第2話

 翌日も僕は彼女の病室に顔を出した。

「仕事をサボって悪い人ですね。」

「今日は友人として顔をだしに来たのですよ。」

 彼女の髪が窓から吹いた風で少し揺れる。

「死ぬ間際に何を思い浮かべると思いますか?」

 初夏の生暖かい風が問いかけてきたようだった。

「わかりませんね。」

 僕は正直に答えた。持ってきたお土産をテーブルに並べながら、少し間をおいて返答した。

「結構ばかばかしい事かもしれません。例えば、ツイッターでの炎上とか。」

「炎上?」

 僕はお土産から目を離して杏子を見つめた。

「そう、炎上です。なかなか馬鹿らしいものが多くて笑えますよ。」

「それはどんなものなの?」

「具体的に聞かれると思い浮かばないです。他には、好きな人の指先とか、あるいは全くどうでも良いことかもしれません。人並みにおごれや、とか。」

「何それ。面白いです。」

「ルート5だったかな。忘れましたが。」

 杏子の反応を待っている間に夏の匂いが部屋を満たしていく。蝉の鳴き声が良く聞こえる。

「こないだの話に戻るのですが、わたしの願いを探して下さい、とはどういった意味なのですか?」

 僕は本題に入った。昨日から考えているのだが、あの意味するところが全くわからなかった。

「願いって何なんですかね。私にはそれがそもそもわからないのです。昔から明日を迎えられるかわからない生活を送ってきましたから、生きたいとか死にたい等と考える事すらもうありません。治療は辛い事もあるのですが、それももはや日常なんです。」

「ですから、私には死ぬ間際に何も思い浮かばないと思うのです。ありのまま死を受け入れる心の準備はできています。だけど、それは少し寂しく思えるのです。」

 まるで他人事のように杏子は語った。

「それでは、死ぬ間際に思い浮かべる思い出がほしいのですか?」

「そうではありません。ただ、死ぬことを後悔して死にたいのです。そのための願いを一緒に探してほしいのです。死神さん。」

 重い話だ。正直いえばどうすることもできない。


「それなら、今まで叶えてきた願いの話でもしますか。まだ面会時間はありますし。」

 僕はそう答えた。

「最初は向田さんの話をしましょうか。向田さんはご存知ですか?」

「いえ、知りません。」

 杏子が知らないのも当然である。向田さんはこの部屋の前の住人だった人だ。

「向田さんの願いは新来軒のチャーハンでした。おかしいでしょう。」

「そんな事はないですよ、たぶん。」

 杏子は少し困った表情をした。もしかしたらチャーハンを知らないのかも知れない。

 僕は気にせずに話を進める事にした。

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