第2話 修学旅行の終わり
とある飛行機が日本を出発し、シンガポールへ向けて飛行中だった。
その機内では、学生たちが騒がしく話していた。
「あっち行ったら何する?」
「やっぱりここは行きたいよね」
「先輩から聞いたんだけど、ここのホテルがすごいみたいよ」
学生たちの会話は修学旅行先でのことばかり。
そう、彼らはこれから修学旅行でシンガポールへ向かう生徒たちだった。
皆が楽しそうな中、一人窓から外を眺めている少年がいた。
少年の名前は才偽琉海。
黒髪黒目の高校二年生。
窓の淵に肘を置き、手のひらの上に顎を乗せてぼうっとしていると――
「何、ムスっとした顔してるのよ」
前の座席から少女が顔を出して言ってきた。
彼女の名前は
髪を結ってポニーテールにして、スレンダーな体系をしているクラスメイト。
小学校からの幼馴染で家が剣道の道場をしている。
高校では剣道部でエースである。
そんな刀香の横の席から顔を覗かせている少女がいた。
「刀香ちゃん、そんなこと言っちゃダメだよ。るーくんはぼうっとしていただけなんだから」
刀香の隣席に座る少女の名前は
緩くウェーブのかかった黒髪を腰のあたりまで伸ばしている。
雫もクラスメイトであり、幼馴染だが、雫とは小さい頃からの幼馴染だ。
家が隣同士だったので、物覚えが始まった頃にはすでに隣にいた印象だ。
「おい、ムスっとした顔についてはフォローしてくれないのかよ」
琉海がそう突っ込むと、雫は目を逸らした。
「あはは、それはフォローできないよね~」
刀香が腹を抱えて笑う。
「そんなに不機嫌そうに見えたか?」
「不機嫌そうにしてたわよ」
「なんか悩みごとでもあるの?」
刀香が頷き、雫が首を傾げ聞いてくる。
雫は琉海と一緒いる時間が長いせいか、思考を読まれているのではと思える聞き方をしてくるときがある。
「悩み事ね……」
悩みというわけではないが、今朝からずっと嫌な予感がしていた。
それで窓から見える景色を眺めながら、気持ちを落ち着かせようとしていたのだ。
そんなことを考えていると――
「ンゴッ!」
琉海の隣の席に座って眠る少年の顔面に飴の入った袋がぶつかった。
通路を挟んだ反対側の席から投げられたようだ。
投げた生徒はコントロールミスでぶつけてしまったのを謝るかのように両手を合わせている。
「なんだよ。気持ちよく寝てたのによ」
ぶつけられたところをさする少年――
「修学旅行なんだから、寝てるほうがどうかしてるでしょ」
郁人に厳しいことを言う刀香。
「そんなこと言ったって、楽しみで寝られなかったんだから仕方ねえだろ」
「はあ、おこちゃまね」
首を左右に振って嘆息を吐く刀香に顔をしかめる郁人。
郁人とは高校に入ったときに、同じクラスになってつるむようになった数少ない友人の一人だ。
琉海は郁人にぶつかった飴の袋を拾い上げ、投げた生徒へと投げ返す。
コントロールは抜群で投げた生徒の胸元へと一直線。
その寸分の狂いのなさに驚く飴の袋の持ち主。
「ひゅう、相変わらず凄いな」
郁人は琉海のコントロールを褒めたわけではない。
こんなのは、琉海にとっては何でもないことを知っているからだ。
琉海ができることは多い。いや、普通の人から見たら多すぎると言っても過言ではない。
「別にこんなのはたいしたことじゃないよ」
いつもの返答をする琉海。
これは郁人と出会ってから褒められたときに言うお決まりの返答だった。
「まあ、いろいろできる琉海にとってはたいしたことじゃないのかもな」
そう、琉海は他の人より多くのことができてしまう。
むしろ、一度見て動きを理解してしまえば、できないことはないぐらいにできてしまう。
小学生のころは、記憶力がいいだけだった。
ただ、良いだけと言って済まされるレベルではなかったが。
自分が普通の人と違うと認識したのは、中学生になってからだった。
一度見たものは忘れない――いや、忘れることができない。
どれだけ忘れたくても忘れることができない。
それが琉海の非凡な能力――完全記憶能力だった。
普通の人から見たら、それだけで異常であるだろう。
だが、琉海はその記憶力を生かしてスポーツでも活用するようになった。
プロたちが使う技術をテレビやネットで見て模倣するようになった。
小学生の体では難しいものも中学生になると、ほとんどできてしまうようになった。
バスケ、野球、サッカー、テニスとあらゆるスポーツのクラブや部活に参加した。
成績も優秀だった琉海だが、中学三年のある日に事件に巻き込まれて足にケガをしてしまい、スポーツをできる体ではなくなってしまった。
このことを郁人は知らない。
いや、噂ぐらいは聞いているのかもしれない。
もちろん、幼馴染で多くのことを知っている雫と刀香も何も言わない。
むしろ雫と刀香はなんでもすぐにできてしまうことについて追及しようとはしない。
そこに郁人は壁を感じているのだろうが、いい話ではないのだから、口を開くことはないだろう。
そんなときだった。
『きゃあ!』
前方から悲鳴に近い声が聞こえてきた。
この声が聞こえるのは、ある人が通る場所で聞こえるのが常だ。
黄色い声が徐々にこちらに広がっているのを見て、その人がこちらに近づいて来るのが分かった。
周囲の反応も気にせず、琉海の近くでその人は立ち止まった。
「琉海くん。修学旅行は楽しんでいるかしら」
琉海に話しかけてきたのは、この高校の生徒会長であり、本校一の美女と言われている女性だった。
彼女の名前は
ストレートの艶のある黒髪を腰のあたりまで伸ばし、女性の特徴的な部分がしっかり強調されている万人が羨むプロポーションをしていた。
大財閥藤堂グループの令嬢であり三年生。
琉海たちの一つ年上の先輩だ。
この高校は珍しく、二年と三年が一緒に修学旅行に行く。
三年は二年を引率するような役割が課されていのだ。
「まあ、ぼちぼちといったところですかね」
さっきまでぼうっとしていた琉海は笑顔を張り付けて答える。
ただ静華にはそんな言葉と笑顔も意味がない。
「私の前でそんなに無理をする必要はないわよ」
琉海の心を見透かしたようなことを言う。
「無理なんてしてませんよ」
いつもこの先輩にはドキッとさせられるが、琉海はそれを表情に出さないようにした。
「そう、ならいいのだけど。それより生徒会に入る件、考えてくれたかしら」
「その件なら、お断りさせていただいたはずですけど」
「そうだったかしら」
静華はとぼけたように首を傾げる。
このやり取りも何回もやっていることか。
この高校に入学して琉海の能力に最初に気づいたのは静華だった。
中学生のときの事件が原因で、同じ中学出身の生徒が少ない学校を選んだにも関わらず、静華は入学して一週間と経たないうちに、琉海のいる教室に会いに来た。
そこで生徒会への誘いがあったのだが、琉海はそれを断った。
それがこのやり取りの始まりだったのかもしれない。
能力に気づいた理由は今でもわからない。
静華は琉海のことを昔から知っているようなことを言ってくる節もあった。
だが、琉海は会った記憶はない。
あれば、忘れることがないのだから、記憶にないということは会ったことがないのだろう。
こんな綺麗な人を見かけたら普通の人でも忘れそうにないけど。
本当に謎の先輩なんだよな。
そんなことを思っていると――
「会長! ここにいたんですか」
「あら、梨々花どうしたのかしら」
「どうしたのじゃありませよ」
後ろの方からやってきたのは、
静華と同じ三年生で、生徒会では書記を務めている。しかし、彼女はどちらかというと、書記というより、秘書だ。
まあ、彼女の父親が静華の父親の秘書をしているらしく、適任といえば、適任なのかもしれない。
「勝手に席を離れないでくださいよ」
「勝手にと言われても、あなたは席を離れていたじゃない」
「それは、会長が酔い止めの薬はないか聞いてほしいと言ったからじゃないですか」
梨々花の手にはペットボトルに入った水と薬が握られていた。
琉海はそれに視線を向けてから、静華の顔へ視線を向ける。
いつもと同じ、表情。
過去の記憶と照合しても、変化はない。
つまり――
「そうだったわね。酔いはもう治ったわ」
「な、治ったんですか!?」
「ええ、琉海くんに会えたから、治ったわ」
静華のその一言で梨々花も気づいたのだろう。
「わ、私を騙したのですか!?」
主に裏切られたことで絶望に落ちたかのような表情をする梨々花。
「別に騙したわけではないわ。それに半分は本当だったのだから」
静華はそう言って、梨々花の手に持つペットボトルを取り、水を飲んだ。
「梨々花、ありがとう」
「い、いえ。お役に立ててよかったです」
さっきまでの暗い表情はどこへいったのか、輝くような満面の笑みで答える梨々花。
騙されたという結果は何も変わっていないのだが、梨々花が満足そうな表情をしているので、琉海も何も言わなかった。
そんな一幕が終わったとき――
「きゃっ」
機体が大きく揺れた。
梨々花はバランスを崩してしまい、近くの席の背もたれを掴んで転ぶのを防ぐ。
静華は何でもないかのように直立していた。
脅威的なバランス感覚を持っているようだ。
『お立ちのお客様。お手数ですが、一度お席にお戻りくださいますようお願いいたします。この後、当機は少し揺れが激しくなる恐れがあります。ご理解のほどよろしくお願いいたします』
着席を促すアナウンスが聞こえてきた。
「あら、せっかく来たのに残念ね」
「か、会長、行きましょう」
「そうね。じゃあ、またあとでね。琉海くん」
そう言って静華たちは去っていった。
「ほんと、お前、会長に好かれてるよな」
郁人は琉海に肘を軽く当ててくる。
「このままだと、会長に琉海を取られちゃうかもしれないよ」
刀香はにやにやと笑いながら、雫に視線を向けていた。
「な、なんで私を見るの!? わ、私はなんとも思ってないよ」
雫が顔を赤くしてあたふたしている。
「あはは、ほんと雫はかわいいんだから」
刀香は笑って雫の反応を楽しんでいた。
「も、もう……」
こんなやり取りもいつもの光景なので、琉海も郁人も暖かく見守っていた。
そうしていると、再び機体が揺れる。
「これ、さっきより揺れが大きい?」
「刀香ちゃん、私たちも席にちゃんと座ってシートベルトを締めとこう」
刀香と雫はそう言ってから、席に座り、シートベルトを締めた。
それからは、機体の揺れが徐々に激しさを増す。
若干、生徒たちから不安そうな声も聞こえてくる。
琉海は大丈夫だろうと、揺れが収まるのを待った。
しかし、一向に揺れが収まる気配はない。
むしろ増しているような気もする。
『当機の機長の山田です。只今、乱気流を通過中のため、少々揺れが激しくなります。揺れが収まるまで席を立たないようによろしくお願いいたします』
再びのアナウンスで機内の不安な雰囲気が少し緩和された。
それでも、たまに大きな揺れで女生徒から悲鳴が上がる。
「なあ、この飛行機、墜落とかしないよな」
「なに、馬鹿なこと言ってるんだよ。飛行機の事故率は0.005%らしいぞ。車で事故る方が格段に高いんだ。大丈夫だろ」
隣に座る郁人が不穏なことを言うが、琉海はそれを一蹴する。
しかし、琉海の心中にも一抹の不安があった。
それは朝からずっと感じていた不安と直結しているように感じる。
琉海はそれを声に出すことはしなかった。
だが、悪い予感は良く当たるものだ。
ガガンッ!
飛行機の外側の窓に何かがぶつかるような音がした。
瞬間、機体が横に大きく傾く。
「お、おい! これ、やばいんじゃねえか!?」
郁人がひじ掛けを力いっぱい握って叫ぶ。
他の生徒からも悲鳴が上がった。
琉海は機体の外側で音のした場所を窓から覗いて確認する。
見えたのは、飛行機の羽の部分。
そこから煙が出ていた。
おそらくジェットエンジンの部分から煙が出ているのだろう。
「これはちょっとやばいかもな」
郁人に返答したわけではないが、琉海はそう呟いた。
そして、次の瞬間――バキンッ! と琉海の席の窓にひびが入り、割れた。
「「きゃあッ――!?」」
機内の悲鳴が一層大きくなる。
「うおッ――!?」
「くッ――!?」
破片が機内に飛び散ったかと思うと、すぐに空気が外へと排出された。
前席の雫と刀香の二人の悲鳴も聞こえる。
郁人と琉海も歯を食いしばって空気に抵抗した。
シートベルトを着用しているので、空気の圧力があっても、吸い込まれる心配はない。
だが、風圧に抵抗しないと、一気に引き込まれると錯覚してしまうほどの吸引力に襲われていた。
そんな状況に追い打ちがやってくる。
ガガガガガガッバキバキバキバキッ――
『きゃああああっぁぁ――ッ』
『うわあああぁぁぁ――ッ』
「ぐうッ――」
「――――ッ!?」
再び機体の外側を何かがぶつかり、琉海たちの座る壁側がごっそり削られた。
壁がなくなり、外が良く見える。
そこには、絶望の風景があった。
飛行機の片翼が根元からなくなってたのだ。
機体の側面を削ったのは、飛行機の片翼だったのだろう。
それと同時に機体も一気に下降する。
悲鳴がさっきまでの数倍になり、機内は混乱の渦に巻き込まれる。
壁際の生徒は声にならない悲鳴を上げていた。
その中で郁人の声は異様だった。
「お、おい……おい、だ、大丈夫か……」
郁人の声は震えていた。
「ど、どうしたの!?」
郁人の声を敏感に聞き取り、何かが起きたのだろうと察する刀香が声を張り上げた。
「る、琉海が……る、琉海が……」
「なに!? 琉海がどうしたの!?」
郁人の声で琉海に何かあったのだろうと理解するが、首を後ろに向けることも難しい現状では、刀香たちに詳細はわからない。
「琉海くんに何かあったの!?」
雫も不安からか、珍しく大声で叫ぶ。
「い、郁人……うるさいぞ……そんなに耳元で……叫ぶな……ごふっ……」
空気が外へ抜ける強風の中、琉海は喋るが、その声はか細く、一番近い郁人さえ聞こえているかも怪しかった。
「る、琉海……お、お前……だって、お前の腹から血が……」
郁人が言うように琉海の腹部に飛行機の大きな破片が突き刺さり、どんどん服を赤く染めていた。
郁人はどうすることもできない。
飛行機もどんどん下降していく。
機内の豪風と揺れ。
さらには、琉海の腹部を突き刺していた破片がシートベルトを切り裂いてしまった。
琉海の意識は出血するに連れ薄れていく。
力を込めることも難しい琉海は、外へ抜ける風圧に抵抗する力はなく、簡単に体が浮いた。
「行かせるか!」
体が浮いて外に放り投げられそうになった琉海の腕を郁人が掴む。
郁人は絶対に離すかと力いっぱい掴んでいたが――
「きゃああぁぁッ!」
前の席に座る雫の悲鳴が上がる。
郁人は雫を見てから、琉海に視線を向けた。
そして、腕を放してしまった。
琉海は風に流れ、飛行機の外へと放り出された。
意識がはっきりしない中、自分が死ぬだろうとは、なんとなく実感していた。
それが微かな意識の中で感じた最後の感覚だった。
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