第5話 穏やかな時間に
リリーとオリバーの関係を赤裸々告白された後、僕達はリリーの家で朝食をとることとなった。ここに来て初めての食事は、空腹感も相まってとても待ちきれない気持ちで一杯だった。しかし、どうやらリリーは僕を心配し一晩中付きっ切りでいてくれたらしく、まだ朝食は用意できていないとのことだった。
「朝ごはん準備するから、奥の部屋で服を着替えてきて」
と告げられた。見ると、森を一日中回ったが故に部屋着だったスウェットは泥まみれで、僕ならそのままベッドに寝かせることも躊躇うくらいの汚さだった。なんだか申し訳ない気持ちを抱く。
「なんだかごめんね」
「何が?」
リリーはかわいらしく小首を傾げた。
「こんな汚い服のままベッドで寝てしまって。無理やり着替えさせても良かったのに」
そういうと、リリーは頬を染めて、
「そ、そんなこと出来ないよ。もう」
と言った。どうやらリリーとオリバーの関係は随分と清いものであったようだ。思わず失笑した。
僕の素振りにリリーは不服そうに頬を膨らませるが、言葉を飲み込んだみたいだ。
「いいから、早く着替えてきなよ」
「うん。そうさせてもらうよ」
あまり茶化すのも酷いと思って、僕はそそくさと部屋を出た。言われた通りに突き当たりの部屋に入った。
部屋は、少し埃っぽかった。あまり気管支が強くない僕は、思わず咳き込む。
部屋中を見回して、右手に少し古めかしい箪笥を見つけた。開けると、男物だろうか、大き目の服が積まれていた。
手ごろな服を手に取り、広げた。巷のファッションに疎い僕であるが、これが最先端のファッションでないことはわかった。布の手触りといい、なんだか一九〇〇年初頭の大衆服という印象を抱く。まあ、モノクロの写真でしか拝んだことのないような服、ということだ。
服は少し大きかった。半袖シャツのはずなのに、五分袖みたいになってしまった。
「まあいいか」
部屋を後にして、リリーといた部屋に戻ると、彼女の姿はもうなかった。左手に下りの階段を見つける。下に下りたのだろうか。
階段を下りると、そこは木造のリビングとなっていた。生活観が溢れるリビングで、木製の机に椅子を見ていると、なんだか木こりになった気さえしてくる。
「着替えてきたみたいだね」
リリーは、奥の台所で調理をしていた。といっても、朝ごはんだからか、僕の腕くらい太いパンを包丁でスライスしていく程度だった。
「そこに座ってて」
促されるままに、僕は椅子に腰掛けた。
まもなく、リリーはご飯を持って向かいの椅子に座った。
「はい、どうぞ」
「おおー」
中世にタイムスリップしたようなご飯に、僕は思わず感嘆の声を上げた。
「どうしたの?」
当然、リリーは僕をいぶかしんだが、
「ああ、二日ぶりのご飯だったからさ」
と僕は誤魔化した。
「よし。それじゃあ、いただきます」
そういって手を合わすと、リリーは不思議そうに僕を見た。
「何?」
「ああ、いや。何でもないよ」
また、誤魔化す。どうやらこの世界では、僕のいた世界の作法や文化はないらしい。
「うん。美味しいよ」
少し慌てながら、パンを齧った。うん、これは美味だ。香ばしい香りも、まさしくパンだ。
久しぶりの食事に、行儀悪く、食事をどんどん喉に詰めていった。
途中、前から視線を感じて、僕はリリーを見た。
「どうかした?」
「ううん。本当に戻ってきたんだなって」
少し遠くを見ながら、彼女は言った。
「服、少し大きかったみたいだね」
そして服の袖を見て、僕にそう言った。
「ああ、まあ少しだけね。これ、前は僕が着ていたのかい?」
記憶喪失という設定も忘れて食事をしていた僕は、唐突に設定を思い出して言った。
「ううん。それはお父さんの。あの部屋、お父さんの部屋なの」
「ああ、そう」
だから、少し大きかったのか。いや、僕も成人を超えた男なのだから、背丈で負けたことに悲観するべきか?
「お養父さんは? 仕事かい?」
家にいない様子だったから、そこまで深く考えずに口にしたが、どうやら失策だったようだ。
「もういないよ」
思わずパンを喉に詰らせそうになった。
「だ、大丈夫」
咳き込みながら、リリーに背中を擦られた。少しして、つっかえが取れると、僕はもう大丈夫と伝えた。リリーは少し呆れた様子で席に戻った。
「ご、ごめん」
「いいよ」
「いや、お養父さんのこと」
「……ああ」
リリーは無理して明るく振舞っているように見えた。
「大丈夫。お父さんもお母さんもいなくなって、もう随分経つから」
リリーに哀愁が漂っているように見えた。慰めの言葉は、僕の口から出なかった。
「それも、あの女の子と同じ病気で?」
思い出したのは、昨日森であった亜麻色の髪の少女。リリーと、オリバーと、三人の秘密基地だと言った洞窟内で忽然と姿を消した、少女。
「女の子?」
「うん。昨日、森の中であったんだ。亜麻色の髪の少女に」
言葉を聞いて、リリーは涙を流した。
僕はまた、自分が失策を犯したことに気付いた。あの亜麻色の少女は、あの洞窟の秘密基地を、リリー達三人の秘密基地と言ったのだ。あの少女もまた、リリーにとって深い仲だったのだ。
「エミリー」
リリーは悔やむように言って泣いた。
エミリー。
それがあの、亜麻色の髪の少女の名前だったのだろう。
しかし、この反応。もしや本当に、そうなのか?
「辛い中、すまない。僕は記憶がなくって」
なるべく彼女の気持ちを荒げないよう努めて、僕は切り出した。
「エミリーは、死んだのかい? 突然、彼女がの周りが青白く発光したと思ったら、その光が強くなる内に、彼女はどこかに消えてしまった。僕は、彼女が僕を置いてどこかに行ってしまったんじゃないかと思ったんだ。だから正直、未だに彼女が死んだなんて信じられない」
「死んだよ」
リリーは涙を拭いながら、僕の意見を切り捨てるように言った。
「この街の、ううん。この世界の住民は、皆そうやって死んでいくの」
「なんだって?」
にわかには信じられなかった。
「エミリーの右手の甲に、蝶の痣がなかった?」
「あった。確かに」
「あれが、病気を発症したことを告げるサイン。潜伏期間も、感染経路も、誰もまだ何もわかっていない。発症したら最期。発症して丁度一ヶ月後に、発症者は死ぬ。ううん。いなくなる」
淡々とリリーは語った。しかし、僕はどうしてもそんな話を信じられなかった。
「お父さんも、お母さんも、皆この病気で死んだの」
そして……、
「あなたも」
涙ながらに、リリーは語った。その様子は嘘をついているようにはまったく見えなかった。自分がこれまで味わってきた不幸を、ただ淡々と事実として伝えているように見えた。
ただ、だとしたら、なんと惨い病気なのだろう。突然人の運命を決めて、余命宣告までしてみせるだなんて。
目の前の少女もまた、この感染症に将来を狂わされた一人。自分はまだ感染していないが、大切な人を何人もその病気で失ったという。
ふと、自分の身に同じ出来事が起こったことを想像した。僕は一体、その立場になった時どんなことを思うのだろう。取り乱して、泣いて、叫んで。最後はきっと、自棄になるのだろう。
考えるだけでも、辛い出来事ではないか。
そんな出来事が宿命付けられてしまっている目の前の少女に、僕は同情せずにはいられなかった。
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