三元素通り 5

 夜が明けた。睡眠不足の体をなんとか起こし、コウは洗面台で顔を洗った。顔にはクマができていて、酷くみすぼらしい顔をしていた。コウは顔を引きつらせて笑った。


 準備をしてフシギとともに外に出る。今日もまた快晴だ。この世界は雨が降らないのかと思うほど晴れ続きだ。コウは太陽をぼうっと眺めたあと、出発した。


 北の門にはだれひとりとしていなかった。当然だ。朝も早いし、なにより街の長にはいつ出発するか言ってない。だから人が来るはずないのだ。なのになぜ、だれかが来るのではないかと振り向いてしまうのだろう。不思議だった。


 門が重厚な音を立てて開いていく。コウは一歩を踏み出した。ついにだれひととしてり二人を見送る人者はいなかった。


 街の外はとんでもないことになっていた。道脇にある草原は薄汚れていて、黄土色の道は途中から氷の道へと姿を変え、それはどんどん肥大化し、草原をも氷漬けにしていた。これを自分がやったのだと言われても、いまいちピンとこなかった。


 二人は道なき道を進んでいく。途中で氷漬けにされた木製の看板を発見した。折れていて、もう看板としての役目を果たしていなかったが、代わりにこの氷が案内をしてくれる。氷が連なっている場所をたどれば火炎の里につくはずだ。


 二人は黙って氷の道を進んでいく。そして少しずつ氷の道が急斜面になっていく。そしてそれに比例してどんどん氷が溶けてきている。きっと地面が熱を持っているせいだろう。それにどんどんと気温が上がってきてる気がする。


 気がつけば氷の道は赤茶けた地面へと変わっていた。二人は終始無言のままその地面を踏みしめる。コウは基本無口だが、フシギは歩いてるときもよくしゃべる。だが、今日は無言だった。コウが発するなにかを感じ取っているのかもしれない。あいかわらず空気が読める少女だった。


 二人は汗だくになりながらなんとか入り口のような場所へとやってきた。とにかく暑い。というよりむしろ熱い。なのにまだ入り口には入ってないのだ。これから先が思いやられる。


「いよいよですね、コウさん」と、フシギが口を開いた。

「あぁ。溶けるなよ」

「溶けないようにコウさんが守ってくださいよ」

「それは無理だ」

「えーコウさん死んでも守ってくれるって約束したじゃないですか」

「……約束か」


 コウはふと思った。自分はあの少女となにを約束したのだろうか。たわいないことだろうか。それとも大切なことなのだろうか。また、もやもやが広がった。


「行くぞ」

「ぶぅー」


 フシギが口をとがらせてふてくされていたが、気にしないことにした。二人は火山の麓にある口を開けたような入口へと入っていった。


 中は思ってたより暑くはなかった。だが、汗はどんどん垂れてくる。こまめに水分補給しないと熱中症で倒れてしまいそうだった。


 中は馬鹿でかいエレベーターが無機質に一つあるだけだった。火山の中に機械があるなんて驚きだが、あるのだから割り切るしかない。二人はそれに乗った。すると自動でエレベーターは下降していった。


「この火炎の里にもいますかね、神さま」

「いるんじゃないか」と、コウは適当なことを言った。

「どんな姿をしてるんですかね」

「さぁな」


 エレベーターはゆっくりと下降し、やがて止まった。ガシャンという音が響き、ドアが開いた。その瞬間、「うおぉぉぉん! うおぉぉぉん!」という悲鳴のような奇声のようなよくわからない声が響き渡った。


 エレベーターの外はマグマの世界だった。こぽこぽと音を立てては風船のように膨らみ、弾けては消えていく。落ちたら即死だ。


 マグマの世界だとはいえ、マグマが侵食してない地面はあった。二人はそれを慎重になりながら進んでいく。進めば進むほど声は大きくなっていく。


 曲がり角を曲がると、その声の主はいた。玉座の背もたれに額をくっつけ、地面に正座しながら、それはそこにいた。


 コウはそれが鬼だということを理解するのに少し時間がかかった。鬼というのは幻想の中の生物だと思っていたからだ。真っ赤な色をした小太りの鬼。頭に黄と黒のしましまの角を生やしている。おまけに服装も黄と黒のしましまの毛皮の服を着ている。


 鬼は二人に気づくことなくめそめそと泣いていた。


「あの」

「おおおおぉぉぉぉん! おおおおぉぉぉぉん!」

「あの!」

「おおおおぉぉ――うん?」


 鬼がようやく二人の存在に気づきこちらを振り向いた。鬼は案外可愛げのある顔をしていた。これは想像と違っていた。てっきり修羅のごとくいかつい顔をしているのかと思っていたからだ。


 鬼は瞳に涙をためて、うるうるした表情でこちらを見ていた。そして目をこすってまたもう一度二人を見る。そして驚愕した。


「なんでここに人間がおるんじゃ!」


 鬼はがしがしと涙を拭うと、玉座にすばやく座り、肘かけに肘をつき、手に頭の体重を乗せたあと、偉そうな口調で言った。


「なんで人間ごときがここにおるのじゃ。答えよ」


 どうやらやり直すようだった。鬼の面目が立たないのかもしれない。なので付き合うことにした。余計なことは言わない方がいい。


「どうして火山が噴火したのか調べにきた」

「ほほう。火山が噴火した理由とな。それは簡単な話じゃ」


 大きなでべそを突き出し、鬼が胸を張った。


「余が振られたからじゃ」

「振られたから火山が噴火したのか?」

「そうじゃ」


 なんとも身勝手でしょうもない話だった。


「ならもう噴火しないのか?」

「わからん。それは余の考え方しだいじゃ。それよりお主ら、なぜこのマグマの世界で平然としておる? 普通ならもうとっくに干からびて死んでるぞ?」

「そうなのか?」

「そうじゃ。お主ら本当に人間か?」

「人間だ」

「おかしいのぉ。このマグマを耐えうる魔法なんてフリーズのやつの水の羽衣くらいしかしかないんじゃがのぉ」

「フリーズなら二日前に会った。もしかするとフリーズがかけてくれたのかもしれない」

「あいつがそんなことをするはず……うん待てよ? 二日前?」


 鬼は目線を上に向けた。そしてむむむと唸りながら黙考した。


「お主らはもしやこの火山を氷漬けにした者たちか?」

「そうだ」

「そうかそうか――」


 鬼は何度もうなずいて、カッと目を見開いた。


「助かった! 余はたしかに高貴な存在じゃが、無益な殺生は好まぬ。それが自分の身勝手なものなら余計にじゃ。だから助かったぞ!」


 鬼はけらけらと笑った。変な喋り方だが、悪いやつではなさそうだった。


「礼として余の名前を教えてやろう。余の名前はザンじゃ」


 二人は自己紹介をした。


「ほほう。お主は勇者であったか。外見だけではわからぬものだな。ぜひ、魔王をたおすのじゃぞ。もし倒したらその暁には余と杯を交わそうじゃないか」


 鬼もといザンはご機嫌な様子でまたけらけらと笑った。


「それより、もう火山の噴火は起きないのか?」

「む? それはわからぬ。余は男じゃ。もしかするともう一度愛しい彼女に当たって砕け散るかもしれん。そうなればまた火山が噴火してしまうかもしれない。この火山は余の心の動きに同調しているからな。余の心が動けば火山も動いてしまうのじゃ」

「そういうことか」


 ザンは振られたことでひどく心が揺れ動いた。そのせいで火山が噴火してしまったのだ。ならばこのままだとまた火山が噴火してしまう可能性がある。それでは帰るに帰れない。どうにかしてこの状況を打破しなければならない。


 この問題を解決するには二つのパターンがある。一つはザンにあきらめてもらうパターン。そしてもう一つはなんとかして相思相愛に持ち込むパターンだ。前者も後者も難易度はかなり高い。だが、それしか方法が――。


「ザンさん、少しいいですか?」


 コウが口を開くより先に、フシギが問うた。


「いいぞ。くるしゅうない」

「ザンさんは高貴なお方なのですよね?」

「あぁそうだ。余は高貴なるものじゃ」

「ならそんな人は他人の女性を奪うなんてことはしませんよね?」

「あたりまえだ。そんな邪道なまねなどしたくないわ」


 その瞬間、フシギは薄く笑った。


「ならコウさんがその方に愛の告白をしても問題ありませんよね?」

「……なんじゃと?」


 ザンは驚きの表情を浮かべた。だがそのあとなにやら上を向いて考え始めた。そしてにやりと笑う


「おもしろいな、それ。コウといったな。お主、余の愛しき彼女に告白するのじゃ」

「え?」

「そして思う存分振られて余の苦しみを味わうがいい! そしてもしかすると余の大切さに気づくかもしれんしな。余は晴れて恋仲となり、火山も止まる。まさしく一石二鳥じゃ!」


 コウは返す言葉もなく、フシギを見た。フシギは満面の笑みを浮かべていた。完全にこの状況を楽しんでいる。コウは一発軽くげんこつを入れようかと思い、やめた。女性に手を出すのはいくら軽くとはいえありえないからだ。それも計算の内なのかもしれない。


「それでザンさん。その愛しい彼女とはいったいだれのことなのでしょうか?」

「お、おほん。それはじゃな。森林の砦に住んでる妖精……ピ、ピコちゃんじゃ」


 ザンは頬をぽりぽりとかきながら、照れた様子でそう言った。ぜんぜんかわいくなかった。おそらく中年太りのせいだろう。


「ではこれよりコウさんが愛の告白をしにいくので、ザンさんはここで待っててくださいね」

「ま、まて!」


 コウの背中を押して出て行こうとすると、ザンが慌てた様子で止めた。


「余も同行する。振られた顔を拝みたいしな」

「でもザンさん。エレベーター乗れるんですか?」

「もちろんじゃ。ほれ」


 ザンは指をパチンと鳴らした。するとザンがみるみる内に萎んでいく。まるで穴の開いた風船のようだった。そして気づけばフシギよりも小さな子鬼になっていた。便利な魔法もあるものだ。


「それでは森林の砦に出発じゃ!」


 こうして二人と一匹は火炎の里をあとにし、森林の砦へと向かうのだった。

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