青薔薇姫のレイピア ～花に摘まれた暗殺者たち～

1-1.物柔らかなる殺し棘

　《青薔薇姫（あおばらひめ）の暗殺（あんさつ）》。依頼（いらい）決行（けっこう）の夜（よる）は、すべてが順調（じゅんちょう）に進（すす）んでいた。

　一直線（いっちょくせん）に差（さ）し向（む）けた剣（けん）のすぐ先（さき）に、標的（ひょうてき）の乙女（おとめ）がいる。深々（しんしん）と奥（おく）ゆかしい嫁入（よめい）りの生花（せいか）、齢（よわい）20そこいらの旬（しゅん）なる花姿（はなすがた）は、今（いま）までに楽（たの）しんできたどんな女（おんな）よりも、かぐわしかった。

　青天（せいてん）の大半球（だいはんきゅう）を床上（ゆかうえ）に咲（さ）かせる、ボールガウン・ドレス。

　サラサラと腰先（こしさき）まで直（ちょく）と流（なが）れた、白銀色（はくぎんいろ）の長（なが）つや髪（かみ）。

　深（ふか）く羽織（はお）ったショールから覗（のぞ）く、新雪（しんせつ）の人肌（ひとはだ）。

　高嶺（たかね）の花（はな）ほど高値（たかね）で売（う）れるものだ。

　深窓（しんそう）にひとつ咲（さ）く儚（はかな）げな美貌（びぼう）、箱入（はこい）りに育（そだ）てられた華奢（きゃしゃ）な一身（いっしん）には、街（まち）がまるごと買（か）えるだけの値（ね）が飛（と）び交（か）っても不思議（ふしぎ）ではなかった。たっぷりと味見（あじみ）をしてしまってもいい。しおれかけでも、酒（さけ）と女（おんな）に飽（あ）きるまで暮（く）らせるだけの値（ね）がつくだろう。

　――二度（にど）と表（おもて）に出（だ）さなければ、殺（ころ）したことと同（おな）じになるのだ。

　いよいよ今宵（こよい）の《花摘（はなつ）み》が始（はじ）まる。宮殿（きゅうでん）外郭（がいかく）に張（は）り巡（めぐ）らされた衛兵（えいへい）の網々（あみあみ）、それらを一切（いっさい）の沙汰（さた）なくくぐり抜（ぬ）けた先（さき）に、この舞踏（ぶとう）の広間（ひろま）はあった。20年物（ねんもの）の生花（せいか）と20年来（ねんらい）の花売（はなう）り、がらんどうの密室（みっしつ）にはそれしかいない。衛兵（えいへい）や侍女（じじょ）などの邪魔者（じゃまもの）はいない。王国一（おうこくいち）の護衛（ごえい）の剣士（けんし）も、今夜（こんや）だけはいない。

　青薔薇姫（あおばらひめ）は今（いま）、たったひとりだ。

　それを黒衣（こくい）の大男（おおおとこ）、10人（にん）が囲（かこ）う。

　包囲（ほうい）中央（ちゅうおう）、可憐（かれん）淑（しと）やかな小顔（こがお）は青（あお）ざめていた。リスのように頻（しき）りに見回（みまわ）しては、床丈（ゆかたけ）のスカートをあたふたと波立（なみだ）たせて、四方八方（しほうはっぽう）からの薄汚（うすぎたな）い笑（え）みを、ぎらついた剛剣（ごうけん）を振（ふ）りかざす大男（おおおとこ）たちを、潤（うる）んだ目（め）で見（み）上（あ）げていた。

　もう間（ま）もなく手（て）に入（はい）る。だからこそ男（おとこ）たちは頬（ほお）を引（ひ）き締（し）め直（なお）した。花摘（はなつ）みはここからが大事（だいじ）なのだ。十方塞（じっぽうふさ）がりの青一輪花（あおいちりんか）、白長手袋（しろながてぶくろ）の小（ちい）さな手（て）には――

　姫（ひめ）の手（て）には、レイピアが握（にぎ）られていた。

　満月（まんげつ）の青光（せいこう）あふれる舞踏（ぶとう）の広間（ひろま）、一面（いちめん）に広（ひろ）がる白大理石（しろだいりせき）の床（ゆか）の上（うえ）で、命（いのち）を賭（と）した剣戟（けんげき）が始（はじ）まった。

　いざ幕（まく）が開（ひら）かれてみると――姫（ひめ）が優勢（ゆうせい）だった。

　《お姫（ひめ）さまの大活劇（だいかつげき）》。百千（ひゃくせん）と命（いのち）を刈（か）り取（と）ってきた剛剣（ごうけん）10本（ぽん）の打（う）ち込（こ）みが、花（はな）をめかした細剣（さいけん）一本（いっぽん）にことごとく受（う）け流（なが）されていく。銀細工（ぎんざいく）の曲線（きょくせん）が入（い）り組（く）んだ湾曲柄（わんきょくえ）、そこを青爛漫（あおらんまん）と生花（せいか）で着飾（きかざ）ったレイピアを片手（かたて）に、青薔薇姫（あおばらひめ）は大立（おおた）ち回（まわ）りを見（み）せていた。

　筋骨隆々（きんこつりゅうりゅう）の大男（おおおとこ）10人（にん）、正面突破（しょうめんとっぱ）も視野（しや）に入（い）れた選（え）りすぐりの面々（めんめん）が囲（かこ）んでいるというのに、花（はな）の乙女（おとめ）は細剣（さいけん）を捨（す）てない。ふた回（まわ）りは小（ちい）さな身体（からだ）をいっぱいに使（つか）って、ひらりひらりと剛剣（ごうけん）を受（う）け流（なが）し、ひとりとして男（おとこ）たちを寄（よ）せつけず、常（つね）に包囲（ほうい）の中央（ちゅうおう）を維持（いじ）している。花売（はなう）り20年（ねん）の男（おとこ）たちであっても、今回（こんかい）ばかりは手（て）に汗（あせ）を握（にぎ）らずにはいられなかった。

　かすり傷（きず）ひとつが金貨（きんか）ひとつを左右（さゆう）するのだ。

　素人（しろうと）が握（にぎ）りしめた剣（けん）ほど怖（こわ）いものはない。にわか仕込（じこ）み程度（ていど）に磨（みが）いた護身剣術（ごしんけんじゅつ）などもっともだ。下手（へた）にレイピアを弾（はじ）き飛（と）ばして、それが商品（しょうひん）本体（ほんたい）をかすめただけでも大損（おおぞん）となる。これだけの仕上（しあ）がりの一等花（いっとうか）ともなればなおさらだ。摘（つ）み際（ぎわ）では適切（てきせつ）な力加減（ちからかげん）が大事（だいじ）なのだ。

　男（おとこ）たちは10人（にん）総出（そうで）で大活劇（だいかつげき）を演出（えんしゅつ）していく。ガクガクと震（ふる）えて止（や）まない花細剣（はなさいけん）、強張（こわば）りきった花乙女（はなおとめ）を円陣（えんじん）を組（く）んで囲（かこ）い込（こ）み、一見（いっけん）丁重（ていちょう）にもてなしながらも、じわりじわりと着実（ちゃくじつ）に型（かた）へとはめていく。細剣（さいけん）を落（お）とすか、裾（すそ）を踏（ふ）むか、壁（かべ）へと追（お）い込（こ）むか――いずれにしても時間（じかん）は充分（じゅうぶん）にあった。

　11人（にん）きりの舞踏（ぶとう）の広間（ひろま）で、花（はな）のレイピアは叫（さけ）び続（つづ）ける。

　へっぴり腰（ごし）の護身剣術（ごしんけんじゅつ）で、姫（ひめ）は円陣（えんじん）内（ない）を逃（に）げ回（まわ）り続（つづ）ける。

　たったひとりの防衛戦（ぼうえいせん）には、誰（だれ）ひとりとして駆（か）けつけない。

　それでも姫（ひめ）はレイピアを捨（す）てない。

　大粒（おおつぶ）の涙（なみだ）で長（なが）いまつ毛（げ）を濡（ぬ）らしながらも、おっかなびっくりの受（う）け流（なが）しを続（つづ）けて、男（おとこ）たちをまったく寄（よ）せつけない。スカートの大半球（だいはんきゅう）を翻（ひるがえ）し、裾（すそ）先（さき）のフリルの多重層（たじゅうそう）で床（ゆか）をくすぐり、細長（ほそなが）い踵（かかと）のつま先立（さきだ）ちの靴（くつ）を見（み）え隠（かく）れさせながら、ひらりひらりと逃（に）げ回（まわ）る。男（おとこ）たちがどれだけ打（う）ち込（こ）んでも、細剣（さいけん）を手離（てばな）さず、裾（すそ）も踏（ふ）まずに、円陣（えんじん）の中央（ちゅうおう）も維持（いじ）していた。お姫（ひめ）さまにしては大健闘（だいけんとう）だった。

　いよいよ円陣（えんじん）が壁（かべ）に接（せっ）しても、姫（ひめ）はレイピアを離（はな）さない。男（おとこ）たちは追（お）い込（こ）み猟（りょう）の仕上（しあ）げにかかった。十方（じっぽう）からの矢継（やつ）ぎ早（ばや）のそよ風（かぜ）、10本（ぽん）の剛剣（ごうけん）のやさしくも執拗（しつよう）な揺（ゆ）さぶりに、花（はな）の乙女（おとめ）はてんやわんやだ。ドレスが髪（かみ）がごった返（がえ）して、綱渡（つなわた）りのような剣（けん）さばきは、右（みぎ）に左（ひだり）にますます傾（かたむ）いていく。

　絶叫（ぜっきょう）の悲鳴（ひめい）、レイピアの金切声（かなきりごえ）だけが舞踏（ぶとう）の広間（ひろま）に響（ひび）いていく。一声（いっせい）も発（はっ）しない乙女（おとめ）の泣顔（なきがお）に代（か）わって、花（はな）のレイピアは甲高（かんだか）く叫（さけ）ぶ。すべての窓（まど）扉（とびら）が閉（と）ざされていても諦（あきら）めない。ひっきりなしに叫（さけ）ぶ。叫（さけ）び続（つづ）ける。

　結局（けっきょく）、誰（だれ）も駆（か）けつけなかった。

　姫（ひめ）は最後（さいご）まで、ひとりだった。

　その夜（よる）は、朝（あさ）まで薔薇（ばら）三昧（ざんまい）だった。

　男（おとこ）たちは夜通（よどお）し青薔薇（あおばら）におぼれた。一世一代（いっせいちだい）の暗殺（あんさつ）依頼（いらい）を終（お）えてもなお、まだまだ力（ちから）を持（も）て余（あま）した隆々（りゅうりゅう）の巨体（きょたい）を寄（よ）せ合（あ）い、天香国色（てんこうこくしょく）の香（かお）り花（はな）やぎを味（あじ）わい尽（つ）くした。

　かつてない味（あじ）わいだった。忘（わす）れられないひと時（とき）だった。事（こと）が終（お）わった後（あと）もなお、その時（とき）の香（かお）り花（はな）やぎが染（し）みついて離（はな）れない。いつでも何度（なんど）でも、その時（とき）の光景（こうけい）が鮮明（せんめい）によみがえる。明（あか）るくなってきた夜空（よぞら）にまどろみながら、男（おとこ）たちはまた思（おも）い返（かえ）していた。

　――豊穣（ほうじょう）の処女雪（しょじょゆき）。

　ぷりぷりと、白（しろ）肉（にく）にあふれた女体（にょたい）。

　20の目（め）が睨（にら）みを利（き）かせる中（なか）、乙女（おとめ）はその小（ちい）さな手（て）を震（ふる）わせながら、自（みずか）らの胸（むね）のリボンをするすると引（ひ）き下（お）ろした。青一色（あおいっしょく）のショール、深（ふか）く上体（じょうたい）を覆（おお）った煌（きら）びやかな包（つつ）み布（ぬの）は、あれよあれよと地（ち）の引（ひ）くままに幕開（まくびら）かれ、男（おとこ）たちは一様（いちよう）に動（うご）きを止（と）めた。

　白世界（しろせかい）に引（ひ）き込（こ）まれたのだ。

　乳（ちち）も腹（はら）も剥（む）き出（だ）しだった。ボールガウン・ドレスの上体部（じょうたいぶ）、青花（せいか）と銀刺繍（ぎんししゅう）が彩（いろど）るコルセットは、隙間（すきま）だらけで、くびれもえげつない。か細（ぼそ）い青幹（あおみき）のそこかしこから、むちむちと白（しろ）く丸（まる）い豊潤（ほうじゅん）がこぼれて、女肉（にょにく）の実々（みみ）であふれかえっていた。

　花々（はなばな）の柵（さく）が並（なら）ぶコルセット上部（じょうぶ）では、たらふくに育（そだ）った桃（もも）ほどの丸肉（まるにく）をふたつ、たぷんたぷんと盛（も）り乗（の）せて、ぷっくりとした先端（せんたん）と下半球（したはんきゅう）だけをかろうじて覆（おお）っている。すぐ下（した）の前面（ぜんめん）中央（ちゅうおう）には、銀刺繍（ぎんししゅう）の丸額縁（まるがくぶち）、ぽっかりとくり抜（ぬ）かれた西瓜大（すいかだい）の穴（あな）からは、むちむちとお腹（なか）の贅（ぜい）が浮（う）き出（で）て、おへその深淵（しんえん）を肉（にく）で囲（かこ）っている。――なのに腰（こし）は、ぎゅうぎゅうにか細（ぼそ）い。背中（せなか）では編（あ）み上（あ）げ紐（ひも）が極小（ごくしょう）の×字（ばつじ）を連（つら）ね、コルセットから締（し）め出（だ）されたものたちは皆（みな）、隙間（すきま）へとあぶれる。押（お）し上（あ）げ乗（の）り上（あ）げ、ねじ込（こ）み食（く）い込（こ）み、てんこ盛（も）りの果肉（かにく）であふれかえった洋梨型（ようなしがた）の器（うつわ）、その鋭（するど）い双曲線（そうきょくせん）のくびれは、男（おとこ）の両手（りょうて）に収（おさ）まってしまいそうなほどだった。

　そんな雪白（ゆきしろ）い女肉（にょにく）盛（も）りに、日焼（ひやけ）黒（ぐろ）の大男（おおおとこ）たちが寄（よ）ってたかる。

　きめ細（こま）かくてなめらかな雪肌（ゆきはだ）、一面（いちめん）無垢（むく）の白（しろ）を台（だい）なしにしないように抑（おさ）えながらも、男（おとこ）たちは息（いき）を荒（あら）くして征服（せいふく）にかかる。か細（ぼそ）い腕（うで）の懸命（けんめい）な拒絶（きょぜつ）に合（あ）わせて、隆々（りゅうりゅう）の剛腕（ごうわん）に少（すこ）しずつ力（ちから）を入（い）れていく。屈辱（くつじょく）の先端（せんたん）が肉（にく）をとらえるまで、そう時間（じかん）はかからなかった。

　一方的（いっぽうてき）な蹂躙劇（じゅうりんげき）。一度（いちど）とらえたら止（と）まらない。10の巨体（きょたい）が次々（つぎつぎ）と押（お）し寄（よ）せ、引（ひ）き締（し）まった肉（にく）が延々（えんえん）と侵（おか）し突（つ）かれ、屈辱（くつじょく）が淡々（たんたん）と植（う）えつけられていく。ひっきりなしの悲鳴（ひめい）をものともしない。目（め）も当（あ）てられない惨劇（さんげき）の渦（うず）、まだまだ力（ちから）を抑（おさ）えている巨体（きょたい）群（ぐん）の輪（わ）の中（なか）で――

　青薔薇（あおばら）の花実（はなみ）は、より香（かお）り色（いろ）めく。

　身体（からだ）と身体（からだ）が近（ちか）づくほどに、くびれた腰（こし）が逃（に）げくねる。顔（かお）と顔（かお）とが近（ちか）づくほどに、洗髪香油（せんぱつこうゆ）が花（はな）やぎを醸（かも）す。ボールガウン・ドレスに銀（ぎん）つや髪（かみ）、大男（おおおとこ）10人（にん）でも持（も）て余（あま）す海原（うなばら）とオーロラが、身（み）じろぎの度（たび）にゆらゆらと波立（なみた）ち、むんむんと女肉（にょにく）の芳醇（ほうじゅん）をまき散（ち）らす。そうして男（おとこ）たちのすべてを、ずかずかと雌色（めすいろ）で塗（ぬ）りかえてくる。日焼（ひやけ）黒（ぐろ）の巨体（きょたい）の輪（わ）が熱（ねつ）帯（お）びていくほどに、雪白（ゆきしろ）い青薔薇（あおばら）も揺（ゆ）れ躍（おど）っていった。

　――商品（しょうひん）価値（かち）など、もうどうでもいい。

　男（おとこ）たちは本気（ほんき）になっていた。10人（にん）全員（ぜんいん）が顔（かお）も身体（からだ）も真（ま）っ赤（か）にして、輪（わ）の中（なか）へと向（む）かって突（つ）き狂（くる）った。狙（ねら）い先（さき）などどこでもいい。ふっくらとした唇（くちびる）、鼻（はな）高（たか）い小顔（こがお）、雪肌（ゆきはだ）のうなじ、乳房（ちぶさ）の底（そこ）なし谷（だに）、深（ふか）陰（かげ）るおへそ、やわらかなドレス、つややかな長御髪（ながみぐし）――とにかく目（め）の前（まえ）の雌（めす）に目掛（めが）けて、全体重（ぜんたいじゅう）をかけて突（つ）き襲（おそ）った。

　乙女（おとめ）は健気（けなげ）にも諦（あきら）めない。汗（あせ）だくな巨体（きょたい）の輪（わ）の中（なか）で、男（おとこ）たちの本気（ほんき）の攻（せ）めにさらされているというのに、華奢（きゃしゃ）な身体（からだ）ひとつで耐（た）え抜（ぬ）いている。エメラルド色（いろ）の瞳（ひとみ）は輝（かがや）きを失（うしな）っていない。大男（おおおとこ）たち10人（にん）の渾身（こんしん）の一振（ひとふ）りに、青薔薇（あおばら）の乙女（おとめ）はたったひとりで立（た）ち向（む）かっていく。

　――血塗（ちぬ）れたレイピアを、花（はな）らかに振（ふ）りかざして。

　《お姫（ひめ）さまの大活劇（だいかつげき）》が、いつまでも終（お）わらない。舞踏（ぶとう）の広間（ひろま）の白盤上（はくばんじょう）、じわりじわりと順調（じゅんちょう）に運（はこ）んでいた包囲（ほうい）の円陣（えんじん）が、壁（かべ）まであと一歩（いっぽ）のところで止（と）まってしまったのだ。さらには壁（かべ）から遠（とお）のき始（はじ）め、気（き）がつけば円陣（えんじん）は広間（ひろま）中央（ちゅうおう）へと戻（もど）っていた。

　暗殺者（あんさつしゃ）10人（にん）の、本気（ほんき）の殺人剣（さつじんけん）が当（あ）たらない。とっくに抹殺（まっさつ）に妥協（だきょう）しているというのに、首（くび）や心臓（しんぞう）を目掛（めが）けた必殺剣（ひっさつけん）はかすりもせず、ひらりひらりと受（う）け流（なが）されてしまう。こんなことは初（はじ）めてだった。

　男（おとこ）たちは決（けっ）して揺（ゆ）るがない。愛用（あいよう）の剛剣（ごうけん）、古傷（ふるきず）と汗（あせ）の黒（くろ）ずみだらけの質実（しつじつ）な柄（え）が、過去（かこ）一番（いちばん）に力（ちから）をよこしてくるのだ。鍛（きた）え上（あ）げた巨体（きょたい）はますます滾（たぎ）り、どんな血生臭（ちなまぐさ）い戦場（せんじょう）を切（き）り抜（ぬ）けたときよりも力（ちから）が湧（わ）いてきている。10人（にん）全員（ぜんいん）がギラギラと目（め）を燃（も）やし、片時（かたとき）も敵（てき）から離（はな）さない。10本（ぽん）の剛剣（ごうけん）の刃（やいば）も、陽（ひ）の中（なか）で研（と）ぎ澄（す）ませた輝（かがや）きを一片（いっぺん）たりとも失（うしな）っていない。なのに――

　青薔薇（あおばら）の剣舞（けんぶ）は、終（お）わらない。

　白盤上（はくばんじょう）は花爛漫（はならんまん）、ボールガウン・ドレスが満開（まんかい）はつらつと回（まわ）り咲（ざ）いては、青（あお）の舞踏会（ぶとうかい）へと、誰（だれ）も彼（かれ）もをエスコートしていく。床丈（ゆかたけ）のスカートはひだを目一杯（めいっぱい）に解（と）き放（はな）ち、裾先（すそさき）では幾重（いくえ）ものフリルがらんらんと大円弧（だいえんこ）を駆（か）け巡（めぐ）り、そのまま芯（しん）へとぎゅうぎゅうに絡（から）みついては、螺旋（らせん）のつぼみをぷっくりと孕（はら）みづける。そこからすかさず逆回（ぎゃくまわ）りにいっぱい、くるりくるりと花（はな）びらをおっぴろげては、ぎゅうぎゅうにつぼみ逆巻（さかま）いてと、うら若（わか）い雌花（めばな）はのさばって止（や）まない。往（おう）に復（ふく）に、右巻（みぎま）きに左巻（ひだりま）きに、ふくらふくらな大半球（だいはんきゅう）を、青一輪花（あおいちりんか）はとめどなく産（う）み落（お）とす。どこまでも回（まわ）り広（ひろ）がる花海原（はなうなばら）のすぐ上（うえ）では、銀糸面（ぎんしめん）のオーロラが躍（おど）りゆらめく。腰先（こしさき）まで真（ま）っ直（す）ぐに伸（の）びたつや髪（かみ）の一本（いっぽん）一本（いっぽん）は、どれだけ振（ふ）り乱（みだ）れてもひと房（ふさ）に収（おさ）まり、まとまって波打（なみう）ちながら青（あお）い月明（つきあ）かりを跳（は）ね返（かえ）す。青薔薇（あおばら）のドレスと白銀（はくぎん）の長御髪（ながみぐし）、二色（にしょく）が奏（かな）でるうららかな円舞曲（ワルツ）を、乙女（おとめ）はしなやかな手（て）つきで指揮（しき）を執（と）りながら――

　またひとつ、真（ま）っ赤（か）な蜂（はち）の巣（す）を仕上（しあ）げていく。

　花々（はなばな）で青色（あおいろ）にめかしたレイピアが、次々（つぎつぎ）と大男（おおおとこ）たちを赤色（あかいろ）にめかしていく。白長手袋（しろながてぶくろ）の細腕（ほそうで）一本（いっぽん）から繰（く）り出（だ）される連続（れんぞく）突（つ）きが、延々（えんえん）と引（ひ）き締（し）まった筋肉（きんにく）を侵（おか）していく。空（あ）いた手（て）をたおたおと掲（かか）げてバランスを取（と）りながら、淡々（たんたん）と花細剣（はなさいけん）の先端（せんたん）を植（う）えつけていく。

　野太（のぶと）い悲鳴（ひめい）、飛（と）び散（ち）る赤（あか）、そのどちらにも目（め）もくれない。青一輪花（あおいちりんか）の一番棘（いちばんとげ）が、一方的（いっぽうてき）にまくし立（た）てて、はやし立（た）てて、ずかずかと男（おとこ）をしだいていく。1（アン）、2（ドゥ）、3（トロワ）と、みるみる花剣（はなけん）は調子（ちょうし）づく。4（キャトル）、5（サンク）、6（シス）と、ますます花棘（はなとげ）は弾（はず）みづく。ハイヒールの踵（かかと）を浮（うわ）つかせて、一本足（いっぽんあし）でくるくると回（まわ）って、青薔薇（あおばら）のドレスはむくむくとどこまでも増長（ぞうちょう）していく。なのに男（おとこ）たちは手（て）を出（だ）せない。花乙女（はなおとめ）が描（えが）くのびやかな剣跡（けんせき）に、10本（ぽん）の殺人剣（さつじんけん）が追（お）いつけない。

　のろまなレイピアを、止（と）められない。

　蝶（ちょう）が止（と）まるほど遅（おそ）い払（はら）いに、あれよあれよと踊（おど）らされる。蜂（はち）が笑（わら）うほど力（ちから）ない突（つ）きに、あれまあれまと歌（うた）わされる。なまくらの儀礼剣（ぎれいけん）にひっかき回（まわ）され、青若（あおわか）い護身剣術（ごしんけんじゅつ）につっつき回（まわ）され、いつまでも深手（ふかで）にはいたらないものの、いつまでも悪夢（あくむ）を止（と）められない。腰（こし）の入（はい）っていない連続突（れんぞくづ）き、そのすべての軌道（きどう）が手（て）に取（と）るように見（み）える花（はな）の剣（けん）に、もれなく蜂（はち）の巣（す）にされていく。

　しなやかな白長手袋（しろながてぶくろ）に、教（おし）え込（こ）まれていく。

　剛腕（ごうわん）の暗殺者（あんさつしゃ）がボールガウン・ドレスの乙女（おとめ）に、手取（てと）り足取（あしと）り踊（おど）らされていく。10人（にん）の大男（おおおとこ）がひとりの乙女（おとめ）に、おんぶにだっこに歌（うた）わされていく。至（いた）れり尽（つ）くせりの花細剣（はなさいけん）を、男（おとこ）たちは止（と）められない。止（と）まって見（み）えるレイピアを、いつまでも止（と）められない。

　――身体（からだ）が重（おも）いのだ。

　筋骨隆々（きんこつりゅうりゅう）、どんな死地（しち）でもともにあった錬磨（れんま）の巨体（きょたい）が、まったくいうことをきかないのだ。力（ちから）ならいくらでも湧（わ）いてくるというのに、今（いま）にも足場（あしば）が崩（くず）れ落（お）ちそうな、むかむかと気味（きみ）が悪（わる）い感覚（かんかく）が、全身（ぜんしん）にまとわりついて離（はな）れないのだ。

　包囲（ほうい）した当初（とうしょ）はこんなではなかった。しかし気（き）がつけば悪寒（おかん）に囲（かこ）まれていた。初（はじ）めての反撃（はんげき）、苦（くる）し紛（まぎ）れの細剣（さいけん）が頬（ほほ）をかすめたときが境（さかい）だった。膨（ふく）らみ始（はじ）めたら止（と）まらない。抹殺（まっさつ）に妥協（だきょう）しても消（き）えていかない。それどころかますます膨（ふく）れ上（あ）がってきている。剣（けん）を交（か）わせば交（か）わすほどに、ねっとりと四肢（しし）に絡（から）みついて、ぬらぬらとうねり登（のぼ）ってきている。じわりじわりと、着実（ちゃくじつ）にこちらへと迫（せま）ってきている。

　毒霧（どくぎり）や錯乱魔法（さくらんまほう）の気配（けはい）はない。毒剣（どくけん）でも魔法剣（まほうけん）でもない。深手（ふかで）の傷（きず）はひとつもなく、体力（たいりょく）も有（あ）り余（あま）っている。全身（ぜんしん）の筋肉（きんにく）は無尽蔵（むじんぞう）に燃（も）え滾（たぎ）り、足（あし）を敵（てき）へと何度（なんど）でも向（む）かわせる。がらんどうの舞踏（ぶとう）の広間（ひろま）、11人（にん）きりの密室（みっしつ）、必殺（ひっさつ）の包囲陣（ほういじん）――何（なに）をとっても順調（じゅんちょう）だ。間違（まちが）いなく順調（じゅんちょう）なのだ。なのに――

　青薔薇（あおばら）の剣舞（けんぶ）は、終（お）わらない。

　戦勲（せんくん）の古傷（ふるきず）が、次々（つぎつぎ）とかすり傷（きず）で上書（うわが）きにされていく。

　戦友（せんゆう）の剛腕（ごうわん）が、延々（えんえん）とつつき傷（きず）で苗床（なえどこ）にされていく。

　なにもかもが、淡々（たんたん）と一色（いっしょく）で塗（ぬ）りつぶされていく。

　20年来（ねんらい）の花売（はなう）りの刃（やいば）が、20年物（ねんもの）の生花（せいか）の棘（とげ）に。

　10の剛剣（ごうけん）も大男（おおおとこ）も、一度（いちど）も触（さわ）れないままに。

　たったひとりの、顔色（かおいろ）色（いろ）めく花乙女（はなおとめ）に。

　生（い）きたままに、殺（ころ）されていく。

　男（おとこ）たちは、震（ふる）えていた。

　青（あお）い薔薇（ばら）のドレスが翻（ひるがえ）る度（たび）に。

　白銀（はくぎん）の長御髪（ながみぐし）がゆらめく度（たび）に。

　花（はな）のレイピアが突（つ）き躍（おど）る度（たび）に。

　男（おとこ）たちは、震（ふる）え上（あ）がっていた。