敬遠策と銭湯と。
夏とは違い気候が穏やかな春の甲子園は投手力勝負といわれている。
実際に本塁打数も夏の半分程度だ。もちろん試合数も少ないのもあるが、夏と違って運よりも実力のあるチームが出ることを考えるとやはり妥当といえる。
試合も中盤にさしかかって両者無得点。エース凪沢は冬の間のパワーアップの結果150km/h台のボールも投げられるようになり、もともとの制球力にさらにパワーを上乗せして来た。今の季節の高校生相手であれば十分。チェンジアップとの併用で面白いように凡打の山を築き上げる。7回まで散発の3安打のみ。長打すら許していない。
俺は間違いなく勝負してもらえない計算が高い。木製バットで参戦してハンデを進呈してますよとアピールしているものの、その木製バットを使い本塁打を打ちまくったのはしっかりとテレビ放送されているのだ。
どうせ全部敬遠四球なら1番打者でもやろうかな。足も遅い方ではないし。
一方、うちの打線はもしかして変則型投手に弱いのかもしれんと思いながら8回の第4打席を迎える。ただ「クセモノ」三原はこの試合3安打目。続く小囃子も意地の内野安打で無死2塁1塁。ラストチャンス。
俺が四球を選べば満塁。その後で犠牲フライか最悪併殺崩れでもいい。みんなで1点をもぎ取ってやる。とは言え、ここは俺も試しておきたい魔法がある。俺は後ろでミットを構える太知に「支援魔法」を送った。あくまでもバフである。
驚いた大神がタイムをかけ、太知のところへ行く。これまで3回の申告敬遠で観客席からさすがにブーイング。それに応えるかのように太知が座ってミットを構えたからだ。
そして、外に外れるはずの直球がストライクゾーンへ。俺は強引に打つ。ライト線方向のラインドライブ、いや、スタンド最前列に飛び込む。本塁打。大会第一号は3ランだった。
そして打たれた太知が呆然としていた。それもそのはず、俺が使った魔法は「勇者の覇気」。「怯え」状態を解除して強大な敵に立ち向かう「勇気」を与えるものだ。太知は魔法に「煽られ」俺から逃げるのをやめさせられたのだ。
「
凪沢は9回までしっかりと投げ切って完封。3対0で2回戦を無事に突破した。今回の場合、捕手である太知が主導権を完全に握っているバッテリーだからこそ通用した魔法だ。
解説者は試合の最後まで、最大のピンチで俺と勝負を選んだバッテリーの決断が理解できない、と言っていたらしい。恐らくいちばん理解できていないのは当の本人たちだろう。
でも前回の対決同様に魔法を使ってしまった。向こうも「敬遠策」を使ったんだから良いよね。恐らくこれからも続く「敬遠策」にどう対応するか、これも一つの手かもしれない。
試合後、俺は珍しくみんなに付き合って銭湯に行った。ホテルには大浴場がついていないからだ。ホテルから歩いて行ける距離で隣にコンビニもあるので便利だ。設備は古かったがお風呂が思いの外広くてよかった。やっぱり手足を伸ばして湯に浸かると日本人であることを実感する。時間が早めなのであまり混んでいないのも良かった。
「カラスの行水」派とゆっくりつかる派が半々。俺も料金分は入ろうと頑張ったがやっぱり無理。
「健さん。そういう時は水風呂に一回浸かると良いですよ。」
帯刀がアドバイスをくれた。なるほど、ってつかれるかい!
「そういう時は『500円玉』を落とした、って思いながら入るといいですよ。」
小囃子のアドバイス。なるほど、たしかに五十円玉だと諦めそうだもんな。
湯を堪能して出ると番台のおばちゃんが色紙を持って待ち構えていた。
「日本代表の沢村君でしょ?サインお願いできるかしら?」
「はいはい。良いですよ。」
すでにサイン慣れしてしまった。俺の姿になぜか他の部員が嬉しそう。
「あざっす。健さんがサインしてくれたら『フルーツ牛乳』半額だったんで良かった。」
「俺『コーヒー牛乳』の方が好きなんだが。」
「わかってないっすねぇ。」
「いや、普通にコーヒー牛乳も売ってるから良いじゃん。」
あー、懐かしい。前世の時は東京の下町に住んでいた母方の大伯母の家に連れていかれた時に行った銭湯を思い出す。俺にはお湯が熱すぎてずっと水を足す蛇口のそばから離れられずに笑われたよな。
牛乳ビンにかぶせられたセロハンを外しピンで紙の蓋をスッと外すと意外な顔で見られる。
「健さん銭湯初めてとか言ってませんでしたっけ?」
知ってるよ。コイツを飲む時は手を腰に当てなければならないことぐらいはな。
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