第2話「猫の住む町のシド・ヴィシャス」
今年の春から、僕は埼玉県の某所にある、小さなガレージ付きの家を借りた。隠れるようにそこに住みこみ、下手な小説をあくせく書きすすめていた訳であるが、この町には、どこへ行っても猫がいる。おびただしいのである。
ある猫は往来に
夜などは、無人の街路を風のごとく、ぞろぞろと大群をなした猫どもが縦横無尽に駈け廻っている。この辺の家は、少なくとも、二匹ずつくらいは養っているのではないかと思われるほどに、おびただしい数であった。まあ、そういう場所であるってことは、噂で聞いて知ってはいたんだけどね。
だが、いくら何でも想定より数が多すぎた。僕は友人の災難を聞き、「僕だってたまには、全力さん以外の猫を触りたい」と思って、わざわざここに越してきた訳だが、こいつ等全部に懐かれてしまっては、エサ代だけで破産してしまう。
この辺りは、もともと養蚕の盛んな土地であったから、猫が沢山いること自体は、それほどおかしな話ではない。だが、どうにも街頭で見かける猫の姿は、けっしてそんな働きものの子孫ばかりではないようだった。
黒トラが最も多い。黒トラは得てして、アホなうえに狂暴である。知人が昔、黒トラを飼っていたことがあるのだが、余りの凶暴さゆえに何とかする方法がないかと本で調べたら、「気質だから治りません」と書いてあって閉口したそうだ。黒トラ以外も、くる猫くる猫、皆、あさはかなダメ猫ばかりである。
いや、ダメ猫っぷりでいえば、全力さんだって大したものではあるのだが、あれほどまでに沢山いると、そのうち十重二十重に重なり合って、キラーパンサーにジョブチェンジしちゃうんじゃないかと思う位だ。ちなみに、僕のキラパンの名前はゲレゲレだったが、どの名前が一番いいか? は宗教戦争なので、昭和生まれの人間の前には持ち出さぬ方が無難である。
もとより僕は、全力さんの世話を命じられる前はトリ派であり、猫に対しては多少含むところがあった。いくら僕が猫好き……もとい、猫の世話に慣れているとはいえ、こんなに猫がウヨウヨいて、そこら中でとぐろを巻いて寝ているのでは、とてもじゃないが、全員の面倒は見切れない。僕は彼らに必要以上に懐かれぬよう、実に苦心をした。
出来ることなら、スネ当て、コテ当、胴鎧、鉄兜の完全装備で街を歩きたく思った位である。けれども、そのような姿は、いかにコロナが蔓延してる今の日本であろうと異様であり、直ぐにお巡りさんを呼ばれてしまうから、何か別の手段をとらなければならなかった。僕は、まじめに対策を考えた。まずは猫の心理の研究である。
曲がりなりにも物書きである僕は、人間のそれについては、いささかの心得がある。だが、猫の心理は、なかなか難しい。人の言葉が、猫との感情交流にどれだけ役立つものか、そもそも非常に疑問であった。言葉が役に立たぬとすれば、お互いの素振り、表情を読み取るより他にない。
しっぽの動きなどは、なかなかに重大である。けれども、このしっぽの動きも、注意して見ているとかなり複雑で、到底読みきれるものではないのである。ほとんど絶望した僕は、はなはだ拙劣な、無能きわまる一法を案出した。あわれ窮余の一策である。
僕は、とにかく猫に出逢うと、満面に笑みを湛たえながらその場でダンスを踊りだし、ヤバい奴のふりをすることにした。夜だとダンスが見えないかもしれないから、無邪気にアニソンを口ずさみ、自分がヤバい人間であることを、殊更にアピールしたのだ。
近隣住民は引きまくり、ガチでお巡りを呼ばれたことすらあったのだが、これには多少、効果があったような気がする。猫は僕をいぶかしみ、中々近寄っては来なくなった。けれどもまだ油断は出来ない。
如何に言葉が通じるとはいえ、ポリスメンを呼ばれないように、住民対策も怠ってはいけない。髪を長く伸ばしていると、不審人物と思われがちだから、僕はバリカンを購入し、思い切って頭を坊主にした。そしたら逆に、近隣住民からパンクな人だと思われるハメになった。
仕方がないので、僕は南京錠のネックレスを買い、レザージャケットとレザージーンズとバイクブーツを着込んでシド・ヴィシャス の真似をしながら暮らし始めたのだが、ナンシーはもちろんいない。僕のナンシーは、玄関に飾ってあるタペストリーの中の、プリンツ・オイゲンちゃんただ一人である。
また、いい歳をして中2病の僕は、散歩のときは常にステッキなどを持ち歩いていたのだが、そんなモノを持っていると全然パンクロッカーっぽくないうえに、銃刀法違反容疑で職質など喰らうかもしれないから、ステッキも永遠に廃棄した。おかげで僕は、猫だけでなく、近隣住民からも遠巻きにされることに見事成功したのである。
(余計な事と思いつつ、一言述べさせていただければ、坊主頭にしてたパンクロッカーは、ブルーハーツの甲本ヒロトであって、ピストルズは何の関係もない。だが、僕はあくまでも本物志向なのである。まったくベースが引けないのにベースをやる。それこそまさにパンクではないか!)
ところで、諸君。猫の傍を通る時は、絶対に走ってはいけない。彼らは逃げる者を見ると、狩人としての本能が刺激されるのか、絶対に追っかけてくるからである。だから最近の僕は、近くに猫がいるのを見て取ると、無心にヘドバンを繰り返しながら、ゴッド・セイヴ・ザ・クイーンを口ずさみつつ、ゆっくりゆっくり猫の前を通るのである(アニソンはクレームが来たから止めた)。
つくづく、自身の卑屈がいやになる。そもそも僕は小説を書きにここに来たのに、何だって毎日のように、ヘドバンなんてやってるんだろう? 泣きたいほどの自己嫌悪を覚えるのであるが、これを行わないと、たちまち猫に懐かれるような気がして、僕は今日も、ヘドバンを繰り返すのである。おかげで最近、首が痛くてたまらない。
さて、猫の心理を計りかねて、ただ行き当りばったりシド・ヴィシャスの真似事をしているうちに、意外の現象が現われた。猫は僕の奇行に慣れてしまったのである。
僕は猫たちに懐かれたくなくて、こんなことをしていただけなのに、何だか奴らから、『面白い奴』認定されてしまったらしい。僕が街を歩くと、彼らは皆、しっぽを振って、ぞろぞろと僕の後についてくる。僕はなんだか、ノラ猫の親分みたいになってしまった。
じだんだ踏んだ。実に皮肉である。確かに僕は、最初は彼らと仲良くなりたくて来たのだが、今や猫なんて、吐いて捨てるほど周りに居る。いささか鬱陶しく感じつつあるノラ猫たちに好かれるくらいならば、いっそ僕は、ダチョウに慕われたいほどであった。
「どんな悪女にでも、好かれて気持の悪いはずはない」というのは、それは非リアの妄想である。エサ代だって、本当にバカにならぬのだ。あと、野良の黒トラってマジで凶暴だし。
たかだか日に一度や二度のエサの投与にあずからんがために、友を売り、妻と離別し、おのれの身ひとつを家の縁側に横たえ、わが物顔をしてかつての友と喧嘩し、兄弟・父母をも、ケロリと忘却し、ただひたすらにエサの事だけを考え、お腹が減ると人間に阿諛追従して恥じず、ぶたれてもニャンと鳴き、しっぽをまいて逃げ、世人たちを笑わせる。その精神の卑劣、醜怪、猫畜生とはよくも言ったものだ。いや、言わねえか。
(続く)
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