第97話 まさかの不戦勝

「ふう、あの精霊はかなり敏感みたいだね」


 屋根の上に立つローブを深く被った男はやれやれと首を左右に振る。


 屋根の上からは馬車が離れていくのが見えていた。


 その馬車に乗る精霊が何かを察知しているようだった。


 動かず、自然に紛れるように気配を消す。


 精霊からの視線を感じるが、場所は特定されていないようだ。


「もう少し近づいて、色々と調べようと思ったけど、ちょっと難しいですね。まあいいでしょう。ここでやることもほとんど終わった。そろそろ報告もしに行かなきゃならない」


 ローブの男はそう呟き、その場から姿を消した。


    ***

 

 翌日。


 会場では、予想外なことが起きていた。


 準決勝を観戦しに来た観客も騒然となる。


 なんと琉海と準決勝を戦うはずだったイロフが突如の棄権。


 これにより、琉海は準決勝を不戦勝で勝ち抜け、決勝に勝ち上がった。


「あの人も困った人だ。わざわざ真剣勝負の一騎打ちがしたいと言い出すなんて」


 イロフは会場上段の個室から中央の舞台を見下ろす。


 本当なら琉海と戦っていたはずだった。


 しかし、グランゾアが万全の状態の琉海と戦いたいと言われた。


 イロフは仕方なくそれを了承した。


「まあ、しょうがねえんじゃねえの。グランゾアの旦那が力を示したいって言うんだから」


 酒の瓶を片手に持って諦めろと目で訴えるシェイカー。


「わかっている。俺が戦って負け、グランゾアが勝ったとしても、相手が消耗していたんじゃないのかと勘繰る奴もいることは」


 力を示さなければ、元傭兵の自分らは王国での居場所は無くなる。


 そして、傭兵出身が多いホルス騎士団は特に貴族たちから、難癖を付ける標的になりやすい。


 面倒事から解放されるには、力を示すしかない。


 グランゾアは周りに何も言わせないために両者万全の状態で戦い、勝利することを選んだ。


 優勝すれば、王から褒賞も貰える。


 文句の付けようがない圧倒的勝利がグランゾアの筋書きだろう。


 グビグビと瓶に口を付けて酒を飲むシェイカー。


「そろそろ酒に溺れるのはやめたらどうだ」


 琉海に負けてから、シェイカーはずっと酒を飲み続けていた。


「うるせえ。お前は俺の母ちゃんか!」


「いや、違うが辛気臭い面を見せるのはやめろ。空気が重くなる」


「はッ! 勝負から逃げた奴がなに言ってるんだ」


 シェイカーは準決勝のことを言っているのだろう。


 だが、イロフはそんな挑発には乗らず、眼鏡のブリッジを中指で押し上げてため息を吐く。


「そんなに予選で負けたのがショックだったのか」


 イロフの言葉にシェイカーは顔を歪ませる。


「負けたのは別に初めてじゃないだろ。グランゾアにも負けているんだからな」


 イロフの言っていることは、その通りだった。


 だが、自分の技を簡単に真似されたあの感覚。


 それも自分以上の完成度。


 戦場に立ったこともなく、覇気のないあの少年に負けたことが、今も信じることができないでいた。


 空気を変えるようにイロフは話題を変える。


「戦ったことのある君なら、グランゾアとあの少年とどっちが勝つかわかるんじゃないかい」


「さあな、まあグランゾアの旦那が勝つんじゃねえの」


 再び、瓶を口に運ぶシェイカー。


 ぶっきらぼうな返答にやれやれとイロフは首を振り、舞台へと視線を向けた。


 これから、決勝が始まる。

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