異世界の転生 3


 話をする前にひとまずシャワーを浴びることになった。俺は一階の風呂場に入り、蛇口をひねる。冷水が少し続いた後、熱い飛沫が全身に降り注ぐ。


(…美少女とはいえ自宅に見知らぬ不審者が入り込んでいるのに、何流されるままシャワー浴びてるんだ?)


 髪を洗いながら、自身のあまりの間抜けっぷりに苦笑する。だが、もし家に何か盗みに来たならそもそも俺に話しかける必要がない。それに彼女たちの困惑の表情に、あまり嘘っぽさを感じなかった。

 熱いシャワーによりだんだんと頭が働き始め、思考がはっきりとしていく。それにより、少なくとも今自分がいる空間が夢の中ではないと理解できてしまった。



 短いながら今までの人生で最も入念に体を洗い終えた後、風呂を出てリビングに移った。そこでは暖かいお茶が用意され、先ほどの少女が佇んでいる。


(…茶器や茶葉の位置、把握してるのか)


「さて、それではまず初めに」


 俺が紅茶に一口付けた後、スカートの少女が話し始めた。


「私はフィール=オークレースと申します。そして先ほどの女性は、私の姉のアネシィ=オークレースです」


「…あ、えっ、と。初めまして、深代十です」


 どう反応すればいいのかわからないので、とりあえず名乗り返す。流暢な返しができなかったのは、さすがに自分の社会性が欠けているせいだけではないだろう。


「…私たちが、なぜ十さんを存じ上げているのか疑問に思うでしょうが、その説明の前に、まずこの世界についてお話しなくてはなりません」



「今朝、十さんが住んでいた世界に、私たちが住んでいた世界が転生し、一つとなりました」



(…ずいぶん突拍子もないことを言い出したな)


「せ、世界?」


「はい。言い換えるなら…二つの異世界の融合。十さんが過ごしていた世界…適した呼称がないですね、ひとまず≪アース≫と呼んでおきましょう。元々、十さんの過ごしてきた世界・アースと、私たちの過ごしてきた世界、≪ハライア≫が存在していました」


「異世界は本来、それぞれが独立した時間と空間、そして法則を有し、干渉することはありません。しかし、その術により境界を越え、一つとなりました」


「一つとなった世界は、全く違う法則や歴史、生物で満ちた混沌。物の整合性などなく、ただ一緒にしただけでは法則同士の矛盾や折衝などによって、世界そのものが破綻してしまう」


「そこで、世界は自身の保全のため、を行いました。この自己改竄は、二つの世界を一絡げにしたものが、もともと一つであったことにするすり替え。今までそれぞれの世界が歩んできた歴史、記憶がすべて書き換えられ、、この世を構成するものすべてが世界自身によって捏造されました」


 真剣な顔をして何を言い出すかと思えば、突然世界だの改竄だの、突飛にしてもほどがある。

 ほどがあるはずなのだが、なぜだか胸騒ぎが治まらなかった。リビングに来るまでの間に町の様子を窓からちらと再確認したが、今朝見たように不気味な変化を遂げていた。

 あんなの、人為的にどうにかできるものではない。もしや…なんて可能性を感じさせられてしまう。


「どういうことです? 捏造って…」


「一体化された法則、創世からのこの星の歴史、人々の記憶、有機物・無機物…」

「人の記憶であれば、例えば私たちの関係。私たちは、この七美丘ゼスナで生まれ育ち、幼いころから顔見知りである幼馴染に。記憶だけじゃない。実際に過ごした証拠となるような、思い出の品や写真なんかもたくさんあるんです」


 そう言うと彼女は自身のスマホの待ち受けを見せた。そこには、今よりも少し若い雰囲気のする先ほどの女の子とフィール、そして自分が映っていた。


「ですが、十さんの記憶の中では私たちは初対面。これは、改竄前の記憶が残っているゆえの齟齬だと思います。本来は捏造された歴史のなかで、それを当然とした日常を送っているはずなのですが…」


「…あの、それってもしかして町の変化と関係あります……? そこの家とか、川とか…」


「はい。世界…といっても残されたわずかな地域だけですが、ゼスナという場所にあった自然や建物が反映された結果です」


 少女の話によれば、この町の変化は現実で、二つの世界が融合したかららしい。一朝一夕では用意できない証拠を見せられ、頑強に固められていたはずの常識という地盤が揺れる。


「なかなか、呑み込みにくい話ですね…」


 素直な感想を言うと、フィールも困ったような笑みを浮かべた。


「そうですね…他にわかりやすいもの…。そうだ、少し見ていてください」


 フィールはそう告げると、自身の右手を顔の前に掲げ、パチンと指を鳴らす。

 すると、細く美しい彼女の人差し指の少し上から、小さな炎が現れた。


「うわっ…! なんだこれ、マジック?」


「これが、異世界が一つになったことで起きた変化。アースにはなく、ハライアに存在した法則、


 魔術、なんとも魅惑的な響きである。

 徹夜後の頭で早朝ふらついていた時や、ただ口頭で説明されただけでは実感できなかった超常が、目の前にあった。


「十さんにもできるのではないでしょうか?」


 彼女の一言につられ、炎を出そうと意識しながら眼前で指パッチンしてみる。ボッと、100円ライターほどの小さな炎が出た。

 出てしまった。


「……本当、なのか? 世界がどうの、転生がどうのって…」


 意識すると炎が消えた。トリックなんかじゃない、自分の意のままに操れる超常の力を前にし、ようやく現実味が帯びてくる。


「…なにより」

「なにより、その異世界転生術を行った張本人が、私なんです」


 沈黙が流れる。どう反応すればいいかわからなかった。


「だから、私は改竄以前の記憶も覚えていられ、この事態が把握できました」


「…なぜ、その異世界転生術を使ったんですか?」


「…私たちの世界ハライアは、滅亡の寸前でした。異世界からの侵略者によって引き起こされた、すべてを飲み込まんとする黒の激流、獰猛化する魔物達、蔓延する瘴気に病…」

「これらを抑えられる結界を使える術者も次々に倒れてゆき、残されたのは私のみ。最後に縋れるのは、伝承にしか存在しない秘術だけでした」


 沈痛な表情で語る彼女は、おもむろに立ち上がり、そして深々と頭を下げた。


「ごめんなさい…」

「私たちは…いえ、私は、自分勝手な都合であなたたちの世界を侵食し、それまでの世界のすべてを塗り替えてしまった…」




「えぇ…なんで俺に…?」


 つい口をついて出た。


「あっ、いや…」


「………」


 しかし、実際自分に言われてもどうしようもない。

 自分は現時点で実害を受けたわけでも、国のお偉いさんでもないのだ。混乱の渦に叩き込まれはしたが。

 世界の危機だの魔獣だのなんて話も、世界中の国々と比較してもトップクラスに安全で平穏な国、日本に生まれ、一般的な家庭で育ってきた自分には到底現実味がない。

 ただ、もしそうだったならと想定するなら。


「まあ…仮にそうだったとして、災害みたいなのに脅かされて、多くの命が潰えて…そんな絶望の中に存在する唯一の希望だったのなら、それを非難することはできませんねえ…知りませんけど…」

「だから、まあ」


 少女はとても思い詰めているようだった。

 どんな熱量をもって語ればいいかわからないが、仮にそんなストーリーのゲームがあったとしたら、自分はきっとその少女に思い入れるだろう。


「顔を上げてください」







「そういえば、一つ質問したいことがあります」

「先ほど仰ってましたけど、普通なら世界の変容は認識できないんですよね? だからお姉さんは僕と知り合いのつもりでいて、発動者であるあなただけがその違いに気づくことができると。なら、なんで僕はこの変容を認識できているんですか?」


 ついつい別のことを訊ねてしまい、一度聞きそびれた疑問をフィールにぶつけた。


「…それについては、私もよくわからなくて。もしかしたら、転生術が不完全で十さんには改竄の影響がうまく及ばなかったのかもしれません…」


 どうやら彼女にもわからないらしい。というか、本当に世界全体のほうが変わってしまったのならば、自分はこの世界に適応できるのか…。心に小さな懸念が生じてくる。

 だが、だからといって自分なんかに何かができるというわけではない。従って結論はこうなる。


「まあとりあえず、いつもの生活を続けるだけですかね」


 結局、変わることはない。

 今までそうしてきたように、自分は漫然と生き、そして死ぬのだろう。目的なくネットを徘徊し、なんとなくバイトし、なんの実も残さないように枯れていく。人から忘れ去られるのを望んでいるかのような人生を。



「あ、あのっ」


 すると、少し緊張した面持ちのフィールが、少し上ずった声であらたまった。


「えっと、その…この世界では、私とお姉ちゃんはこの七美丘で十さんと一緒に過ごしてきたことになっています。私には、改竄前の記憶の他に、改竄後の捏造された記憶も存在していて…私たちはいつも一緒でした」

「ですから、その…もし、いつもの生活を続けられるというのなら…私たちは、十さんと…お友達で居続けたい…」


 唐突な提案に俺は少したじろぐ。いったい何を思ってそんなことを言っているのだろうか。

 …捏造された歴史の中で、そんなにいい関係を築けていたのか。


「…僕はあなたたちのことを何も知りませんし、今の僕が友人で居たいと思うような人間とは限りませんよ?」


「それでもです」


 そこまで言われて断ることができなかった。

 舌先に、ピリッと痺れるような感覚が身体に走った気がした。

 目の前にいるのが絶世の美少女で、俗な心が顔を出したからだろうか。この異変の中で頼りになる相手という、打算的な考えだろうか。それとも、異世界人なんて遠い人なら…。


「……まあ、友好関係を結ぶというぐらいなら…。えっと…よろしく、フィールさん」


「できれば普通に、呼び捨てで…。…よろしくお願いします、

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