まわり道

社 奈千穂

小さな一人旅

 アレが無くては始まらない。

 雑草を片手に、坪庭に立ち尽くした母が言ったのは、じきに梅雨入り宣言が出るのではと思われる、六月の下旬のことだった。

 「坪庭」と私達親子が呼んでいるのは、元来、中庭にある日本庭園を縮尺したそれのことでは無い。猫の額ほどの小さな庭で、日本庭園には似ても似つかない軒先の空き地の事。一丁前に雑草なんかを生やすものだから、仕事休みの母は朝から草むしりに精を出している。

 アレが無い。

 その一言で、牛乳が入ったコップをテーブルに置き、隙彫りが施された障子戸を手で押しのけて縁側から庭に視線を這わせる。徐々に眉間に力が入り、視線の先に毎年あるはずのモノが無いことに気づきもしなかった自分の愚かさに悲嘆する。

「ヤダ・・・」

 その絶望たるや、牛乳を飲もうとした時に、その水面にコバエが浮かんでいるのを発見した時のように深かった。

「今日、買ってくる」

 引っこ抜いた草を、軒下のアスファルトに並べていた母が、後でお金やるから、と言った。

 薄手の白いシャツをはおり、最近買った籐籠のバッグを持って玄関へと進む。

 玄関と台所の間にある袖廊下の先には、母が営む店がある。

「趣味の空き箱」というこの店には、小学校の後ろにあるロッカーより一回り大きな木箱で、壁一面にパッチワークのように彩りながら羅列している。その木箱のオーナーが、この店の顧客となる。

 商店街の最後尾にあり、お客さんは何とか視界に入る看板を頼りに足を運んできてくれるようなしがない店だ。

 とはいえ、母はもともと手先が器用なので、裁縫を全般に、頼まれればなんでも直してしまう。

 店の入り口を開けると、足元には昭和時代の牛乳配達用の木箱が置いてある。その木箱には目安箱と書かれている。

 その箱には、作って欲しいモノと依頼者の連絡先が書いてある用紙が入っている。注文用紙には、子どもの水筒のカバーの図と寸法が書かれており、出来ればすぐに欲しいとのことだった。

 母に声を掛け、その依頼書を玄関の框の上に置いておく。

 口利きで依頼も来るため、貸し出している木箱の賃料も含めて、なんとか生活が成り立っている。

 食うに困らなければ苦にはならない。

 母は、自分のほつれた服を繕いながら、平気でそんなことを言う人でもある。

 門を出ると、すぐに商店街が並ぶ通りに入る。商店街には屋根がついていて、且つ駅から直結していることもあり、人足が途絶えることはない。

 最近できたマッサージ店の前には、菓子パンの包装紙が落ちている。それを拾い上げ、向かい側のコンビニ前のごみ箱に放り込む。商店街には世話になっているので、これくらいのことはしていきたいと思っている。

 商店街を抜け、東武東上線へと乗り込む。

 目の前には、もうすでに疲れて目を閉じているサラリーマンと、起床からすでに六時間は経過していると思われる絶好調の老人が、背中に太陽を浴びながら揺られている。

 いつもと変わらない風景、でも、アレが我が家の庭にないということは由々しき事態に相違ない。例えこの電車のアナウンスが間違っていたとしても許せるし、途中で車両点検でしばらく停車することいになっても許せる。しかし、どう考えたところで、アレが庭に無い夏を受け入れる気持ちにはなれなかった。

 十分もかからないうちに電車は池袋に到着し、私は迷わず新宿行きのホームへ足を向ける。

 アレは、この池袋で買える代物ではないのだ。デパートにも、量販店にでさえ恐らくない。

 手に入れるためには、父がいた時に住んでいた三鷹へ行く必要があると心に決めていた。三鷹へ向かうには、まず新宿を経由する必要があるため、山の手線のホームへと急ぐ。

 もっと近場にあるかもしれないが、アレを買うなら、やはりあそこまで足を運ぶことが正しいと思った。

 夏の日差しを遮る御簾に寄り添い、または荒ぶる台風の雨風にも耐え抜く強靭な体と知恵を持つ、そのしなやかな魅力。変わりゆく空の色のように様々な色を織りなし、だれかれ構わずしなだれかかるわりには婀娜っぽさが無い。風に揺れる湯帷子ゆかたびらのような柔らかなモノにも良く映える、日本の夏には必要不可欠なものだ。

 人工的な街を歩いていれば、いっそうその姿が恋しくなる。この熱風吹きすさぶ都会のビルディングに、アレを散りばめてしまえば、暑さにうなだれて俯いて歩く人も、いくらか救われるかもしれない。

 父が亡くなった十年前、母は何かを払しょくするように、突然、武蔵野の家を手放し、今住む板橋に引っ越しを決めたのだった。辛そうでもなく、失望したようでもなかった未亡人は、呆気なく居場所とやりがいを見出してしまった。その商魂たくましい姿は、まるでアレそのものではないかと娘の私は感心した。

 

 父は趣というものを好んだ。春になれば必ず花見へと出かけたし、夏になれば風鈴とアレと浴衣を用意した。秋も冬も、父はせせこましい都会のマンションの中で、日本の四季を楽しんでいた。三鷹市と調布市の境の緑地を二人でよく散歩をした。

 父は、よく整備された庭園よりも、雑草が競争し合い、虫の鳴き声がひときわ大きな川沿いを好んだ。

 私が中学生のある時、父は久しぶりに私を散歩に誘った。

 父の手には、本が何冊も入った袋が下げられている。どんな本を買ったのかと聞くと、んん、と曖昧に頷きながら、「絵画のような本だ」と答えた。

「好きな一文があってね、つい思い出して買ってみたんだ」

 どんな一文なのかと問うと、「武蔵野に散歩する人は、道に迷う事を苦にしてはならない」そう答えた。

 普段、相槌を打つことしかしない父が、気まずそうに、珍しく私を諭した。

「回り道をした方が、案外、答えに早くたどり着ける事もある。俯きながら近道を通るよりも、少しばかり遠回りでも、誰かと無駄話をしたり、移りゆく風景を見ていた方が、ずっと有意義な時間を得られるからね」  

 その時の私には、父が言っている意味が分からなかった。

 そしてその後、父は静かに言った。

「お父さん、しばらく入院することになったんだ」

 それから半年も経たずに、父はこの世界に別れを告げた。

 

 大勢の人たちが、車内から排出される光景を前に、電車がすでに新宿に着いたことを知る。

 目的地は、武蔵野境駅だった。以前住んでいたマンションからも近かったそのホームセンターには、何度か行ったことがある。ここから更に中央線に乗り換え、三鷹を過ぎて武蔵野に入る。

 それから五十分を要して武蔵野境駅で降りると、バスに乗り換えるために足を向けたが、その人の多さにひるんで進むのをやめた。

 歩いても行ける距離だと思い、颯爽と足を前に進める。

 狭い歩道を汗まみれになった顔を日傘で隠しながら歩き続ける。もう三台もバスが通り過ぎて行った。喉の渇きも最高潮に達した三十分後、やっとその店にたどり着くことが出来た。

 入り口の自動販売機で、冷たい炭酸飲料を購入し、一気に飲み干す。勢いよく立ち上がると、目的の場所へと突き進む。

 しかし。

 私は、植木鉢や肥料なんかが置いてある場所のすぐ脇で、立ちつくすことになった。

 売り切れという状況を疑う事すらしなかった私の奥で、夏の風景が瓦解する。

 そこにあったのは、台湾産と中国産だった。

 それでは駄目だった。父が好きだった光景は、これでは再現できない。しばらく逡巡してはみたが、やはり、白一色では足りないし、大き過ぎても坪庭には不釣り合いに思う。

 ここまで来た苦労を思い返し、すっかり重くなった足を引きずりながら先ほどの自動販売機の隣のベンチに腰掛ける。これからどうしようかと思いあぐねながら、携帯の時計を確認した時だった。

 ちりん、ちりん。

 胸の方に、直接触れてくるような音色に、思わず振り返る。

 百円ショップで見繕ったと思われるレプリカの植物の隣に、懐かしいモノが寄り添っていた。南部鉄器の風鈴つりがねだった。

 父と暮らしていた三鷹の家にも吊るしてあった。当時は七階建ての賃貸マンションで、隣同士の音を気にしながらの生活だった為、父はエアコンから少し離れた場所に吊るしていた。

“いつか坪庭がある家に住みたいもんだな”

 酒は瓶ビールと決めていた父が、グラスを傾けながらそんなことを言っていた。

 冗談めいたセリフが、夫婦でしかわからない空間の中では、大切な夢だったのだろうと思いつく。父の声を思い出し、初夏の強い日差しには似つかわしくない哀愁がこみ上げる。

 鉄器の風鈴は、人が通り過ぎて行く微かな風に尾を揺らしながらも、すぐに鳴ってはくれない。毛先を揺らすほどの風が吹き抜ければ、ちりんと控えめに啼いてみせる。

 私は、アレの代わりにソレを買った。

 確かにアレとソレは対だった。父が愛してやまなかった日本の情緒が、マンションの一角という空間に出現させられる必須アイテム。

 母には、これで充分ではないかと自分を納得させる。

 帰りのバスは空いていた。

 運転手さんの真後ろの日当たりのいい席に座り、携帯電話を持つ。ネットニュースをチェックしていると、画面に広告が表示される。それで、ふと気づく。

 そうだ、ネットで検索すればすぐではないか。

 籐のバッグを抱え直し、アレを検索してみることにする。

『朝顔の種』

 すると、日本産の見慣れた朝顔が映ったパッケージがつらつらと出て来た。疲弊した足許に思わず力が入る。

 あった。

 良かった。

 これで今年の夏も安泰だ。

 値段は二百二十円。今日消費した交通費よりもずいぶん安い。

 購入ボタンを押し、配送は明後日の午前中になった。

 携帯画面に伸びる自身の手の影の長さに気付き、ふと顔を上げる。時刻はすでに十四時を回っていた。

 すっかりお腹が空いてしまった。

 バスを降りたら、どこか適当な場所を見つけて腹ごしらえをしよう。

 買ったばかりの風鈴の包みを確認し、今年の夏の坪庭を思い浮かべてみる。自然とほころぶ母の笑顔を想像し、私はすっかり満足した。

 


 

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まわり道 社 奈千穂 @kurengsa_0913

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