彼女と私の再会
豊羽縁
ある夏の日の出来事
ターミナルのある街から列車に揺られること2時間半、私は山の中にポツンとある無人駅に降り立った。列車を降りると何処までも続くような青空の中に白い雲が山に続く道を遮るようにそびえ立っていた。
その光景を見た私は懐かしさと悲しさとが入り混じった不思議な感覚を胸に思いだした。何故だろう、理由はまるで思い当たらない。
「それにしても、暑い……」
この地域は涼しい方だと言われるのにここ5年ほどカラっとした心地の良い夏なんてものは訪れた覚えがない。首にかけたタオルがじんわりと汗を吸い取ってゆく感覚がある程度には暑いと感じる。
「早く行こう」
そう呟いて踏切を越えて山へ続く砂利道を歩いていく。街中では見ない砂利道にはアスファルトを塗ったような電柱がポツンポツンと立っていて、ここだけ何十年も昔から時が止まったように見える。
駅から歩いて5分程経って、実家までの道のりがあと半分ほどになった時に私に向けて声がかけられた。
「鷹松さん」
私の名前を呼ぶ若い女性の声が耳に入って数秒が経ち、頭の中で記憶が蘇る。
声のする方へと顔を向けるとそこには懐かしい思い出の中の人がそこに居た。
「おかえり」
「た、ただいま……」
夕暮れが差す、道の途中で私は再会したのだった。
実家に帰り、久しぶりに母が作った晩御飯を口にする。
自室でくつろいでいると携帯電話に通知があった。
〈お久しぶりです。5年ぶり?でしょうか〉
そんな短い文章が通知の枠内に掲げられていた。
ああ、本当に懐かしい……。そう思いながら返信をしようとロックを解除する。
〈お久しぶり。元気だった?自分は何とか元気でやってる〉
あまりに突然の出来事に定型文のような当り障りのない文章を送ってしまう。久方ぶりの会話なのだからもっと言うべきことはあるのでは、と思いつつもそんなものは咄嗟には出てくることはないのだ。少なくともコミュニケーションが得意ではないわたしにとっては。
〈元気なら良かった。ちょっと心配だったんだよ〉
メッセージを送って、5分程で返信が飛んできた。文字の中からも彼女の優しげな声が漂うようなそんな気がする。
彼女、真紀と初めて出会った時のことは覚えていない。というのもこの小さな集落ではみんなが同じ小学校へ行き、中学に進学して、高校まで同じというのもざらだった。学校に入る前も近くの子供とは大抵知り合い。そんな子供時代を過ごしてきたからいつ彼女と出会ったかなんて覚えてもいない。そんなことだから彼女との思い出の中で鮮明に思い出せる最初の物は小学校の4年の時のものだった。
その時の私は外で遊んで木登りをするのが得意という野生児のような子供だった。ある夏の日、親から熱中症にならないようにと与えられていた帽子と虫捕り網を持って近くの社の境内に向かっていった。実家からさらに道を山奥に進み階段を昇った先にあるその貴台には先客がいた。
「あっ」
「わっ!」
気づいた時にはすでに遅く、彼女と衝突していた。
「んん……」
「大丈夫?」
目を薄く開くと葉の隙間から、降り注ぐ陽光と心配そうにのぞき込む顔が映った。
「う、うん。ごめん、あなたこそ大丈夫?」
勢いよくぶつかっていったのは私の方なのに、真紀は私の心配をしていた。その表情は今でも目の裏に焼き付いている。
「あの日も今日みたいな夏の日だったな」
懐かしいその記憶を思い出しながら、メッセージの返事を送る。
〈心配させてごめん。そんなに危なっかしかった?〉
〈危なっかしかったよ。夏に社で出会った時なんて前も見ないで突っ込んで来たじゃない〉
私と同じことを彼女も思い出していたらしい。私達は妙に気が合う所があった。そうあの時も――
あれは確か、今時期の夏休み。隣町の高校へ夏期講習を受けに行った時のことだったと思う。この地区で私達と同じ学年だったのは2軒となりの男子生徒くらいでその彼は朝練で早く出ることがほとんどだったから、2人一緒に高校へ通学していた。
朝が苦手な私はその日も出る30分前にやっと起きて慌ててホームへ走り込んだ。ホームに滑り込んで1分も経たずに遮断機が鳴り響き、列車が視界の中に飛び込んできた。
「あっ真紀。おはよう……」
「碧いつもより、駅に来るの遅かったけど大丈夫?」
「うん、どうにかね……。暑くて中々眠れなくて」
「そうだったんだ。最近、とても暑苦しいよね」
ワンマン運転の列車に乗って一息つくと彼女は私に気を使ってか声をかけてきた。何だか気を使わせてしまったようだ。
「まあ、何とか起きられたからセーフかな」
「もう寝坊したら学校に着くのお昼になっちゃうんだから、セーフじゃないよ……」
「ごめん……」
真紀が呆れた顔をしながら私にそう言ってきたのはよく覚えている。でもその後に彼女が言ってくれた言葉は自分にとっては厳しくも嬉しかったことを憶えている。
「次に寝坊しかけたら、起こしに行くよ碧」
「う、うん。そうならないように起きるよ」
振り返ってみると何だかんだ真紀にはお世話になりっぱなしだった。対して私は彼女に何かできていたのだろうか。
〈ねえ、今ちゃんと起きられてる?〉
〈まあ、何とか〉
〈起こしに行く?〉
〈高校の時より成長したから大丈夫〉
〈大丈夫そうなら、いいんだ〉
不思議なこともあるものでまた同じことを思っていたのだろうか。
気づけば短針は0を越えて日付が変わろうとしている。明日、始発に乗ることを考えればそろそろ寝た方が良いだろう。
〈真紀、ごめん。そろそろ寝るね〉
〈ねえ、あの時私が〉
メッセージを送るのとほぼ同時に真紀からもメッセージが来た。何を話そうとしていたのかと返信を送ろうとする前に彼女から返信がある。
〈ううん、気にしないで。お休みなさい〉
私はその返事に〈お休み〉と挨拶を返すことしかできなかった。
夢を見ている。夢の中なのに夢を見ていることを実感している。これが明晰夢というものだろうか?夢の中では高校最後の夏の情景が広がっていた。
「そういえば真紀は進路結局どこにしたの?」
駅で列車を降りて家までの間、現在勉強中の大学受験について彼女に問を投げかけた。その時の私は無邪気にも彼女も大学へ進むものだとそう思っていた。
「真紀は頭いいし、国立に行けるんじゃない?」
「……」
嫌な沈黙が2人を包み、蝉の鳴き声だけが響き渡る。過去の私はその空気を振り払おうと口を開こうとしている。
「止めて!」
夢の中なのに届かないと分かっているのに口を開く。口から出た言葉は過去の2人に届くことはなく、私の中で反響する。
「ごめんね、碧。私、大学には行けないんだ……」
アラームの鳴る音がして跳び起きると時計は5時を指していた。寝坊は――していない。顔を洗って1階に降りて母親の手伝いをする。朝ごはんを食べて、玄関を出ると始発列車が来る20分ほど前になっていた。
まだ朝だというのにもくもくと沸き立つ入道雲と青空が視界を覆いつくしてくる。天気予報でも言っていたが今日も真夏日なのだそうだ。歩くことがもう億劫になりながらも駅のホームへと足を進めた。
駅に着いて列車を待っていると突然キャリーケースの音が駅に響き渡る。読んでいた文庫本を閉じて音がした方を見ると――
「ねぇ、びっくりした?」
真紀がキャリーケースを持ってホームに立っている。どうして彼女がキャリーケースを持っているのだろうか。彼女は実家に住んでいるのではなかったのか。
そんな疑問が頭の中をよぎって、私はただこう返すことしかできなかった。
「旅行に行くの?」
「ううん、引っ越すんだ」
「ど、何処に?」
「碧も住んでいる街。ごめんね、あの時大学に行くって言えなくて」
「そんなこと気にしなくていいよ。色々あったんだろうし」
彼女はまだ5年前のことを気にしていたのだろうか。そうだとしたら私があの時、何か言えていたら何か変わっていたのだろうか。
「碧のお陰で私は自分で決めることができた、ありがとう」
「碧に追いつけた」
いいや、あの時何かをいっても恐らく変わらなかったのだろう。そして恐らく昨日の出来事も彼女には何かを決意させる切欠でしかない。
「真紀は強いね」
「そんなことは無いよ」
列車がホームに滑り込んでくる。整理券を受け取り、古びたボックス席に座る。行きの時とは違って対面には彼女がいる。
生きと帰り、生きていく中では一瞬に過ぎないこの1日で私の周りは大きく変わっていた。そんな不思議な感覚と真紀とまた沢山話せるという喜びを抱いて列車は街へ帰っていく。
「ねえ真紀」
「なあに碧」
「こんど一緒に買い物にでも行く?」
「そうだね、久しぶりに一緒に行きたいな」
入道雲に包まれた青空は列車の行く先を示すかのように眩しくそれでいて美しくひろがっていた。
彼女と私の再会 豊羽縁 @toyoha_yukari
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