第22話:チェリー①「言い訳なんかすんな!」

 今日学校に来てみると、紫が席にはいなかった。今日、私は寝坊しかけて予鈴ギリギリに来たというのに紫が来ていないというのは、珍しいことだった。


 結局、本鈴が鳴っても紫が姿を現すことはなかった。HRにて、先生によれば、紫は今日は体調不良ということらしい。私は先生にバレないようにこっそりと紫にチャットをしたが、体調が悪いのか連絡はすぐに返ってこなかった。そしてチャットを打ち終わった後、横で何やらヒソヒソと声が聞こえた。私の隣の女子がその前にいる女子と話してをしているようだ。


「ねえ。やっぱり、あの噂本当なんじゃない?」


「そうだよね。きっと変態に何かされてショックで寝込んでるんだよ」


「一ノ瀬さん可哀想......」


 小さい声ではあったが確かに聞き取れた。

 噂?変態に何かされた?一体どういうこと!?私は聞きたい衝動をグッと堪えた。今はHR中だ。紫に何かあったのかすごく気になった。心配になった。早く、チャットが返ってこないか、ちらちらとスマホを確認するが、既読にすらなっていない。


 HRが終わり、そのまますぐに1限の授業が始まった。私は紫のことが気になって授業どころではなかった。

 そして、ようやくのこと授業が終わり、隣の女子、長田さんに話を聞いた。


「ねえ、さっきの紫のこと。噂って何?」


「え?東雲さん?いや、えーっと......」


 私はクラスでは紫としか仲良くはない。男子とは極力話さないようにしている。自分では気をつけてはいるつもりだが、客観的に見るとやはりその態度もよくはないらしい。そのため、私が男嫌いであることはクラスの人も察してくれている。それに加えて勝気な性格をしているため、少し浮いた存在でもあることを自覚している。そして私はいつも紫にべったりしている。紫のこととなると周りが見えなくなってしまう。そんな私が、紫に関することを聞いてきたのだ。厄介だとでも思っているのだろうか。


「実はね......」


 長田さんはその噂について気まずそうにしながらも話してくれた。


「は?」


 その時の私のリアクションがこれ。そしてそのリアクションを見た長田さんは少し怯えていた。私は長田さんを恐がらせてしまったことを謝り、そして噂を教えてくれたお礼を言った。


 噂の内容はこうだった。隣の3組の男子生徒が5組の有名なギャル、狭山さんのスカートの中を覗いたというもの。それだけであれば、ただの変態として放置しておくのだが、許せないことはその次だ。なんとその変態があろうことか、私の親友の紫を泣かせたらしいのだ。詳しい経緯は知らないが、廊下でその男が紫に話しかけ、泣いた紫が走り去ったのを他のクラスの生徒が目撃していたらしい。


 私は、怒りで腹ワタが煮えくり返りそうだった。私は男に触ることなんて本当はしたくはないが、その男をどうにか引っ叩いてやることしか、頭になかった。そのせいで全く授業に集中もできなかった。全部そいつのせいだ。


 そして、昼休み。私は教室で一人、パンをかじっていた。携帯をいじっていると紫からのチャットがスタンプで返ってきた。そのスタンプは犬が涙を流しながら倒れているスタンプだ。私は飛びつくように、すぐに返信をした。


『体調不良って聞いたけど大丈夫!?』


『ごめんね。今日微熱があって......体も少しダルかったんだ......でももうだいぶマシになったよ!』


 微熱か。紫は繊細だから、きっと変態野郎に何かショッキングなことをされて、体調に出てしまったんだろう。


 私は、体調の悪い紫に聞くことを躊躇ったが、男子生徒に泣かされたことが真実かどうか確認のため聞くことにした。


『ねえ、昨日男子に泣かされたって聞いたんだけど、本当?』


『え!?なんで!?』


『いいから教えて!』


『その......泣かされたって訳じゃないんだけど......そのちょっと嫌なことがあっちゃって泣いちゃった......』


 どうやら噂は本当だったらしい。ますます返信する指に力が入った。そして返信内容をしたためていると紫が先にまたチャットを送ってきた。


『も、もしかして何かしようとしてる?やめてね?私なら大丈夫だから!そんな大したことされてないし、私が勝手に泣いちゃっただけだから。それに桜ちゃん男の人、その......ダメでしょ?』


 まるで私が何かをしようとしていることが分かっているかのような内容だった。更には私の心配までしてくれている。それくらい紫は優しい。付け加えて言えばそれはもう、どんな相手にもだ。よく告白される紫は相手がどんなに見た目がアレな相手でも決して嫌悪感を出したりはしない。そんな紫がそういうのは当然のことだった。私は紫に「何もしない」と返信したが、怒りは収まらなかった。その後、紫はもう少し寝るということでチャットはそこで終わった。


 紫から真実も聞けたし、次に私はその噂の人物を特定することにした。別に何かをしようと言う訳ではないが、私の親友に対して罪を犯したものがいるのならば、その相手を知りたいと思うのも当然のことだった。私は、また長田さんに聞くことにした。さっきより迫力が増した私に長田さんは先ほど以上にビビっていたように思える。申し訳ないことをした。


 その男の名前はどうやら、時東柚月というらしい。しかもその男、どんな魔法を使ったのか、夏休み前と後で姿形が全く違うらしい。なんじゃそりゃと疑いたくなったが、どうやら本当のことらしかった。また、私はその名前について、一瞬どこかで聞いたことがあった気がしたが、そんな変貌を遂げていたら名前くらいどこかで耳にしたかもなと思い、その違和感を頭の中から排除した。


 結局その日は、気が気でない状態で一日を過ごした。午後からの授業も全然内容を覚えていない。授業が終わり、今日は部活がある。私は弓道部に所属しているが、今日は本当にダメだ。集中できる気がしない。こんな状態で練習するのは、周りの部員にも迷惑がかかる。私は顧問の先生に言って、今日は体調不良ということで部活を休むことにした。


 そして私は今、職員室でかなり高齢に見える顧問の山形先生と部活を休むため、話をしていた。見た目お爺ちゃんなだけに「校長先生より年上では?」と噂されているが、実際の年齢は不明だ。そして、私がに接することのできる数少ない男の人でもある。そんな先生と話をしている時だった。


「一ノ瀬さんの住所が知りたい?」


「ええ、はい......」


「君ねえ、そんなこと言われてもダメよ。普通に考えて男子生徒に女子生徒の住所教えるわけにはいかないでしょ」


「やっぱ、そうっすよね......」


 顧問の先生が話している場所から、離れた席から担任の先生のものと思われる声が聞こえたきた。誰か、男子生徒と話しているようだった。


 紫の住所を教える?

 私は先生との話をしながら、器用にも向こうの会話に耳を傾けた。流石に顔まで向けることはできなかったが。

 紫は定期的に告白されるほどモテるので、お見舞いを理由にお近づきになろうという男子生徒がいるのも別に違和感はなかった。まあ、そんな理由でくる男子に対して悪いイメージしかないけど。


「......そうですよね。すみません、心配だったもので......」


「それに君、隣のクラスの時東君だったわよね?真実かどうかは置いておいて、あなた良くない噂が立っているわ。今は、そういう行動は控えたほうがいいのじゃないかしら?」


 私は、顧問との会話の途中にも関わらず、その名前を聞いて目を見開いてそちらの方を向いてしまった。


 時東!?


 向いた先にいる男子生徒は男嫌いな私から見ても爽やかな顔をしている印象を受けた。だからこそ、余計に自分の中に強く、吐き気と嫌悪感を覚えた。そして私に嫌な面影を思い出させた。


「おい、東雲。聞いておるのか!ってどうした、その顔。真っ青じゃぞ?やはり、体調が優れんようじゃな。部活のことは分かったから、早く帰るんじゃぞ?」


 私は、その場で小さくコクリと頷き、職員室を後にした。そして私は女子トイレの洗面所で嫌な気持ちを振り切るため、顔を水で乱暴に洗った。目の前には鏡。そこにはいつにも増して、酷い顔をした自分の顔が映っていた。


 はあ。少し落ち着こう。時東はアイツじゃない。

 私は深呼吸をして心が落ち着くのを待った。そして、もう一度考える。いつまでも引きずっていてはダメ。私がしっかりしないと紫まで嫌な目に遭ってしまうかもしれない。


「よし......」


 今日はこのまま、紫の家にお見舞いにでも行こう。こう気分が悪い時は紫の顔を見て元気を出そう。

 私は女子トイレから出るとそのまま生徒玄関に向かった。するとまたもや、先ほど職員室で時東と呼ばれた生徒が頭を抱えながら、靴を履き替えているところに出会した。


 私はその姿に今度は怒りのようなものが湧いた。

 紫を泣かせておいて何アンタが悩んでるわけ?それに私をこんな嫌な気持ちにさせて。

 後者は明らかに自分でもトバッチリでもあるということは分かっているが、この気持ちを抑えることはできず、気がついたらその男に声を掛けていた。


「ちょっと!!」


 もしかしたら、声が震えていたかもしれない。


「......?」


 男は驚きながらも振り返る。


「あ、あんたが時東ってやつ?」


「......えっと、そうだけど......?」


 職員室でも呼ばれていたが、この男が時東というやつで間違いなさそうだ。私は意を決して、時東に詰め寄った。


「あ、あんたが紫を泣かせたのね!?」


「い、いや、違......」


 パシンと乾いた音が玄関に響く。これは私が目の前の男の頬を打った音だ。


「言い訳なんかすんな!あんたみたいな。あんたみたいな善人ヅラして人を傷つける奴なんて大っ嫌い!!二度と紫の前に現れないで!!」


 私はその男を玄関に置き去りにし、一目散にその場から離れた。目には大粒の涙を蓄えながら、震える体を抱きしめながら歩いた。その体には蕁麻疹も出ている。

 本当はビンタなんてするつもりはなかったのに。

 暴力に訴えてしまったという自分への嫌悪感が生まれた。だけど、少しの間歩いてそれは達成感に変わっていた。


 やってやった。私は勝ったのだ。自分を苦しめるアイツの幻影を振り払うことができたのと同時に紫にしたことへの仕返しができたのだ。こんなこと紫に言えば、紫は怒るかもしれない。でも、親友に報告しないなんていうことは私の中にはなかった。





「そ、それでぶってやったの!!」


「え.....?ちょっと待って!!桜ちゃん......誰をぶったの?」


 私は、紫の家にお邪魔をし、体調を心配した後、先ほどの件を話していた。紫は私が男嫌いで触ることもできないことを知っている。それは中学の時に起きたとある事件のせいでそうなったと伝えているが、具体的なことは話していない。そんな私が、紫を泣かせた犯人をぶったことに驚きを隠せないようだった。

 私は、達成感からか少しハイになっていた。


「だ、だから時東ってやつよ!紫を泣かせたんだから、その......許せなくって」


 本当は紫を泣かせただけが理由ではなかった。そして話していると紫の顔がどんどん曇っていったことが見て取れた。

 そして、顔を青くして震えている。


 こ、これは怒っている?


「ごめん、勝手なことして......」


 私はその顔を見て、瞬時に両手を合わせて謝った。ゆっくりと目を開けて、紫の顔を確認した。その顔は先ほどの青ざめた顔から少しも変わっていなかった。そして、次に紫から発せられた言葉は私にとって予想外の一言だった。


「ああああ......桜ちゃん......柚月君は私を泣かせた人じゃないよ......」


「......え?」


 え?

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