始まりの街 5

 ココノ遺跡とは、古くからある遺跡で、なんの変哲もないただの古びた遺跡らしかった。調査は何度かあったらしく、特に宝玉がありそうな場所は無かったという。


「そしてここがそのココノ遺跡ですか。なんだかこじんまりとしてますね。ちゃっちいです」


 午前零時、二人はココノ遺跡へと足を運んでいた。街からココノ遺跡まではそう遠くなく、歩きでも難なく来れる距離だった。


 ココノ遺跡は、コケの生えた岩で入り口をつくっていて、地上にはその入口しかなく、どうやら地下に続いているようだった。


 夜になるまでの間、コウはココノ遺跡の情報を調べたが、あまり成果は上がらなかった。ビジョいわく、取り立ててなにかあるわけでもない遺跡らしい。


 ビジョは、コウにどこにでもありそうな刀を貸してくれた。そこはありがたいが、あくまでも貸しらしく、傷つけたら弁償らしい。もっと寛大な心を持ってほしいものだった。まあ、贅沢はいってられない。


「それではコウさん。さくっと宝玉を取りにいきましょうか」

「あぁ」


 フシギはいつものように落ち着いていたが、コウは生返事しかできないくらい不安に襲われていた。果たして、こんな軽装備で遺跡に入ってもいいものなのか。


「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ほら、コウさんあんなにこの遺跡のこと調べてたじゃないですか。危険はないんでしょう?」

「たしかにそうだが、魔物が巣をつくってるかもしれない――そういえば、俺が調べてる間、ちょこちょこいなくなっていたが、何をしてたんだ?」

「散歩ですよ。もう一生できなくなるかもしれませんからね」

「縁起でもないことをいうな。行くぞ」


 コウは不安を吹っ切って遺跡の中へと足を踏み入れた。中は暗く、足元さえも見えない。失明した気分だった。


「大丈夫か、フシギ?」

「大丈夫かといいたいのはコウさんですよ。へっぴり腰になってますよ?」


 フシギにそう言われ、背筋をピンと立ててからゆっくりと奥へと進んでいく。階段をおりる音だけが不気味に木霊する。


 歩いても歩いても続くのは階段だけなのかと思うほど、階段だけがずっと続く。しかも、ずっと一本道だ。曲がり角もありはしない。


「いったいどうなっているんだ?」


 コウが首を傾げたときだった。


 ガコン! となにかが作動する音がした。


「なんだ!」


 コウは壁に手をついて周りを見るも何も見えない。


「コウさん! 下です!」

「え?」


 コウは慌てて下を見た。暗くてよく見えない――


「きゃ!」


 フシギが小さく悲鳴をあげた。そして勢いよくコウにぶつかってくる。


 コウは足に踏ん張りを利かせるが、なぜか滑った。


「は?」


 その瞬間、カカカカカカカカカカと、ドミノが連鎖的に倒れるような音が響く。


 コウはその音を聞きながら背中を地面に打ち付けた。だが、出っ張りはなく、すべて水平だった。


 ドミノ倒しのような音が終わり、続いて響いたのは遺跡全体が揺れるようなゴゴゴゴゴゴゴという音。


 コウは嫌な予感がした。


 緩やかな下り坂が、急な下り坂に変化していく。


「うおぉぉぉ!」


 コウはフシギを上に乗せて、まるでソリのように変化した滑り台のような道をつるつると滑っていく。その速さは、滑れば滑るほど上がっていく。


「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」


 コウはもう叫ぶしかなかった。フシギはコウの上に乗りながら身を屈め、胸に引っ付いていた。


 やがて、扉が見えた。


「コウさん! 扉です!」

「は?」


 コウは声にならない声をあげたあと、


「うおぉぉぉぉぉぉ!」


 叫びながら、闇色に染まった重厚な扉に突撃するのだった。


 めまぐるしいとはこのことだた、コウは呻き声をあげてぼんやりと考えていた。


「コウさん、大丈夫ですか? 起きてください」

「うぅ……」


 コウはうっすらと目を開けた。目の前には、フシギが心配そうな表情でコウの顔をみつめていた。どうやらフシギは無事のようだった。


 それにしてもいきなり階段が滑り台のように変形したり、いきなる斜面が急になったり、そして扉に体当たりだったり、いきなり事態が急変しすぎである。


「コウさん、ぼんやりと過去のことを考えている場合ではありませんよ。後ろを振り返ってください」


 言われるがまま、コウはう後ろを振り向いた。炎を灯した燭台が壁中にあるのは見てわかった。これがこの部屋を照らして視界を良好にしてくれているようだ。


 だが、そんなことはどうでもいい。それよりも今は、目の前で鼻息荒く構えている『魔物』の方が重要だ。


 野太い二本の折れ曲がった角。黄色い眼(まなこ)に尖った二本の牙。赤い体。そして十メートルはあろう巨大な体躯。片手には、岩をも簡単に砕きそうな斧を持っている。


「あれはミノタウロスですね。危険度的にはA級クラスの化け物並に強い魔物です」


 フシギは解説してくれた。だが、そんな言葉はコウの耳には入らなかった。入るわけがなかった。


「う、うそだろ……」


 事態が急変して、そしてそれをも呑み込むような緊急事態。コウの頭は真っ白だった。


「ウオォォォォ!」


 ミノタウロスは唾液をだらだらと垂らしながら吠えた。まるで、目の前のご馳走を喜んでいるみたいだった。


「立ち上がってください、コウさん」

「なぁ、フシギ。あいつの――あいつの戦闘力はいくつだ?」


 コウは立ち上がることもせず、フシギに縋るように聞いた。


「ミノタウロスの戦闘力は、約1000です」


 フシギはそう言った。コウはあっけにとられた顔でフシギをみつめていた。

 戦闘力の話は、この遺跡に来る前に話が戻る。こんな話だった。


「戦闘力? それはなんだ?」


 遺跡へと行く道中、コウはそう聞いた。


「戦闘力とは、その人の『強さ』です。私はそれを測ることができます」

「そうなのか。なら、俺のその戦闘力ってどれくらいなんだ?」

「100ですよ」

「100? それは強いのか? 弱いのか?」

「普通の人よりはまちがいなく強いですよ。ちなみに私の戦闘力は10です」

「なら足し合わせて110か。よくわからんな」

「まぁ、しょせん数値ですから」


 コウはそのことを思い出し、聞いて、そして絶望した。十倍の差があったからだ。目の前が真っ暗になりそうだった。


「勝てるのか? おれは」

「さぁ、どうでしょう。やってみなければわかりませんよ」

「そんな……」


 コウは、ゆっくりと近づいてくる緩慢なミノタウロスをみつめた。即座に殺す気はないらしい。楽しんで食べる主義なのかもしれない。


 仮に、ミノタウロスの動きがあのようにのろまならば、持久戦に持ち込めば勝てるかもしれない。あんなに馬鹿でかい斧を振り回せばすぐに疲れるだろうし、頭が悪ければうまく利用できるはずだ。そう思えば、やれる気がしてきた。


 コウは立ち上がった。


「そうですよコウさん。コウさんは勇者なのですから、こんなところで震えていたら、勇者失格ですよ」

「そうだな」


 フシギの言う通りだ。ただただ怯えることは、誰でもできる。でも、強敵に立ち向かうのは勇者であるコウにしかできない――そして倒すことも。


 強敵を倒すのは勇者の役目だ。できなければただの人だ。


「うおぉぉぉぉ!」


 勇者は駆けた。ビジョから借りた平凡な剣を持って、巨大なミノタウロスに挑む。


 ミノタウロスは、近づいてきたコウを威嚇するように吠えた。そのあと、斧を肩にかかえて――跳ねた。


「は?」


 コウはあんな巨体が軽々と跳躍する姿を見て、すぐに信じられず、立ち尽くしてしまった。


「コウさん!」


 フシギの呼ぶ声で、どうにか降り注ぐ馬鹿でかい斧を回避するべき跳躍した。

 だがそれはあまりに遅い回避で――


「ぐ――!」


 斧から出る激しい風圧と、地面を叩き割った岩のつぶてがコウに降り注ぐ。

 コウは岩のつぶてに視界を覆われた――前が見えなくなる。


「ウオォォォォ!」


 突然の弾けるような衝撃。コウはわけもわからず燭台が並ぶ壁につっこんだ。


「コウさん!」


 フシギがコウを呼ぶ声がした。だが、それがひどく遠く聞こえる。それに、手足も動かない。


 また、ミノタウロスが吠えた。さっきまでばかでかいと思っていたその雄叫びも、今は遥か彼方のものに聞こえる。


 ミノタウロスは歩き出した。地面が一歩歩くたびに揺れる。ゆっくりと目を開けたら、世界が血色に染まっていた。


 コウは自嘲するように小さく笑った。結局、こんなものだ。戦闘力が桁違いの相手に勝てるわけがなかった。ありえない話だった。さきほどの自分をぶん殴ってやりたかった。


 分不相応――今の自分にはこれがお似合いだと、コウは思った。


 コウは目を閉じて、足音を聞いた。ずしん、ずしんと、カウントダウンを刻むように足音が聞こえてくる。はっきりと聞こえてくる。けれど――近づいてこない。というよりむしろ、遠ざかっていた。


 コウはもう一度、目を開けて、血色の世界をもう一度よく見た。そして震えた。


 ミノタウロスはゆっくりと、フシギに近づいていた。フシギは、腰を抜かしたのか、その場を動こうとしない。目は大きく見開かれている。


 そして彼女の小さな口が開いた。


「コウ……さん」


 コウは思った――フシギを守るために死んではならないと。


 コウは悟った――本当に死ぬ瞬間まで、もがき苦しまねばならないと。


 コウは信じた――勇者であることを。勇者ならば、死しても愛する者を守らなければならないと。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 全身の力を振り絞り、コウは体を動かす。まるで鉛のように重い体は、自分の体ではないようだった。あいかわらず、ミノタウロスの歩くスピードは緩慢だ。


 コウはなりふりかまわず走った。たとえ四股が取れようとも、彼のスピードは止まらない。それくらいの迫力があった。


「フシギィィィィィィィ!」


 ミノタウロスが斧を振り上げた。


 そして無慈悲に振り下ろす。


 コウはそれでも動かないフシギに体当たりするように――けれど傷つかないように優しく配慮して、腕の中にしまい、ミノタウロスの一撃を間一髪避けた。暴風と岩が容赦なくコウの体を叩きつける。


 コウは気付けばまた横たわっていた。


「コウさん……体中血だらけですよ? 大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。つばつければ治る」

「そしたら全身つばまみれですね」

「こんなはずじゃなかったんだがな」


 ミノタウロスが近づいてくる。


「フシギ、逃げろ」

「いやです。たしかにミノタウロスの先には出口のような場所がありますが、あそこまでたどりつくのは私には不可能です」

「なら、俺が時間を――」

「その体ではもう動くことすらできませんよ」

「ならどうすれば……」

「死ぬしかありませんね」

「そんなこと、許されるはずがない」

「ならばコウさん、最後に私を抱きしめてくださいよ」


 ミノタウロスの足音が止まった。死神はもう、すぐそこだ。


 こんなはずじゃなかった。こんなことになるわけないと思っていた。ここで死ぬわけないと高を括っていた。死という恐怖を、味わってみたいなんて考えていた。


 死神は、冥土へと送る鎌を悠々と振り上げた。死はすぐそこだ。


 けれど死神の鎌は、二人を冥土に送るまでには至らなかった。憎々しげに、死神は吠えた。


「どうやら間に合ったみたいね。ヒーローならぬヒロインである私――ゼセーノ=ビジョ、華麗に参上よ!」


 コウは思わず顔を上げた。そこには、馬鹿でかい大剣を肩に担いで、呑気にピースしているビジョの姿があった。


「な、なんでビジョがここに?」

「フシギに頼まれてたのよ。頼まれ物をつくっててちょっと遅れたけど、ぎりぎりセーフみたいね。だいじょうぶ、コウ?」


 ビジョはコウに手を差し伸べた。だが、コウはそう簡単にその手は取れなかった。


「俺は今、死のうとしていた。あきらめていた。勇者である俺が、死を受け入れてしまった。俺に生きる資格はない」

「はぁ? あんたなに馬鹿なこと言ってんのよ! 生きてればそういうことくらいあるわよ! 勇者だって人間なんだから! 死ぬことくらい考えるわよ!」

「そんなことは……」

「あるわよ! だいたいね! 助かった命なんだからそれを無駄にしようとしたら、それこそ勇者失格よ! いやこの場合人間失格といってもいいわ!」

「……そういうものか?」

「そういうものよ!」


 たしかにビジョの意見にも一理ある。だが、そう簡単に切り替えてもいいものなのか、コウにはわからなかった。


「まぁ、あんたはそこで休んでなさい。ていうか、そんな体じゃろくに動けないでしょうけどね」


 ビジョはそう言って、前を向いた。ミノタウロスが低く唸る。警戒しているようだった。


「さぁ――いくわよ!」


 ビジョは大剣を両手に持ち、駆けた。ミノタウロスも斧を両手に持ち、ビジョを迎え撃つ。


 だが、ミノタウロスの攻撃は美女にはかすりもしなかった。


「せぇぇぇぇぇい!」


 ビジョの大剣がミノタウロスの皮膚にかみつく。ズバンと気持ちのいい音がして、ミノタウロスの皮膚から真っ赤な血が噴き出す。ミノタウロスは悲鳴のような声をあげた。


 ビジョはそのあともどんどんミノタウロスに傷を入れていく。斬られたところから絶えず血が噴き出し、まるで噴水のようにあたりに飛散していく。


「ちょろいわね」


 ビジョは大剣をぶんぶんと振り回しながらも息一つ乱れず余裕そうだった。

 その様子を、コウは信じられないものでも見るような目で見ていた。やがて、ぽつりと言った。


「いったい、ビジョは何者なんだ?」

「彼女は剣士ですよ。それもかなり才能のある」


 フシギはその独り言を拾い上げて、言った。


「なにせ彼女の戦闘力は10000を超えてますからね。見たときは驚きました」


 コウの百倍以上。どおりでこんな簡単にミノタウロスを圧倒するわけだ。ミノタウロスからみれば、ビジョは桁違いの戦闘力を持っているのだから。強者が勝つ。当たり前の話だ。


「どうして俺はこんなに弱んだ」

「コウさんが弱いわけではありません。ビジョさんが強すぎるんですよ」


 そう言われても、納得できなかった。コウは悔しくて、拳をぎゅっと握りしめた。


「強くなりたいな」

「なれますよ。なにせあなたは勇者なのですから」


 戦いはこれで終わった。


 そう思った――そのとき、物語は蠢く。


「ウオォォォォオアァァァァ!」


 今日一番の激しい雄叫びが部屋いっぱいに轟いた。コウは思わず体をすくませた。そしておそるおそるミノタウロスを見る。そしてミノタウロスの黄色かった眼が、真っ赤に染まっているのを見た。


「いったいなに! 負け犬の遠吠え? あれ、牛だけど」


 ビジョがばかばかしいことを言ったそのとき、ミノタウロスが斧を振り上げ、振り下ろす。それは、誰もいない場所だった。


「血を流しすぎて前が見えなくなったのかしら?」


 ミノタウロスはとにかく暴れ回った。まるで暴走した機関車だ。やたらめったらに飛び跳ねては斧を振り回し、また跳ねては斧を振り回しの繰り返し。そしてそれはビジョの真上だったり見当違いだったり――とにかく手あたり次第だった。


「あんたたちもっと離れてなさい! こんな無作為だといつあんたたちに突っ込むかわかったもんじゃ――」


 その直後、ミノタウロスが軽快に跳ねてビジョの真上に斧を振り上げる。ビジョはコウとフシギに気を取られて回避が少し遅くなった。


 だが、そうはいっても難なくかわした。


「いったいなんなのよ!」


 ビジョが悪態をついたそのとき、事態は起きた。


 ゴゴゴゴゴゴゴ! ガシャン!


 突然、ビジョの足場が崩れるように割れていく。まるで耐久力のない土壁のようだった。


「え、嘘!」


 ビジョは崩れ落ちる足場から逃げ出そうとするも、もう既に瓦解した足場は、力強く踏ん張っても下へと引っ張られるだけだ。ようはジャンプすることができないのだ。


「ビジョ!」


 コウは無意識の内に走り出し、穴が開いていく地面へと走る。


「コウ!」


 ビジョは下に吸い込まれながらも、コウへと手を伸ばす。もう少しで手が届く。

 もう少し――もう少し!


 互いの手が触れた。ビジョの手に血が付いた。そのままビジョは下へ下へと沈んでいく。


「届けぇぇぇぇぇぇぇ!」


 腕が引きちぎれるくらいに手を伸ばす。


 けれどコウには何も掴めなかった。彼女は暗闇の底に落ちていった。


「くそぉぉぉぉぉ! くそがぁぁぁぁぁ!」


 コウはビジョを吸い込んだ暗闇をみつめた。暗闇も、彼をみつめていた。


「なんで! なんで救えないんだ!」


 たったいま、強くなりたいと決意したばかりなのに。


「どうしてこんなにも俺は弱いんだ!」


 こんなにも自分を殺したいと思ったことはない。


「どうして俺を一緒に落としてくれないんだ……!」


 穴はコウを避けるようにして手前で止まっていた。ここで穴に落ちることができたらどんなによかったことか。自分の不幸な幸運を、コウは呪った。


 ミノタウロスは急に上機嫌になった。うまくいったと喜んでいるのだろう。


「お前のせいだ! お前のせいで――!」


 言って胸が痛くなった。なにかが胸につきささったようだった。呼吸ができない。苦しい。


 ミノタウロスは、穴を挟んだ向かい側に立っていた。そこからでも、長い手とばかでかい斧があればコウをぺちゃんこに押し潰せるだろう。


 押し潰されればどんなに楽か。このまま殺されればこの思いからは逃れられるのだ。けれどそれをしたら、自分は死んでもその行為を悔やみ続けるはずだ。そんなことはしたくない。だからコウはミノタウロスから目を離さない。睨み殺せればいいのに――なんて思いながら、コウは真上に振り上げられた斧には目もくれず、ただただ真っ赤な眼をみつめていた。


 死んだ瞬間、呪い殺せるように。


「オン・スペル・バインド」


 小さくか細く――しかしよく通るような声が、この部屋に木霊した。


 その言葉のあと、ミノタウロスは石像のように硬直した。まるでなにかに縛られてるみたいだった。


「コウさん。この魔法の効力はあと三十秒です」


 と言ったのは、フシギだった。いつものように、彼女はコウの隣にいた。


「コウさん、私はさきほど戦闘力の話をしましたね。そのせいでコウさんは本来の力を出せずにいる」


 フシギは続けた。あと二十秒。


「戦闘力なんてものはただの数値ですよ。あんなのは当てになりません。勇者ならばなおさらです。勇者は戦闘力で戦う人ではありませんから。それに――」


 あと十秒。


「たったの十倍ですよ。そんなものがひっくり返せないなんて、そんな人は勇者ではありません。魔王なんて戦闘力を測ることすらできませんから。そう考えたら、十倍なんてたいした差ではありません。大事なのは心ですよ、コウさん」


 残り一秒。


「反撃開始ですよ、コウさん。目にものみせてやりましょう。あんな平凡剣士とは、比べ物にならないくらいのやつを」


 そして拘束は解かれた。ミノタウロスの斧が動き出す。


 コウの目に光が宿った。


「はあぁぁぁぁぁ!」


 コウは斧の横っ腹を剣で叩き、軌道を逸らした。斧はあらぬ方向に軌道を変えられ、ミノタウロスはバランスを崩す。


 コウは無我夢中で走った。このチャンスを逃すわけにはいかないからだ。


「おおおおおらぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 コウが狙ったのは、あの真っ赤に染まった眼だ。体勢が崩れたミノタウロスの眼に、剣の先をねじこむ。ミノタウロスは悲鳴をあげた。


 コウはすばやく剣を抜くと、今度はミノタウロスの背中へと回った。ここならばそうそう斧があたることはない。そして首の後ろ辺りに剣を突き刺し、そのまま地面に飛び降りた。その重みで剣は首から背中に真一文字の傷をいれる。ミノタウロスの体がよろけた。


 あと少しだと、そう思い、体の力が抜けた。その瞬間、ミノタウロスの手がぬいっと現れ、がしっとコウを掴んだ。


「くっそがぁ!」


 どうにかして刀を突き刺そうにも、あまりに力が強く、コウは剣を落としてしまう。握る勢いがどんどん強くなっていく。


「あ……く……」


 息ができず、体が弾け飛びそうだった。意識が断絶しそうになる。


「ま……だ……」


 コウが呻いたその刹那――コウの目の前が淡い光に包まれた。


「オォ」


 ミノタウロスが小さくいなないた。そして、足場が一気に崩れ落ちる。


 ミノタウロスとコウは、ビジョのように奈落の底のような暗闇へと落ちていく。いつのまにか、コウはミノタウロスの手から離れていた。そしてそれは、意識に関しても同じだった。


 またしても気を失っていたコウは、今度は自然と目を覚ました。そして周りから溢れる真眩しい光に目を細めた。


「やっと起きたのね。ほんと、あんたって弱っちいやつね」


 薄目から見えたのは、薄汚れたビジョだった。ビジョはコウが気がついたことが嬉しいのか、にかっと笑った。一瞬、目を奪われたような気がしたが、気のせいだろう。


「こ、ここは?」


 いまだに眩しさに慣れないコウは、ここがどこだかよくわからない。


「ここは、そうね……宝物庫みたいなところなのかしら?」

「宝物庫?」


 コウはそれを聞いて急いで体を起こした。少しずつ、景色がはっきりしていく。


「すごいな、ここは」


 そこは金色に囲まれた部屋だった。眩い光が四方から注がれ、コウはただただ茫然としていた。


「というかビジョ、お前生きてたのか」

「そうよ。ちなみに最後の光は私の――」


 ビジョは自慢げに言おうとしたが、それは止められてしまった。


「ちょ! ちょっと!」

「よかった」


 コウはビジョを抱きしめていた。最初はあたふたとしていたビジョだったが、やがて大人しくなる。


「……も、もういい?」

「あ、あぁ……すまない。感極まった」

「ま、まぁ別にいいけど……」


 ビジョは顔を赤くしてそっぽを向いた。けっこう恥ずかしかったようだ。だが、ここには人はいないのでそこまで恥ずかしがらなくてもいい気はするが。


「コウさんの浮気者~おたんこなす~」


 いや違った。フシギがいた。フシギは唇を前につきだし、ふてくされた様子で岩に腰かけ、足をぶらぶらとさせていた。


「いやまて。俺は浮気者ではないぞフシギ。俺たちは付き合っていないはずだ」

「乙女心がわかっていませんね、コウさんは」

「乙女を語るような年でもないだろう、フシギは」

「失礼ですね。私だって乙女ですよ。乙な女ですよ」

「乙な女だと、意味がまた違うような気がするが、それは置いといて、フシギも無事のようだな」

「安否のお祝いハグは?」

「ない」

「生きててよかったのちゅーは?」

「そんなのものはない。それより、ここが宝物庫ということは、宝玉はここにあるんで間違いないのか?」

「間違いないというより、あそこにありますよ」


 フシギはこの部屋の奥を指差した。


 そこには、丸い玉があった。七色の光を放っており、見るからに宝玉感を存分に出していた。


「これで依頼完了だな」


 コウはその宝玉を手で掴んだ。思ったより軽かった。


「コウさん、ぜひその宝玉を私に持たせてください。大切にしまっておきますので」


「わかった。わるいな」

「いえいえ」


 フシギはそう言って宝玉を受け取った。


「では戻りましょうか。出口はすぐそこです」

「はぁ。疲れたわね。甘いものが食べたいわ」


 こうして三人はココノ遺跡をあとにした。

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