ぼくのお家はダンジョン最下層

京高

ぼくのお家はダンジョン最下層

(い、言えない!)


 すっかり顔馴染みになった冒険者の一人と別れの挨拶を交わしながら、シローは心の中でそう叫んでいた。


 迷宮都市『プラント』。


 名前の通り迷宮を擁するそこそこに有名な独立都市である。


 中央部から北部にかけて、大陸を分断する通称『背骨山脈』の南端に近いあたりに位置するさほど大きくもない盆地にその街は存在した。


 端とはいえ大陸屈指の山脈である。プラントの周りを囲む山々もそれなり以上には険しく、位置的には非常に有用ながらもその交通の不便さから周辺の大国からは見逃されてきたという歴史を持つ。


 もっとも、これにはもう一つの理由が大きいのだが。


 実はプラントにはもう一つの名があった。


 それが『大陸の臨時食糧庫』である。


 迷宮というのは基本的にアリの巣や鍾乳洞、はたまた古代文明期の建造物内部のような入り組んだ『迷路型』の階層と、草原や森、海岸に火山地帯に凍土等々どこか異世界にでも迷い込んだのではないかと思えるような広々とした『大部屋型』の階層の二種類で構成されているのが普通である。


 しかしプラントの迷宮は大部屋型ばかりで、その上五階層ごとに似通った階層が延々続くという一風変わった特徴――現状では百二十六階層まで確認されている――を持っていた。


 加えて、出現する魔物も弱く大金を獲得できるような素材も有してはいなかった。


 とはいえ、全てが無駄という訳ではない。むしろ大半の部位が有用だと言える。


 なぜなら……、プラントの迷宮に生息している魔物は、ことごとく食用に向いていたからである。


 迷宮という性質上、倒しても魔物はすぐに補充される。天候不順に災害に疫病と、大陸では様々な要因から食糧難に陥りかけたことがあるが、プラントから狩り出される大量の食糧魔物たちによって、最悪の事態を回避することができていたのだった。


 このため、周辺の大国はいざという時のためにプラントを不可侵地域として協定を結んでいるのだった。


 さて、出現する魔物が弱いことからプラントの迷宮は冒険者に成り立ての新米が集まってくることが多かった。


 しかも食料になるということで、孤児や口減らしのために故郷を失った子どもや若者たちが多い。


 シローもまたそんな一人として、半年前にプラントの冒険者協会支部で登録を行った駆け出しの冒険者として日夜生活していた。


 ……のだが、彼には他の誰にも言えない秘密を抱えていた。


(本当はプラントの街じゃなくて、迷宮の最下層に住んでいるだなんて絶対に言えない!)


 それどころか人間かどうかも定かではなかったりする。


 一応精神は人間のつもりではあるが、「この世界の」という枕を付けられてしまうとそれすらも怪しくなってしまう。


 それというのもシローは異世界の人間を参考に、プラントの迷宮最奥にある迷宮核という存在によって産み出されたものだからだ。


 一体どうしてそのようなことができてしまったのかは謎であるのだが、ともかく異世界人としての知識や経験を持ち――ただし、性格などの一部を除いて、元となった人格のパーソナルな部分は失くしているらしい――ながら、身体の面では迷宮内に生息している魔物に近い存在という、不可思議生命体が誕生してしまったのだった。


 余談だが、その影響で迷宮核も大きく変貌を遂げることになってしまっていたのだが、詳しくは後述する。


 このように大量に重大な秘密を抱えているシローなのであるが、何故だか本人としては彼の生活の中心となっている場所が「迷宮最下層であること」が一番の秘密だと捉えているという、どこかズレた思考をしているのだった。


 まあ、その事も安易に漏らすことはできない重要機密であるので間違ってはいないのだが。


 特に、元の世界の知識に基づいて作り上げられた便利な品々に囲まれた快適空間であれば尚更だろう。むしろ、その点による罪悪感や優越感から「絶対に言えない!」という認識になってしまっているのかもしれない。


「はああああぁぁぁぁぁ……」


 夕闇に追い立てられて逃げ込むようにして住んでいる、ということになっている長屋の一室に入ると盛大なため息を吐く。


 幸せが失われてしまうという俗説が本当であるとすれば、ざっと数年分の幸せが吹き飛んでしまうくらいの大きさである。


「やっぱり飯くらい付き合っておくべきだったかなあ……」


 ほんの十分程前に冒険者協会であった出来事を思い出しながらシローがぼやく。


 プラントでは珍しい高等級の冒険者から「たまには一緒に飯でも食いに行かないか」とその場にいた他の冒険者たち共々誘われたのである。


 どうやら珍しくマジックアイテムの類を発見して懐に相当余裕ができていたらしい。


 「初心者専用」だの「駆け出し御用達」だのと言われるプラントの迷宮であるが、そこはそれ迷宮であることに変わりはない。まれにアイテムボックスを始めとした有用なマジックアイテム類が発見されることがあるのだ。


 そのため、ちょっとした運試し感覚で旅の道すがらプラントを訪れる冒険者は少なくないのだった。


 余談だが、件の人物は五等級なので冒険者全体から見れば精々が中程度であるが、ほぼほぼ一人前以前の駆け出ししか集まらないプラントにおいては十二分に高等級という扱いをされているのだった。


 話を戻すと、シローたちに声を掛けてきた人物は特別金に困っていたという訳ではなかったようで、新米の若者や冒険者協会職員たちに幸運のお裾分けをしようと考えたらしい。


 まあ、太っ腹なところを見せて先輩としての尊敬を得ようという下心もなかったとは言えないのだが。


 しかし当のシローはというと、そんなタダ飯を喰らう機会を捨てて帰ってきてしまっていたのだった。


 それというのも、


「あの人、酒癖が悪いらしいからなあ」


 という噂が立っていたからだ。


 より正確には、噂ではなく真実である。暴れるような事こそなかったものの、街にやって来てから毎晩のように酒を飲んでは近くにいた者たちに絡み始めるという傍迷惑な行為を繰り返していたのだった。


「確か俺ってまだ未成年だったはずだから飲めないし」


 素面しらふで酔っ払いの相手をしなくてはいけないというのは、なかなかに辛いものがある。酒癖が悪い相手となれば尚更だ。


 喜楽よりも辛苦の方が勝ると分かっている場所にすき好んでいこうとする者は少数派だろう。


 ちなみに、シローは迷宮が創り出した存在であり人間のようであっても人間ではないので、酔っぱらおうとしなければ酔うことはない。


 そのため本人は気が付いていないが、飲酒自体は実は何の問題もなかったりする。


 加えて、シローには決定的な理由があった。


「何といっても家で食べる飯の方が美味いから」


 臨時食糧庫という呼び名の通り、プラントの迷宮では豊富な食材を手に入れることができる。


 その中にはスパイスなど調味料の元になるものも存在していて、食材の種類だけで言えばシローの元の世界に負けずとも劣らない程であった。


 が、材料があるから美味い料理ができるかと言えばそうではない。


 調理だけではないが、長い年月をかけることで技術は研鑽されて知識は積み重ねられていくものだ。更にある種突然変異的な革新も組み合わさることで、より高い次元のものへと昇華していく。


 残念ながらこちらの世界は元の世界に比べるとその年月が短かった。


 要するに未熟であり、元の世界での知識を持ち合わせているシローからすれば物足りない、もっと言えば不味い料理が多いのだった。


「昼の軽食としてなら満足できる物も多いんだけど、晩飯だとどうにも物足りなく感じるんだよなあ……」


 その点、家であれば元の世界の知識をフル活用することができる。


 これらのことからいつしかシローは、夕方以降はすっかり付き合いが悪くなってしまったのだった。


「まあ、今更出向いていくこともできないし、さっさと帰ろう」


 借家だがパーソナルスペース内だということで気が抜けてしまっているのか、先程から思考した内容が口からダダ洩れとなっていることにも気が付いていない。


 もしも今の台詞を聞いていた者がいたとすれば、「こいつは何を言っているのだ?」と大量の疑問符を頭上に浮かべることになっただろう。


 しかし、シローにとってこの長屋は周囲の目を欺くための仮の住処でしかない。


 なにせ彼の本当の家は、先だっての独白にもあったように迷宮最下層にあるのだから。


 キッチンと呼ぶのもおこがましい小さな調理スペースを通り過ぎ、カムフラージュのために購入した安物のベッドの脇を真っ直ぐ進む。


 もっとも十数歩も歩けば端から端まで辿り着いてしまう狭い部屋である。あっという間に一番奥へと到着していた。


 そこには厚みこそ数十センチ程度ではあるが、壁一面ほどもある大きな何かが布で覆われていた。


 その掛けられている布をぺらりと捲り上げてみると、金属らしき枠の門のようなものが現れる。


 もちろんただの門が部屋の中、それも隠されるようにして置かれているはずもなく。門の内側は何もないはずなのに、その向こうの壁が見えることもなく漆黒に埋め尽くされていた。


「いつ見ても何度見ても怪しさ大爆発だ」


 時折縦横に稲光のようなものが走ったり、薄暗い紫色の渦が巻いたりしているのがその怪しさを倍増させていた。


 いくら門に見えるとはいえ、ここに飛び込もうとするのは余程の変わり者か命知らずくらいなものだろう。


 が、これこそがシローの本当の住居がある迷宮最下層への通路であるのだから、彼としては入らない訳にはいかなかった。


「謎に包まれた迷宮の最下層への直通路を街中に置いて大丈夫なのかね?」


 大事なことなのでもう一度言うが、いくら門に見えるとはいえ、こんな物に飛び込もうとするのは余程の変わり者か命知らずくらいなものである。


 ところが、冒険者という輩はそうした変わり者や命知らずの集まりだ。怪しいくらいでは怖気付くどころか、逆に「名を上げるチャンスだ!」とか「宝があるのではないか!?」と喜び勇んで突撃をかけてしまうという厄介な人種なのだった。


 一応、固有魔力がうんたら適合反応がなんたらのためにシロー以外には使用することができない、という解説は受けていた。


 しかし、魔力なんてものが存在していなかった異世界で生まれ育った知識のある彼からすると、説明を聞いても「なるほど、分からん」と答えるしかできなかったのだった。


「まあ、いいや。腹も減っているし、さっさと帰ろう」


 思考を放棄してそう呟くと、怪しさ満点の門へと身を躍らせる。


 そんな彼は既にかなり毒されてしまっているということになるのだが、本人からはその感覚はすっぽりと抜け落ちていたのだった。


 門を抜けた先は小さな丘のふもとだった。


 その丘の上にはこぢんまりとしたログハウス風の家が一軒建っており、目の前からその建物へと向かうための小道が続いていた。


 周囲には森があったり草原が広がっていたりと、豊かな自然に取り囲まれているのだが、迷宮の外に合わせた時間と天候のため、暗くなってしまっておりその全貌を見渡すことはできなかった。


 シローが帰ってきたことに喜んでワンワンと鳴きながらじゃれ付いてくるような犬もおらず、淡々とログハウスへの道を登っていく。


「ふう……」


 今日も無事に帰ってきた、という想いに浸りながらふと上方へと顔を向けると、ご丁寧にもプラネタリウムよろしく再現された星々が浮かんでいた。


 しかしながら世界が異なっているため、当然のようにシローの知っている星座が見えるはずもなく。


「なるほど、分からん」


 いつか口にしたセリフを呟いて、家へと入っていったのだった。


「おかえりなさーい!」


 入口の扉を開けると、待っていたかのように出迎える声がする。


「ぶふっ!?」


 それに応える暇もなく、シローは盛大に吹き出してしまう。


 それというのも、玄関で待っていたのは美しい妙齢の女性で、しかも裸に直接エプロンを付けるという、とある世界での男性陣の妄想ロマンを具現化した格好をしていたからだ。


 慌てて顔を背けるも、その視線はしっかりと女性を、特にふとした拍子に飛び出してしまいそうな胸元辺りをロックオンしたままとなっている。


 年頃の男の子だからね、仕方がないね。


「あ、アコさん?その素晴らしい、もといグッジョブ、でもなくて破廉恥なお姿は一体どうなされたのであらせられますのでしょうか?」


「ん?これ?あっちの世界で大人気の格好らしいから、チャレンジしてみました!」


 確かに大人気であることに違いはないが、その前に「一部の人々にとって」という一文が必要である。


 まあ、シローもその一部の人々の内に入っているので否やはない。というかむしろ先の台詞でも本音が零れてしまっていたように、本心では「よくやってくれました!」と喝采したいところであった。


 さて、このアコなる女性であるが、迷宮最下層にいる時点で当然ながらごく普通の人間ではなかったりする。


 その正体はシローを産み出した張本人である迷宮核である。


 もちろん最初からこのような姿だった訳ではなく、シローという存在が形作られる過程で影響を受けて、人型へと変貌してしまったらしい。


「そうそう。パートナーが帰ってきた時の作法も勉強したのよ」


「え゛?」


 自信満々に言い放つアコに、シローの脳内に期待と嫌な予感が錯綜し始める。


 裸エプロンという格好からも分かるように、彼女の趣味は彼を喜ばせて悩ませて困らせることである。そんなアコが学んだと喜々として報告してくるものとなれば、素晴らしくも碌でもないことに決まっている。


 しかし、既にその一瞬の迷いが全てを決定づけていた。


 シローが主に精神面がとんでもないことになりそうだという結論に達した時にはもう遅く、止める間もなく彼女は勉強の成果を披露したのである。


「お帰りなさい。ご飯にする?お風呂にする?それとも、あ・た・し?」


 私ではなく、あたしと言った辺りにあざとさを感じる。


 もちろんこれは後から記憶を反芻リプレイした時にようやく分かったことだ。


 その時は男のプライドを守るべくなけなしの理性を総動員して、鼻血を吹いてしまいそうになるのを堪えるので精いっぱいという有り様だった。


 何せアコは軽く前かがみになっていただけでなく胸の下で腕を組んでいるので、それこそ豊かな女性の象徴が零れ落ちてしまいそうになっていた。


 その上、頬を染めながら上目遣いでシローの顔を覗き込んでくるという凶悪なコンボも同時に放ってきていたのだ。一発KOで瞬殺されなかっただけでも上出来だろう。


「ご、ご飯でお願いします……」


 脳内では「アコさん!アコさん一択で!」と叫ぶ悪魔を天使が羽交い絞めにするという攻防を繰り広げつつ、血を吐く思いでそう呟いたシローなのだった。


「あら残念。食欲に負けちゃったか」


 全くもって残念そうには見えない表情で返してくるアコ。もっとも、仮に悪魔の主張に従っていたならば喜んでお相手をしてくれたはずである。


 要するに、どういう選択をしたとしても彼女の掌で転がされていることに変わりはないのだった。


「仕方ない、今日のところは大人しく引き下がってあげるわ。さ、ダイニングに行きましょう」


「え?ちょっ!?」


 踵を返そうとするアコを慌てて止めようとするも、今度もまたするりとかわされてしまう。


 その格好から振り返ってしまえば色々と丸見えになってしまうことを想像したシローは、今度こそ顔を背けなくてはいけないと思いながらも、一ミリすら動かすことができずにいた。


「あ、あれ?」


 ところが、現実には彼が妄想した夢のような光景は存在していなかった。


 彼女の下半身は下着どころかホットパンツによってしっかりと守られていたのだ。


「あらあら?一体何を期待したのかしらねえ?」


 はっと視線を上げると、声音と同じくアコの表情には多分に揶揄からかいの色が含まれていた。


「もうこのくらいで勘弁して。俺のライフはもうゼロですよ……」


 これ以上は傷口を広げるだけ、というか本気で致命傷になりかねない。両手を上げてゆるゆると首を横に振り、シローは全面降伏を宣言するのだった。


 ダイニングに移動した二人はカレーライスに舌鼓を打ちながら「異世界の料理文化凄い!」と感動し、改めて迷宮最下層の恵まれた環境に感謝したとかしなかったとか。


 その後、風呂に入っていたところにアコが乱入してきたことでシローが鼻血を吹いてぶっ倒れ、その事を揶揄われながら二人仲良く並んで就寝したのだった。

 爆ぜろ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼくのお家はダンジョン最下層 京高 @kyo-takashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る