教えて! サキュバスせんせー!

虹音 ゆいが

サキュバスせんせーは突然に

「お母さん、聞いて!」


 家に帰ってすぐ、わたしは声を張り上げながらどたどたとリビングに。


「何だい、騒がしいね。お帰り、ゆらら」

「うん、ただいま。じゃなくって、聞いて欲しい事があって」

「手を洗ってうがいした後にしな」


 お母さんはこういう事には厳しい。自分はわりとズボラなくせに。

 わたしは駆け足で洗面所に行き、2秒で手洗い、3秒でうがいを済ませてリビングに舞い戻る。


「で、聞いてお母さん!」

「入学初日からテンション高いねぇ。友達が出来たのかい?」

「友達は……その、ちょっとだけ、出来た、かな? も、もう、友達はこれからたくさん作ってくからいいの! それよりも大切な事があって」


 1つ深呼吸。首を傾げるお母さんに向かって言い放つ。


「わたし、好きな子が出来たんだ!」


 あぁ顔が熱い。小学校の頃は誰かを好きになる事なんて一度もなかったから分からなかったけど、こんなに嬉しくて恥ずかしい事なんだ、好きになるって……!


 お母さんは目を見開いていたけど、ふっと優しく笑ってくれた。


「そうかい、そりゃいい事だ。好きな子が出来たら報告しな、とは言ってたけど、本当に報告してくれるなんてあたしは嬉しいよ」

「だって、お母さんとの約束だもん。それに……教えて欲しい事があるし」

「教えて欲しい事? 何だい」

「えっと……男の子を、


 私は意を決して言った。お母さんの目がまた丸くなる。


「わたし、サキュバスとしてあの子を完全完璧に魅了してみせるから、お母さんにお手本を見せてもらいた」

「バカ言ってんじゃないよ!」


 お母さんの怒声に、わたしはびくぅ! と縮こまってしまった。お母さんはわたしの肩に手を置き、ものすごい形相で続けた。


「いいかい? あたしがサキュバスで、あたしの娘のゆららもサキュバスなのはそりゃあ間違いないよ。サキュバスが淫魔とか言われてるのも正しい。でもね、2度と男を魅了するとか言うんじゃないよ」

「で、でも、歴史の授業でサキュバスは男の人をたくさん魅了してたって」

「サキュバスが所かまわず男を魅了してたのはもう昔の話さ。当時はサキュバスを含めた悪魔が人間と〝対立〟してたからそれが許された。でも今は人間と悪魔は〝共存〟してるんだ。同じ事をしてちゃあいけないんだよ」


 お母さんは諭すように、わたしに言い聞かせます。


「あたしらが子供の時ですら、サキュバスってだけで色々言われたもんだよ。それに比べりゃ、今はサキュバスだからってみんな受け入れてくれてるだろう?」

「う、うん。みんな、普通に話してくれたよ」

「なら、なおさら魅了なんてしちゃダメさ。サキュバスはそういう事ばかりしてる、なんて友達に思われたくないだろ?」


 確かに、お母さんの言う通りだ。わたしはサキュバスだけど、誰かが嫌がる事なんてしたくない。普通の女の子として、頑張りたい。……けど。


「でも、わ、わたし、あの子と、ちゃんとお喋りする、自信、ないかも……」


 あぁ、ダメだ。声が震えて来る。緊張するといつもこうだ。

 わたしの髪をわしゃわしゃと掻き、仕方ないね、とお母さんが笑います。


「どうしてこんなに社交的なあたしのお腹から生まれたのに、こんなにシャイな性格になっちまったんだろうねぇ。もう中学生だってのに」

「……お母さんは社交的って言うよりズボラなだけ……」

「あぁん?」

「……って、この前お父さんが言ってた」

「ほほぅ」


 ごめんなさい、お父さん。ゆららは悪い子です。今度肩叩きしてあげるから許して。


「まぁそれはさておくとして」


 明後日の方向を見やりながらパキポキと指を鳴らすお母さん。ニカッと大きく口角を上げ、わたしに笑いかけます。


「魅了は教えてやれないけど、女の先輩……いや、〝先生〟として、好きな男のオトし方、ってヤツを少しずつ教えてあげようじゃないか」

「うん! えっと……よろしくお願いします、せんせー!」






「か、母さん! ちょっと聞いて欲しいんだけど!」


 ぼくは急いで靴を脱ぎ、手洗いとうがいを合計6秒で終わらせてからリビングに飛び込んだ。


「あらあら、ユウちゃん。帰ってくるなりどうしたのかしら~?」


 椅子に座って紅茶を飲んでいたお母さんがぼくを出迎える。


「うふふ、もしかしてもう友達100人作っちゃったのかな~?」

「いやあの、母さん? 中学の新入生、全部で80人くらいしかいないんだけど」

「あら、そうだったかしら~?」


 相変わらず適当な母親だ……じゃなくて!


「それより、聞いて欲しい事があるんだって!」

「そ~だったわね~。お母さん、真剣に聞くわよ~」

「ウチのクラスに、サキュバスがいたんだよ!」


 すっ、と。リビングの空気が凍りついたのが分かった。


「え、えっと、母さん?」

「……ええ、聞いてるわよ~。別にサキュバスなんて、今じゃどこにだっているものね~。同じクラスにサキュバスがいたって不思議じゃないわよ~」

「そ、それだけじゃなくて! その子、ぼくの事をずっと見てたんだよ!」


 自意識過剰? 気のせい? うぅん、違う。

 だって自己紹介の時。ぼくが前に出て話してる時には、あの子は瞬きもせずにぼくの事を見続けてた。あの子が前に出てる時、まるで教室にいる生徒はぼくしかいない、とばかりにぼくに向かって喋り続けてた。

 それ以外にも、ぼくがふとあの子の方に視線をやると、決まってあの子はぼくの方を見てた。そのたびに赤くなった顔を逸らしてたけど。


「たしか、サキュバスの求愛行動の1つに、ずっとずっと見続ける、っていうのがあるんだよね? 多分、それだと思って」

「……で。ユウちゃんはそれがイヤなのね~?」


 母さんはにこにこと笑いながら相槌を打ってくれる。けど、何だろう。母さんの周囲にどす黒い何かが渦巻いているような気がするんだけど。


「べ、別にイヤじゃなくて。すっごく可愛い子だし。でも、同い年のサキュバスの子なんて話すどころか見るのも初めてだし、どうすれば仲良くなれるのかな、って」

「仲良くなる必要なんてない」


 かちゃん、とカップを勢いよくテーブルに置く母さん。その衝撃で紅茶が派手にこぼれてたけど、母さんはまったく気にしていない。


「いい、ユウちゃん? サキュバスなんてクソよ。そんなものにユウちゃんが心奪われるなんて事はあっちゃいけないの。分かる?」

「か、母さん?」

「そう、あいつらはろくなもんじゃないわ。男を節操なく誘惑して弄んでポイ捨てしながら笑ってる。そんな汚物に等しい生き物なのよ……」


 爪を噛みながら母さんが呪詛をまき散らす。あぁ、この状態になる母さんは久しぶりに見た気がする。


「あ、あの、お言葉ですが……」


 ぼくは少し居住まいを正しつつ、意を決して尋ねた。


「母さんも、サキュバスだよね?」

「……だからこそ、よ。サキュバスって存在が本質的にエロと子作りにしか興味ない生き物だって事を知ってるから、こうしてユウちゃんに教えてあげてるの」


 ……サキュバスとは言え、母親の口から「エロ」だの「子作り」だの聞かされるのはなんかイヤだなぁ……。


「それに、ユウちゃんには淫魔の血があまり受け継がれてない。あのエロ遺伝子から解放されてるの。それなのに、ユウちゃんがサキュバスに捕まっちゃって血が混じっちゃったら元の木阿弥よ」

「いや、その、母さん? 別にまだ付き合うどころか会話もしてないのに、なんか想像が飛躍し過ぎてない?」

「いいえ、そんな事は無いわ。これは全てユウちゃんの為だもの」


 かりっ、とひとしきり爪を噛み終えた母さんは、元の優しい雰囲気を纏いながら朗らかに笑った。


「というわけで、今日からお母さんがユウちゃんに色々教えてあげるわね~。ヤツらの手口と、その対策法を」

「え? いや、でも母さん」

「先生と呼びなさい」

 

 静かな威圧感。ぼくは少し怯んだ。


「か、母さん?」

「…………」

「……先生?」

「ん~、ちょっと幼さというか、無邪気さが足りないかなぁ~? もうちょっとふんわりと呼んでみて~?」


 あぁもう、めんどくさいな。


「えっと、それじゃあ……せんせー?」

「それ! いいわ~、その感じ好きかも~。それじゃあせんせー、ユウちゃんの為に頑張っちゃうわね~?」

「……はぁ」


 報告しなきゃよかった。ぼくはそんな事を思って大きく溜息をつくのでした。





 

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