第3話「半力さんとシドの出会い」

 考えれば考えるほど、猫はいいかげんだ。いいかげんが毛皮を着て歩いてるようなものだ。なんだか自分に似ているところがある気がして、いよいよ、嫌でたまらないのである。


 素晴らしい健脚を有し、毒蛇をも倒す鋭利な牙を持ちながら、一片の矜持なく人間界に屈服し、顔つきあわせると直ぐに喧嘩を始め、かと思えば、互いに仲良く顔を舐めあい、一緒に日向ぼっこを始めたりするのである。あんな生き物を理解しろと言う方がおかしい。


 その猫が、僕を特に好んで、しっぽを振って親愛の情を表明してくるに至っては、残念とも無念とも、なんとも言いようがないではないか? 


 猫に懐かれぬよう、シド・ヴィシャスの真似事をしていたがために、猫は却って良いオモチャを得たものと誤解し、このような情ない結果に陥った訳であるが、何事によらず、ものには節度が大切である。僕はこの歳になっても、節度を知らない。


 シドの真似にも大概慣れてきたある日の事、僕は夕食の少し前に、近くの公園まで気晴らしに出かけた。直ぐに、二、三匹の猫が僕のあとについてきた。僕は、「ああ、またこれでお金が飛ぶなあ……」と憂鬱な気持ちになったけれども、これも毎度のことであり、脱兎のごとく逃げたしたい衝動を懸命に抑えながら(どうせ追っかけられるだけである)、ぶらりぶらりと歩き続けたのである。


 猫は僕についてきながら、道々に喧嘩などはじめる。僕は特に振り返りもせず、知らぬふりして歩いていたが、内心、実に閉口であった。ピストルでもあったなら、躊躇せず、ドカンドカンと射ち殺してしまいたい位の気持であったのである(うそ、流石にそこまでは思ってない)。


 公園をぐるりと一廻りして、手持ちのエサを猫に上げた後、僕は家路についた。一旦エサをあげてしまうと、背後の猫もどこかへ雲散霧消しているのが、これまでのしきたりであったのだが、その日に限って、ずっと付きまとう変な猫がいた。黒トラの、貧相な体の子猫である。


 その黒トラは、手のひらに乗っけられそうな位の大きさであった。だが、小さいからといって油断はできない。歯は既に生えそろっているはずである。もし拾ったら、僕は病院に三週間も通わなければならない。それに、このような子猫には常識がないから、却って危険なのだ。


 子猫は後になり、先になり、ときおり僕の顔を振り仰ぎながら、よたよたと走って、とうとう僕の家までついてきてしまった。


「へんなものが、ついてきたよ」

「あら、可愛いじゃない提督?」

「可愛いもんか。追っ払ってくれ、手荒くすると喰いつくぜ。ちょっと弱ってるみたいだから、何かエサでもやって」


 勿論これは、全部独り言である。玄関に飾ってある、プリンツ・オイゲンちゃんのタペストリーに向かって話しかけているのだ。彼女が僕を【提督】と呼ぶのは、彼女が重巡洋艦を擬人化したキャラクターだからである。世も末だとか言っちゃいけない。こう見えて僕は、なかなか愛国心の強い男なのだ(プリンツ・オイゲンはフランス人だけど)


 オイゲンちゃんは(正確にいえば僕は)、その子猫にエサを与え、猫は元気になった後もうちを出てゆくことなく、僕の家に住みこんでしまった。そして、三月、四月、五月、六月、七月と、そろそろ暑さの厳しくなってきた現在にいたるまで、ずっと僕の家にいるのである。僕はこの猫には、今まで何度泣かされたかわからない。どうにも始末が悪いのである。


 僕はしかたなく、この猫を半力はんりょくさんと呼んでいるのであるが、五か月近くも一緒に住んでいながら、僕は今だに違和感を払拭できないでいる。半力さんは、なんか犬っぽいのである。正確に言うと、犬と猫とダメな面を併せ持つ、ハイブリッド・ダメ動物である。


 この家にやってきたころは、まだ子供で、地べたのアリを不審そうに観察したり、カエルを恐れて悲鳴を挙げたり、その姿には僕も思わず失笑することがあって、「これも何か縁があって、僕の所へ来たのかもしれぬ」と思い、縁側に寝床を作ってやったし、キャットタワーも建ててやったし、食い物もカリカリだけでなく、あのアホみたいに高い子猫用ちゅーるも沢山買ってあげたのだ。ブラッシングなんか、日に三度、毎日欠かさずである。


 けれども、ひとつきも経つと、もういけない。半力さんは早速、ダメ猫の本領を発揮してきた。自分がそうされるのは当然だと考え始め、仕事にかまけて相手をするのを怠ると、気の狂ったように暴れまくるのである。


 半力さんは、僕の仕事の邪魔をすることを、自分の生きがいとしていた。僕が無視して執筆をつづけていると、僕の所持するレアなオモチャを壊そうとする。構ってやると、途端におとなしくなるから、あれは絶対にワザとである。全力さんのおしっこより始末が悪い。そうして僕は、半力さんの体力が尽きるまで、遊び相手をさせられるのだ。


 恩を売る気はないけれども、半力さんは僕のおかげで毛並も整い、どうやら一人前に成長することが出来たのではないか? 恩返しをしろとは言わないが、せめて仕事の邪魔くらいはしないで欲しいものだ。だが、やはり捨て猫はダメなものである。節度と言うものを知らない。


 食後の運動のつもりであろうか? 半力さんは今日も、大めしを食った後、机の上に置いてあった大切な資料を滅茶苦茶に引っ掻き回し、庭に干してある洗濯物に飛びかかっては引きずり落とし、洗い立ての洗濯物を泥まみれにしたのだ。


「こういう冗談はしないでくれよ、半力さん。実に困るのだ。誰が君に、こんなことをしてくれと頼みましたか?」


 こんな風に嫌味を言ってやるのだが、半力さんはまったく動じない。それどころか、きょろりと自分の眼を動かし、悪態をついている当の僕にじゃれかかる。なんという甘ったれた精神であろう? こうすれば許してもらえることを、ちゃんとわかっているのだ。この半力さんの鉄面皮には、密かに呆れ、軽蔑すらしているのだが、結局の所、いつも半力さんの勝ちに終わるのである。


 とはいえ半力さんは、昔の全力さんのように美猫ではなかった。幼少の頃は、もう少し形の均斉もとれていて、横顔などは特に美しく、「あるいは、優れた血が混じっているのかもしれぬ」と思わせるところもあったのだが、それは真っ赤な偽りであった。胴だけが長く成長し、手足はいちじるしく短い。まるで巨大なフェレットのようである。長いだけならまだしも、最近はだんだん太くなってきて、逆三角形だった顔も、今ではすっかり楕円になってしまった。


 まるで埼玉に、全力さんがもう一匹増えたようなもので、とても見られたものでない。


 そのような醜い形をして、なんだか犬っぽいところもある半力さんは、僕が外出すれば、必ず影のごとく僕につき従う。それを見たご近所さんはいつも、「でぶねこやねえ……」と多少引き気味で笑うのだ。見栄坊の僕が、シド・ヴィシャスの真似をするために食事制限をし、このクソ暑い中、レザージャケットとレザージーンズとバイクブーツを着込んでいるというのに、これじゃ何にもならないのである。


 いっそ他人のフリをしようと早足に歩いてみても、半力さんは僕の傍を片時も離れず、時折僕の顔を振り仰ぎながら、後になり、先になり、絡みつくようにしてついてくる。どうしたって二人は、気心の合った主従としか見えまい。


 どこまでも付きまとう半力さんを見ながら、「案外、史実のシド・ヴィシャスも、ナンシーに対してこういう気持ちを抱いていたのではないかな?」と、僕は思った。彼は、ボーカルであるジョニー・ロットンとは親友で、だからこそ、グレン・マトロックの後釜としてピストルズに加入したのだが、ナンシーの登場以後、二人の仲は急速に冷えていったのだ。


 くどいようだが、シドはベースが全く弾けない。彼の加入が認められたのは、ロットンの後押しと、ビジュアルの良さがあったからだ。ロットンから、ヴィシャス悪党という名前を与えられた彼は、その後、演奏技術ではなく、パンクそのものと言っても過言ではない自身の生きざまで、恋人のナンシーと共に、その名を売っていくことになるのである。


(続く)

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