七つ前は神のうち

サトクラ

七つ前は神のうち

 ある寂れた片田舎に子を身篭った女がおりました。天涯孤独の身の上の女は、腹の子の父親である男のことをそれはもう好いていましたので、身の回りの世話はもちろん、男が遊び歩くための金の工面もしておりました。対して男の方はというと、働きもせず家事もせず女のことを奴隷かなにかのように扱うクズのような男でしたが、それでもやはり女にとっては一等愛する人に変わりはありませんでした。


 ある時女の腹に子ができたと男が知ると、それまで乱暴だった男の態度はコロリと変わっていきました。子はかすがいというように男に親の自覚が芽生えたというわけでは決してなく、単に国から支給される補助金が目当てでした。この国では子が生まれるごとに数年はゆうに遊んで暮らせる額の補助金が渡されるのです。男の目当てはそれでした。


 男は子が生まれるまでは、それはもう丁重に女の世話を焼きました。それまで女に任せっきりだった家事をやり、外に働きに出ては女に栄養のあるものを食べさせて、これまでの態度は何だったんだと思うほどに女をチヤホヤ甘やかします。性根が腐りきっているどうしようもない男でしたが、そういった能力がないわけではなかったのです。


 そうして女が無事に赤ん坊を出産し、国から補助金が支給されると男はやはりコロリと態度を変えました。手に入れたカネを使って一日中遊び呆けるようになり、女が待つ家には寄り付かなくなったのです。女は男によく似た赤子を腕に抱きながら、寂しい寂しいと泣いてばかりおりました。


 ◇


 湯水のようにカネを使って遊びまわっていた男が帰ってきたのは数週間後のことでした。ついに手持ちのカネが尽きてきたので、女に無心にきたようです。

 おいおまえ、早く働きに出ないとカネがない。とっとと仕事を見つけてこい、と男はそれがさも当然かのように言いました。

 女は一度は子の育児を理由に、男に働きに出てはくれないかと頼んでみましたが、男が怒り狂って口答えをするなと女の頬を張りましたので、結局は赤子の世話を諦めて自分が働きに出ることに決めました。女は子ができたところでやっぱり男のことが一等好きなままでしたから、赤子の世話より男のために日金を稼ぐことにしたのです。


 ◇


 女が働きに出ている間、男は必然的に赤子と関わらざるを得ませんでした。七つになる前に親の過失で子を死なせてしまうと、支給された補助金の数十倍の罰金が科せられるだけでなく、生殖機能を剥奪され禁固十年という罰が与えられるのです。


 これまで全く接点の無かったふたりの関係は赤子が寝ているうちは平和でしたが、一度赤子が泣き出してしまうともう男の手には負えません。おっかなびっくり赤子を抱きかかえてみたものの、烈火の如く泣き叫ぶ声は止まないどころか、ますます大きくなるばかり。赤子からすれば自分の母親である女が居ないばっかりか、突然見知らぬ男に抱き上げられたのだから無理はありません。


 そうして赤子が泣けば泣くほど男の瞳は段々冷めていきました。元来、気の短い粗暴な男なので、堪忍袋の尾が切れたのでしょう。将来自分の身に降りかかるかもしれない憂き目よりも、目の前の快楽だけを求めてきた男です。今まで抱えていた赤子を頭上高く振り上げたかと思うと、そのまま床に向けて全力で腕を振り下ろしてしまいました。


 ガツン −暗転


 男は頭に直接響くような打撃音を最期に意識を闇に手放しました。部屋にはまだ赤子の声が響いていました。


 ◇


 さて、女が仕事を終え家に帰ってきてみると、部屋は暗く不思議なほどに静かでした。大体この時間帯ならば男が焼酎を片手にひとりで管を巻いているはずです。しかし部屋の明かりもついていなければ、男の姿もありません。女は背筋に走る嫌な予感を抑えながら、居間の扉を開けました。


 まず、ツンとした鉄錆の匂いを強く感じた後、視界の端に赤く染まったナニカを捉えました。恐る恐る目線をそちらに向けてみると、血溜まりの中に沈む男の姿がありました。一拍置いて女の絶叫が家に響き渡ります。女は半狂乱になりながら男の側に駆け寄ると、自身が血塗れになるのも厭わずに男の頭を抱きかかえ、おいおいおいおい泣き始めました。


 そうして散々泣いた後、女は虚な表情で台所に向かい戸棚の中の三徳包丁を手に持つと、ふらふら赤子を探しまわりました。女は当然男が死んだ理由は分かりませんので、用心半分、狂気半分といったところでしょうか。


 はたして、赤子は寝室におりました。居間の惨状が嘘のようにすいよすいよと寝ている赤子を覗き込み、女は真っ赤に濡れた左手で赤子の頬を撫でました。そうしてうっそりと微笑みながら、赤子に向かってぽつりぽつりと言葉を紡いでゆきました。


 せっかくうまれてきたのにごめんなさい、でもさみしくはありませんよ。わたしもあのひともともにゆきますからね。


 女が右手に握った包丁を振り下ろそうとした瞬間、赤子の両目がパチリと開き目があいました。


 プツリ −暗転


 女は己の身のうちからナニカが抜けてゆくのを感じました。部屋には赤子のきゃらきゃらという笑い声だけが響いていました。


 ◇



 ある寂れた片田舎に母ひとり、子ひとりの家庭がありました。母親は天涯孤独の身の上でしたから、それはもう自分の子を可愛がりました。なぜか子の父親は分かりませんでしたが、それでも女にとって自分の子は一等愛すべき存在でした。

 父親が誰かなんて関係ないのです。この子は私の子なのだから、というのが彼女の口癖でした。


 そうして母子の幸せな暮らしはいつまでもいつまでも続いていきました。めでたしめでたし。


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