アハト ~Der Werwolf~

@aiba_todome

第1話 ヴォルフガング

 その街は森の中に在った。


 峻厳しゅんげんたる街並みは、逆立つ剛毛のような鋭い樹々の海を、聖霊のごとく見下ろしている。

 超高層の建築が密集し、一軒家などは影もない。中心に向かうにつれて高くなる摩天楼の集合は、釣り鐘か、あるいは鳥かごに似ていた。

 

 密閉された街だった。外界と繋がる通路は、何十車線有るかも分からない巨大な幹線が一本のみ。古びたホースのように、そこを通過する光の一つもなく、道路は夜の闇の中で乾いている。

 建築の合間は回廊で編みこまれ、猫より大きな生き物は屋外を歩けそうにもない。移動する廊下は秒間に幾億の人頭を排出し、吸収し、運搬する。服飾の統制から解放された人々は、思い思いの衣装をまとって都市のどこかへと向かっていた。

 

 煌々と照らされる、色とりどりの広告に溢れた壁。それ自体が発光しているかのように壁内の隅々を照らし、あらゆる場所に埋め込まれた壁の目の助けとなっている。


 全ての光は記録され、保存されていた。

 それは争いの現場を目の当たりにしたものであったかもしれないし、直方体の部屋の中で延々と反射を繰り返したものなのかもしれない。いずれにせよ都市で起こる事象はつぶさに観察され、評価の対象になった。

 

 

 

 

 基準水平面から15m、構造調整のため人払いがなされた商店区域を走る(減点5)女は模範階級。導者階級の次、被導階級の前。上から四番目の階級である。


 髪は栗茶色、目はブルー。緩やかにカールした髪は地球2000年紀前後の流行か。

 都市の生電脳は女が単独で通路を走っていると認識。評議識の定める規定違反によって、彼女の評価点を減数する。

 走る女が何かから逃げるように見えるとしても、冷然たる司法にとって酌量の要因とはならない。

 

 事実、女は逃げていた。その涙で濁った眼窩には、確かに彼女を狙う影があった。

 形は完全にヒト。それも整った男のものである。身体に張り付くスマートウェアの上から、黒地に金の回路模様をあしらったジャケット。漆黒のマントを羽織っている。肌着に機能を持たせ、下品に見えないよう古めかしい上着で外観を整える、いわゆるサイバークラシカルの装いである。


 女が走る。男は歩いてそれを追う。体格に差があるとはいえ、同じ人間ならば、二者の距離は開いていく一方のはず。

 しかし間の空間は男が一歩、女が二歩刻むごとに削られていく。まったく脈絡なしに、男の姿は拡大して逃走者に近付いていくのだ。

 

 青ざめた蝋のような肌が、冷たい土のにおいを漂わせ、光の下に出た。筋張った手が女の肩をつかんで、その赤い上着を引き裂く。布の切れ端と共に鮮血が滴る。猿じみた悲鳴が上がった。

 

 耳まで隠そうかという、マントの高い襟。その輪郭に交差するのは、男前だった着用者が剥きだした口の端である。塑像そぞうのように端麗たんれいであった顔貌が、まるで鈍い刃物で裂かれたかのよう。

 乱杭歯の密集した口が開く。生臭い吐息にあてられて凍り付く女。

 

 

 

 延々と一定の間隔を開けて並ぶシャッター。その内の一つ。

 二人、いや一人と一匹の横にある落とし戸が、無造作に引き上げられた。

 襲いかかる寸前の男の目が、カメレオンのように飛び出して、ぐるりと回る。

 

 立っていたのは剣を持つ騎士だ。少なくとも姿かたちは。古めかしい全身鎧に相応しい、白黒の色彩が、原色の壁画の中に浮いている。


 黒く燻された甲冑に、開口部らしきものはない。関節の隙間も、呼吸のための穴も、巧妙に埋められて観察を不可能にしている。

 ただ一つ、目の部分。長く垂れ下がったくちばしが目を引く、鳥をかたどった兜の左右に、小さな丸穴が開いている。しかしその奥にあるはずの両眼は、硬化樹脂の反射で隠されて暗い。

 

「アぁ”、ハト」

 

 広い口を扱いかねた、喉から絞り出す声だが、怪物は確かに人語を発した。傷の痛みを忘れて驚愕する女は、しかし睨み合う異形らに一顧だにされることもなく。

 

 始まった。

 

 鬼の指先が飴のようにどろりと伸び、すぐさま金属の光沢を帯びる。短刀ほどになった鉤爪で騎士の首を掻き斬らんと跳ね飛び、同時に騎士が体をひるがえした。


 黒鎧の騎士の纏う銀白色のマントは、羽根に似た小札こざねを編み並べた帷子かたびらである。

 しなやかで強靭な増加装甲は斬圧を柔らかく受け止め、衝撃を逃がす。怪物の身体が泳ぎ、無防備になった胴に抜き打った刃が埋まった。


 交錯し、鬼はシャッターの先、運搬路や仮象投影機がむき出しになった部屋でたたらを踏む。騎士の剣はあばら骨を避けて心臓を横断し、脊椎だけを残して上体を分けていた。

 肉の粘性でしばらくとどまっていた胸から上が、にちゃりと傾く。その首筋に水平の突き。幅広の直剣は頸骨けいこつを裂き、引く勢いで頭を落とした。





 灰の結晶が崩れていく。浮遊する微粒子を察知した空調が呼吸を始めると、後ろ髪を引く風が塵を吸収していった。


「ち、治安局ですか?あれは一体」


 女は警羅端末に疑問を呈しかけ、すぐに口をつぐむ。余計な詮索は点数と寿命を縮めるだけと、模範的生活の中で学んでいたはずだが、生命の危機に少し忘れっぽくなっていたらしい。


「あの、今回の倫理規定違反は緊急避難によるやむを得ない行為という事は分かっていただけるかと」


 女は慌てて言い訳を始める。痛覚はすでに遮断されていた。すぐに補修できる損傷よりも、今は点数の方がはるかに大事である。


「俺は治安局に繋がっていない」


 騎士は答える。若い男の声。少年と言ってもいいかもしれない。

 女は電撃に打たれたかのように震え、幾度も目をしばたかせる。


「あれ?え、その、番号が見当たらないのですが」


 女は、目の前にいるのが端末ではなく人間であるとようやく理解する。それは無神経故ではなく、どんな階層の人種であろうと、必ず表示される識別番号が視認できなかったためであった。


「俺はアハトだ。番号は無い」


 硬質な踵の響き。騎士は元来た運搬エレベーターへと歩き出す。


「お前の減点処理は初期化される。今夜のことは話すな。違反した場合、多大な懲罰が下される。いいな」


 頷くしかなかった。いかなる地位にあろうと、都市の管理する貢献度の減数処理に抗える者はいない。理解し、肯定したことを認めると、男は再び帰路を辿り、エレベーターへと入った。


 騎士が横長になったカプセル形の輸送具に身体を収めると、かすかな空気の放出音を残し、壁が密閉される。産毛をふるわせるモーターの駆動と共に、40m立方ほどの小部屋は、何処かへ移送されていった。

 


男は流されている。どこへかは分からない。分からないからこその漂泊である。彼の認識ではそれが自由というものであり、それ故に自由とは悪しきものであった。

 そしてそれは都市民の常識でもある。都市による規制こそ正であり、それ以外は悪ではなく無。死であった。

 

 エレベーターは縦横無尽に配管を駆け巡るが、同じ目的地を目指すものであっても、常に異なる挙動を示し、異なる経路をとる。

 それが都市内の治安維持のための機構なのか、あるいはどこかに異常でもあるのか。それもまた、知らされていないことである。都市は狭く、少年の世界はさらに狭かった。

 

『ウォルフガング。終わったようだな』

 

 エレベーターの壁が震え、偏移を促された大気はウォルフガングと呼ばれた少年に情報を移送する。

 長いくちばしが十度ほど傾いて、マントの小札が絹のようにさらりと鳴った。

 

「ついさっきだ。吸血鬼は一匹。被害者は生きていた。すぐ復帰するだろう。このまま番所に戻る」

 

 舌の滑りに迷いがない。考えながら喋っているのでなく、延髄に記録された条件付けに基づいて発話しているようだった。

 幾度繰り返したかも分からないルーチン。しかしその申し送りは、ばつの悪そうな声で否定される。

 

『ああ、すまないんだが、また出たみたいなんだ。エレベーターは現場へ向かっている。対処してくれ』

 

「今日は多いな」

 

『ああ。心なしか、最近増えているような気がする。統計も取れないから分かりゃしないんだが、記録を見るとな。まあ、やることに変わりはない。排除してくれ』

 

「了解」

 

 箱は進む。密閉された通路の網の内を、ひたすらに。足を肩幅に広げ、重心をその真中に落として、少年はひたすらに待つ。行く先は分からず、経路も、現在の自分の速度すら分からない。よって、扉がいつ開くかはその時まで知り得ない事象であり、彼に休みことは許されなかった。


 それを苦痛に感じはしない。自分自身で選び取った生き方だからだ。箱の中の人を、剣を持った少年を縛るものは何もない。彼には何の義務も授けられず、また彼らを守る法も無いからである。

 故に、彼は己の意志で怪物と戦う。生きるための全てを手に入れるために。

 

 彼は鳥の如く自由であった。

 

 本当に?

 

 

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