異世界に行くのが難しすぎる

よるねむ

プロローグ

 季節は夏。夏休みが差し迫った頃。


 八塚中学三年三組の教室では、放課後進路に向けた面談が行われていた。


「この高校は、ちょっと厳しいんじゃないかなぁ」


 ここの担任である森山重治は、椅子の背もたれに寄りかかりながら、うーんと腕を組んで唸り声を上げた。


 その渋面に、向かい合わせで座っている制服を着た生徒――立山純が恐る恐る聞く。


「やっぱり、厳しいですか?」

「んー、今の成績だとちょっとねぇ」

「そうですか……」


 すると、目に見えるくらいあからさまにがっくりと純の肩が落ちる。小柄な体が、より一層小さくしぼむ。


 その様子を見て、なんだかバツが悪くなってきた森山は、机の上に置かれたクリアファイルから、純の模試の成績を取り出した。成績としては、可もなく不可もなく、といったところだ。


 森山はそれから机の上に置いてある一枚の手のひらサイズの紙を手に取った。

 この紙は進路希望調査票で、行きたい高校の第一志望から第三希望までを書くためのものになっている。


 今回純が進路希望調査票に書いた第一志望の高校は、明らかに彼の学力と釣り合っていなかった。なのでこうして、やんわりとはっきり、現状を伝えているわけだ。


 森山はこれで折れるだろうと高をくくっていたが、その予想は外れた。


「それでも、目指したいです」


 その発言に、森山は内心驚いた。彼の性格は春から見てきたのでわかるが、あまり我を通すような子ではないと思っていたので、意外だった。


「それはどうして?」


 森山はここが話の肝だろうなと思っていた。きっと、彼には彼なりのなにか思いがあって、この学校に行きたいのだろう。


「そ、それは……その」


 言葉が見つからないのか、言いにくいのことなのか、純は口ももごもごとさせながらはっきりとした理由を述べようとしない。


 けれどそれは、教師歴が三十年にも及ぶ森山にはピンとくるものがあった。

「誰か好きな人でも行くの?」

「うえぇ!」


 純は図星とばかりに目を白黒させ、顔を赤くしながらあからさまに動揺した。分かりやすすぎて森山は思わず笑いそうになる。


 そして、もう少しいじめてみたい気分に駆られる。


「もしかして相手は、奏多かな?」

「――!」


 純はもう言葉すら発せないようで、口をぱくぱくさせながら固まっている。


「な、なんでそれを」

「いやだってこの高校を第一志望にしてて、君と接点がある子って彼女くらいしかいないし。ほら、君達ってたしか図書委員だよね?」

「あ、あの、その、このことは……」

「はは、言わないよ。それで、私の言ったことは間違ってないんだよね?」

 すると。純はか細い声で「まぁ、はい」とつぶやいた。

「そっか。なら、目指すのもありかもしれないな」

「え……いいんですか?」

「もちろん、条件はある。次の模試の結果がこれより悪くなったら、その時点で志望校を変えてもらう」

「あ、はい! ありがとうございます!」


 純は嬉しそうに目を輝かせながらそう森山にお礼を言う。


「でも大変だよ。この成績から彼女の志望校と同じ学校に合格するのは」

「わかってます。でも、諦めたくなくて」

「そんなに好きなのかい、彼女のことが」

「す――! いや、なんというか、近くにいたい、というか、離れたくない、というか」

「なんかそれだけ聞くとストーカーみたいだね」

「す――! いや、違いますよ!」


 なんだか彼の反応が一々面白くて、森山はついちょっかいを出したくなってしまう。


「いやあごめんごめん。でも、もし受かれば彼女との青春の日々が待ってるよ。これが俗に言うインスタ映えってやつ?」

「いや、意味違いますよ、先生」

「え、そうなの? ならなに? エモいとか?」

「いや、普通に青春でいいんじゃないですか」

「あ、そうなの……難しいね、若者言葉って」

「まあ、若者でもマスターできないですからね。先生には難しいかも……」

「確かに最近白髪も増えて、物忘れも激しくなってきてるしね」


 森山は黒髪のほうが少なくなってきた髪を触りながら、溜息を吐く。前までは生徒の名前と顔を一致させることなんて三日もあればできたが、今では一ヶ月近くかからないと中々生徒全員の顔と名前が一致しない。


 歳は取りたくないものだと、森山はぼんやりとそう思う。


 こうして純との面談を終えた森山は、次に面談する生徒の名前を確認する。ここでも歳のせいですぐに次に面談する生徒の名前が出てこない。


 森山は教員用の引き出しを開けて、中から面談用の名簿を取り出した。


「次の生徒は……なんだ、噂の彼女か」


 森山は次の面談相手が先ほど話題に上った奏多美愛だと知り、思わず笑ってしまう。


「探りでも入れておこうかな」


 年甲斐もなくそんなことを考えながら名簿を引き出しにしまおうとしたとき、そこにある封筒が置いてあることに気がついた。


「あれ……ちょっと待てよ」


 森山は、ある生徒がこの二学期を皮切りに転校することを事前に知らされている。そのための書類が、ここに入れてあるのだ。


 確かその名前が――。


「い、いやいやまさかね」


 嫌な予感を覚えつつ、森山は封筒から書類を取り出した。ここに、転校する生徒の名前が書かれているはずだ。


 森山は書類を見た。


 転校する生徒の名前の欄には、奏多美愛と、そう書かれていた。


「うっそぉ……」


 森山は何度もその書類を確認するが、名前は変わらない。


「やってしまった……」


 森山は呆然と立ち尽くして、


「これ、物忘れのせいにはできないよね?」

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