第14話 開示
「師匠。ご迷惑をかけて、すみませんでした」
領城の堅固な門を出た辺りで立ち止まり、ランカは前を行くセレナに頭を下げた。
振り返ったセレナの表情は穏やかで、ホッと息をつく。
「家に帰るまで油断してはいけないのに、気が緩んでしまいました。すみません」
しょぼくれたランカに、軽やかな笑声が答える。
「良い経験と思いなさい。帰ったら、色々と聞かせてね。い・ろ・い・ろ」
「っ! はひぃ」
『…容赦の無い方です。 でも、この方なら大丈夫でしょう。たぶん…』
足元のサポが、遠い目をして鳴いた。
『最近、ますます擬人化? 擬獣化? していない? 』
ジェイラとシディアンが心配していると聞いたランカは、屋台で甘い果物を買った。甘味が比較的高価な北の辺境では、お土産にすると喜ばれるらしい。
「今日は珍しく、シディアンの妹が来ているの」
優しく笑んだセレナは、桃に似た果物も籠に入れる。
「背中が痛むらしくて、ほとんど寝ているけれど…」
シディアンには双子の妹がいると、セレナの表情が曇った。二才になるかならない頃、事故で背中に傷を負ってから断続的に痛みがあるという。
「魔術医や領城の医務官にも診察をしてもらったのだけれど、原因が分からないの」
ランカに医療の知識はない。気になるが、力になれるとは思えなかった。シディアンの双子なら、四才だろうか。
『知力が五百を超え、鑑定が限界を突破すれば、女神の領域にアクセスできます。現在の師匠の鑑定レベルが七十ですので、当分は無理かと思われますが。百になれば、大抵の事象は閲覧できるはずです』
何故かしらテンションの高いサポに、気持ちが引いた。
『そう……でも、そんな事は言えないわ。わたしは、できれば目立ちたくない』
『…はい』
色々と手遅れだと思うが、何もかも吹っ切るには至らない。何を聞かれ、何を打ち明けるのかも分からないが、騒動に巻き込まれるのは怖かった。
夕方で混み始めた露店街を抜ける。錬金工房が見えた辺りで、ホッと気が緩んだ。
「帰って来た」
泣きたいくらい安堵した。一晩しか過ごしていない工房だが、自分の居場所に帰った気がする。
「泣き虫ね。 お帰り」
セレナに頭を撫でられて、こらえていた涙が溢れる。
「…師匠 ただいま です」
平気だったはずが、随分と堪えていたと気づく。家の裏口で、泣きそうなモスミットに突進された。知り合ったばかりのランカを心配して、やきもきしていたらしい。
現に抱きついたモスミットは、震えていた。
「よかった 何もされなかった? だいじょうぶ? 」
心配するモスミットに、この国が人族至上主義だったと再認識する。きっと今でも人族以外の領民は、碌な目に合っていないのだろう。
「だいじょうぶよ。心配してくれて、ありがとう」
本当に大丈夫だと納得するまで、時間がかかった。気づいたジェイラが顔を出し、やっとモスミットは落ち着きを取り戻した。照れて、明日も顔を見にくると約束して帰って行った。
居間で待っていたシディアンの妹は、マリーアンと名乗った。母親にそっくりな、青い目をした美幼女だ。三人ともきんきらな金髪が、非常に眩しい。
大人しくソファーに座ったままで、クリクリした目がサポを追いかけて興奮している。
兄妹お揃いで、動物が大好きみたいだ。ただ、やはり背中が痛むのだろう。時々顰める顔を見ているのは、辛かった。
ジェイラや子供たちに「おかえり」と言われ、止まっていた涙が再決壊したのは、仕方がないと思いたい。久しぶりに穏やかな食卓を囲み、気持ちの良い風呂を堪能した後は、疲れているだろうからと早々に寝室へ追い立てられた。
帰った部屋に、改めて自分の居場所だと思う。
『おやすみなさい。 ランカ』
*****
夜中から降り出した雨が、いまだに窓ガラスを叩いている。サポはカウンター内のセレナの足元で、大人しく丸まっていた。
朝市の買い物途中で店に顔を出したモスミットが、手紙を届けに来た。参加する筈だった冒険者ギルドの教習会が、五日後に再開催される知らせだ。
「それからギルドマスターが、明日にでも一度会いたそうです。返事を貰ってくるよう、頼まれました」
そう言えばと思い出した。誘拐された次の日は、駆け出し冒険者の教習会だったはず。忘れていたが、約束をすっぽかしたままだった。
「師匠、明日冒険者ギルドに行ってもいいですか? 」
カウンター内にいるセレナに目を向ける。
「良いわよ。誘拐事件の顛末も聞きたいし、わたしも行くわ。昼一の鐘に伺うと、ラナに伝えてちょうだい」
聞いた事のある名前に、ランカは首を傾げた。
(ラナって誰だっけ…)
「えっと、ギルドマスターですよね? 」
問い返すモスミットに、白銀の美女を思い出した。
「ええ。お願いね、モスミット」
「はい、伝えます」
昨日と打って変わり、モスミットは笑顔で帰って行った。
「…師匠、友だちって良いですね」
「ふふ、そうね」
昼食後、資料室のテーブルを挟んでセレナと向き合った。天候のせいで子供たちを孤児院に置いてきたジェイラが、今は店番をしている。
「誘拐された屋敷で、あなたが強力な防御魔法を発動したと聞いたわ。どんな魔法か、聞いても良い? 」
単刀直入の問いに躊躇ったが、セレナは言葉を飾らない性分らしい。
「…幾つか質問してからでも、良いですか? 」
「ええ、答えられる事なら」
淀みない即答に、ランカも気持ちを引き締める。
「この国に、私のような防御魔法を使う人は存在しますか? 何故、師匠は、知りたいのですか? すみません。わたしは、臆病なので…」
一瞬逸れた視線が戻った時、セレナの瞳の奥底で闇が揺れた。
「各国の首都を守る防御結界は存在します。防御結界の魔道装置は存在しますが、あなたが発動したように、同じだけ発動できる者は少ないわ。それこそ、今代の聖女なら可能かもしれませんが…だからもしも、あなたの事が公になれば、あなたを悪用しようと企む者も出てくるでしょう。それでもわたしたちは、強力な防御結界を手に入れたい。このフラックス領の西門で、実験的に運用されている防御結界の魔法式は、維持する為の魔石が膨大な量になる。わたしは…いぇ、わたしたちは領民を守る結界が欲しい」
言葉を切ったセレナが、何かを躊躇った。鬱々と続く雨音に、深いため息が混じる。
「…決して悪用はさせない。非道を正す為にだけ、使うと誓います」
重い事情が窺えた。なぜかしら巻き込まれる不安を感じる。
『何があっても、ランカは守ります』
膝に飛び乗ったサポの念話が、ランカの緊張を宥めた。寝心地を確かめて丸くなったサポの頭を撫でる。
「師匠を信じます。目立たず穏やかに暮らせるなら、お手伝いさせてください…でも、けっこう目立ってしまいましたけど…」
サポがいても、ひとりでは生活できたかどうか自信はない。
(師匠が雇ってくれなかったら、今頃…)
魔法
「師匠、魔法陣学を教えてください。サンクチュアリの
曇り顏のセレナから、憂いが薄まってゆく。
「ありがとう。ランカ」
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