でできた桟橋だった。だがそれはものの見事に壊され、対岸の崖に洗濯物のようにぶら下がっていた。
「困ったな」
ここから対岸まではけっこうな距離があるので、ジャンプでどうにかできる次元ではないし、かといって他に道を探そうにも、この奈落は右にも左にもずっと先まで伸びていて、永遠と奈落が続いている。桟橋が他にもあるようにはみえなかった。
「これでは向こう岸へ渡れないな」
「たしかにそうですね。あちらとしてはしてやったりと思っているのでしょう。ですがそうはさせません。彼らが物語を歪めたのならこちらも歪め返します」
「それはしないんじゃなかったのか?」
「私の力を使うことはしませんよ。使うのは、彼らの歪みです」
「いったいどうするんだ?」
「簡単なことですよ。見ててください」
フシギは一度大きく深呼吸をした。そして顔を引き締め――奈落の底へと足を踏み出した。
「お、おいフシギ」
コウは手を伸ばしたが、無意味だった――フシギは奈落に足をついたのだから。そしてとんとんと奈落をたたき、フシギは完全に片足を奈落につかせると、そのまま二歩目を踏み出す。
そして彼女はみごと奈落の上に立ったのだ。
「問題なさそうですね。思ったとおりです」
フシギは分析でもするかのように言うと、振り返った。
「さ、コウさんも」
「……いったいこれはどうなってるんだ?」
するとフシギは満面の笑みを浮かべてこう答えた。
「これはですね、コウさん。思いによるものなんですよ」
「思い?」
「はい。私はいま、この奈落から落ちることを考えてはいないんです。だから落ちないんですよ。ようは精神論の話なのです」
「そういうものなのか?」
「本来はそんな根性論をしたところで意味はありません。ですがこの物語に限ってはそうではないのです。あの二人が物語を捻じ曲げ、ありえないことですら思いの力で変えられるようになってしまったのですよ」
「そういうことか」
「これを思いついたのはコウさんのおかげです。コウさんが命がけで生きろなんて言ったから、私本当に命を賭けちゃいました」
「そうか」
コウは短く言ったあと、奈落を見た。気味の悪いほど真っ黒に染まったそれは、まるで口を大きく開けて獲物を待ち構えた化物みたいだった。
けれど不思議と怖くはなかった。きっと命を賭ける覚悟が決まったからなのかもしれない。
コウは奈落へと一歩踏み出した。崖からちょうど水平のところで透明のガラスでもついてるような、そんな感触が足に伝わってきた。コウはそれを踏みしめた。一歩、もう一歩と、奈落を進んでいく。
これは自分との戦いだと思った。どれだけ自分を信じられるかの真剣勝負。負ければ死ぬだけだ。そして物語が終わる。一瞬、フシギの悲しそうな顔が浮かんで、足元がぐらついた。
フシギはきっと、コウが死ぬこと自体では悲しまないだろう。フシギの悲しみの矛先はきっと物語が中途半端に終わってしまったそのことに悲しむだろう。そんな思いはさせたくない。たとえコウ自身が思われいなくても、フシギを悲しませたくはない。
そして気づけばコウは対崖に足をつけていた。ホッと胸をなでおろし、先に着いて見守っていたフシギを見る。フシギは笑って「お疲れさまです」と言った。
コウは生きててよかったと思ったのだった。
奈落の桟橋を少し進むと、でこぼこした道に出た。砂が丘のように山積みになっていたり、落とし穴がつくられた形跡があったり、武器が散乱していたり、死体が転がっていたりと、戦いの爪痕がいたるところに転がっていた。
「ここは昔戦場だったようですね。こんなに死体があれば死体のかまくらができてしまいそうです」
「なぜここだけなんだ?」
「決まってるじゃないですか。あれのせいですよ」
フシギが指さした先には、二人が長年追い求めていたものが荘厳に佇んでいた。
「あれが魔王城か」
「そのようですね」
魔王城のまわりは黒いもやのようなもので覆われていて、全貌はよく見えないが、かなの大きさだった。コウはその場に立ち尽くしたまま、その魔王城をみつめていた。
その瞬間――コウの胸から血が噴き出した。
「がは――!」
コウは突然の痛みと衝撃で崩れるように地面に倒れた。出血は多いが、そこまで深いものではなかったのは幸いだった。
「なんだ?」
「あ――コウさん左!」
ガキン! と刃同士が噛み合う音がした。そして聞こえた舌打ち。
「なんだよもう少しだったってのによ。さすがは運がいいな本物は。偽物とはわけが違う。まぁ、だからこそ殺しがいがあるんだけどな」
コウは胸を抑えながら、声が聞こえた場所へ視界を移した。彼は砂山のてっぺんで二人を見下ろしていた。
「よお本物。必ず来ると思ってたぜ。さぁ、殺しあおうか」
声の正体はまぎれもないセイギだった。刀をぎらつかせながら、薄汚れたネズミのような瞳でコウを射抜く。
「これはハンデだ、セイギ」
だが、コウも負けてはいない。いまだに流れ続ける血をもろともしないような身のこなしで立ち上がり、セイギに刀を向けた。
「偽物と本物が対等に戦ったら勝ち目はみえてるからな」
「あぁそうだな。偽物と本物が普通に戦ったらまちがいなく――!」
砂山を蹴り飛ばし、セイギは一直線に弾丸のようにコウへ向かい、刀を振るった。それを、すんでのところでコウが受け止めた。
「偽物が勝つ!」
「本物が勝つ」
二人は鍔迫り合い、一旦お互い身を引いた。そして再び斬りあう。
「なぁおい本物! お前本物だからって勝てると思ってるだろ! あいにくだが俺はその常識をぶち壊した男だ! そんな驕ったやつに負けるつもりはねぇよ!」
「驕りではない。それは事実だ」
「それが驕りだって言ってんだよこのくそがぁ!」
剣戟は次第に激しさを増していく。その戦いの様子を、フシギは恍惚にまみれながらうっとりと眺めていた。
「いいですねぇいいですねぇ。互いの思いによって高まっていく力。いったい最後はどんな展開になるのでしょうか。楽しみで楽しみでおかしくなってしまいそうです。さぁ二人とも、物語をどんどん紡いでくださいね。なにせここまでが――」
「はあぁぁぁぁ!」
「うおぉぉぉぉ!」
二人の戦いはどんどん激しさを増していく。傷だらけになっていく二人。それでも二人は手を止めることなく刀を振るう。お互いに、引いたら負けだと分かってるみたいだった。
それがたまらなく、フシギの身を震わせる。
そして溢れ出すように言うのだ。
「私が考えたとおりの物語なのですから」
その言葉を聞いたものは、誰もいなかった。
二人の体力は限界を迎えていた。互いに傷つき、思いをぶつけあった二人の手は、いつのまにかもう止まっていた。それなのに彼らは戦っていた。体を引き裂きながら、身を粉にして死闘を繰り広げていた――そんな錯覚に陥っていた。それはもう、この世界ででしか起きない想像と現実が入り混じったものだった。
「こんなもんかよ。なぁ本物よぉ?」
「そっちこそ息が切れてるぞ」
「は。それはお互いさまじゃねぇか。ていうかお前両腕無くなってんじゃねぇか」
「それをいうならお前の足はもうないぞ」
「互いに五体不満足だなんて笑えねぇな」
「そうだな」
二人は五体満足のまま地面に寝転がり、そんな会話を繰り広げていた。常人にはきっと理解できない会話だろう。それが、二人にはできた。
「これが最後――そうだろ?」
「あぁ」
二人はよろめきながら立ち上がった。そして互いに刀を持った。
「お前、どうやって刀持ってんだよ」
「ならお前はどうやって立ってるんだ」
「わかんねぇ。いま自分になにが起こってるのか」
「同感だ」
「それでもこれだけはわかる」
「あと一撃で」
「勝負は決まる!」
二人は互いに刀を突き出し、十字に交差した。二つの刀が太陽に当たり、きらりと光った。そして響く刀の割れた音。パキンと、それは無残にも地面へと落ちていく。
「はは……ははははは! ふはははは! やった! やったぞ!」
セイギは高らかに笑った。顔を歪ませながら、凄惨に。そして黙って折れた刀をみつめたコウを哀れみの目でみる。その目にはもう、勝利しかみえてなかった。
「ついに本物の勇者を殺す日がきた! もうすぐだ! もうすぐ俺は! 本物に――!」
刹那――彼の濁った瞳孔が、大きく見開かれた。そして体を震わせながらセイギは振り返った。そして見た。いまだに死んでいない彼の瞳と、血に濡れたほとんど柄の部分しかない刀。
「そんなものでどうやって……?」
「斬れると信じたら斬れた」
「なんだよそれ。そんなのありえるわけねぇだろ」
「ありえる。ここはそういう世界だからな」
「あぁそうかいそうかい。けっきょく俺は、あと一歩のところで油断しちまったわけだ。なんとも偽物らしい最期じゃねぇか」
「そうだな」
「魔王、倒せよな」
「あぁ」
「ま、こんな終わり方も悪くないね」
「終わりだとおもえばそこで終わりだ。セイギ」
「は。なにをいまさら」
「信じろ、自分を」
「……あばよ」
こうしてセイギは崩れるようにたおれた。それを、コウは黙ってみつめていた。
「おつかれさまです。コウさん」
そこにフシギがやってきた。いつものように平然とした態度で、そこに立っていた。
「あぁ」
「そういえばコウさん。あの白髪幼女、見てないですかね?」
「……みてないな」
コウはそこでオカシがさきほどから姿を現していないことに気がついた。
「ふむふむなるほど。これは困りましたね」
「どうした?」
「いやですね。この物語はここで勇者が魔王を倒しました。めでたしめでたしで終わるはずなんですが、終わらないんですよ。おかしいですねぇ」
「おかしいのはお前だ」
常人が聞けばきっと何を言っているのか聞き取れず、口を大きく開けて「はぁ?」と言っているところだろう。コウはもう慣れたのでそんなことはしないが。
「とにかく魔王城へと行ってみるしかありませんね。やれやれ。私にも困ったものです」
「そうだな」
とにもかくにも、二人は遠くみえる魔王城へと行ってみることにした。
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