第7話 どうやら、隣の幼馴染お姉さんはサキュバスだったようです(前編)


 ミーンミンミンミン、ミーン。


「……あちぃ」


 残暑がまだまだ厳しい九月中旬。


 俺は高校に通い、カリンは相変わらず小学校を休んだ。それが日常になりつつある今日この頃。


 玄関を開けた際に“おっにぃちゃぁーん!”と飛び付いてくるのは、もはや過去の記憶。


 普段と変わらぬはずの学校帰り、ふとこんなことを思ってしまった。


 日常の切り替わり、それは今までの当たり前が過去へと移り変わるとき。


 今も昔も何ひとつ変わることなく大切な妹。大好きだ。……でも、正直な気持ちは“寂しい”。この三文字に尽きた。


「……そうだ!」


 またアイスでも買って帰ろう!


 食べ物に頼るのは良くないけど、これが俺とカリンの架け橋になるんだ!


 ……と言うかそれしかないかも。……いかんいかん。そんなことはないぞ!



 ──などと思ったことが、失敗だった。


 ◇◇◇


 ただ、アイスを買うだけ。

 そのつもりで寄ろうとしたコンビニ。そこで思わぬ人を見掛けてしまった。


 彼女はベンチに座りソフトクリームを食べていた。


 しかもその人は既に俺に気付いていたようで、手招きをしていた。「おいでおいで」と。


 横目に気付かぬ振りをするには十分な距離。


 夏場のこの時期、できることなら関わりたくない人だ。


 「すぅーーくぅーーん!」


 アウト。呼ばれてしまった。

 

 彼女は音霧おときり寧々ねねさん。家が隣で一つ上の幼馴染お姉さんだ。


 子供の頃は寧々姉ねねねぇなどと呼んでいたが、今となってはそんな親しくできる間柄にない。


 中学に上がると不思議と先輩になり、敬語を使うようになった。思春期あるあると言えばそれだ。


 そのため、一定の距離はある。


 はず、なのだが……。


 高校に上がり、大人の色気を放つようになってから、どうも様子がおかしい。


 渋々、呼ばれるがまま足を運ぶと「ほら、こーこ!」と、座るように指示された。


 ベンチをサッサと手で払い、どうぞと手でパンパン叩いた。


 は・や・く・す・わ・れ。

 そんな様子すらも感じ取れた。


 真っ白な肌に泣きぼくろ。清楚な色気を帯びつつも、制服の着崩し方はギャル。およそ校則から逸脱しているであろうスカートの丈が、これに拍車をかける。


 ……苦手なんだよなぁ。

 音霧さんのことは小さい頃から知っているため、急に色っぽくなられると困る。


 一言で表すなら、えっち。


 だからこそ、一定の距離を置きたい。心理的にも物理的にも。


 とは言えお隣さん。そして年上。歩んできた歴史が物語る。出くわした以上、逃げ場はない、と。


 渋々ベンチに座り、なんとなく会話は始まる。


「こんな時間に珍しいですね。受験勉強はどうしたんですか」


「サボっちゃった。ここに居たらスー君に会えるかなと思って」


 こういう冗談を当たり前に言ってくる人だ。

 普段この道を使わないことは、お隣さんならわかって然り。


 そしてサボってこんなところに居るということは、暇を持て余してる可能性『大』


 だとしたらまずい。どうにかしてこの場から去らねば。


「あ、じゃあ俺はこれで──」


「あー、ねえみてみてココ! 蚊に刺されてる!」


 そう言うと、たださえ短いスカートを僅かにめくり太ももを指差した。蚊に刺されの跡など……ない‼︎


「あ。勘違いだったぁ」


 身が持たない……。

 一秒でも早くこの場から立ち去らないと。


「ねえ、聞いてよお。受験勉強大変でさ〜。肩凝っちゃってしょうがないんだよぉ〜。んん〜っと」


 帰りたそうにする俺を尻目に音霧さんは話を続けた。


 肩に手を当て首を左右にコキっとする。凝ってるアピールをしつつも揺れるのは胸元。


 肩凝りの原因はそこだろう!


 などと、自然に視界を奪われてしまったところでハッとする。


「いや……あの、本当に俺、帰ら──」


「ってことで、肩揉みしてみよーう」


 そう言うとくるりと背中を向けた。


 汗で湿ったワイシャツからは、本来見えてはいけないものが僅かに透けてみえる。



「あの……俺、先を急いでる──」


「ねぇ〜え、女の子をいつまで待たせるのぉ? そういうの、悲しくなるんだよ。わかってる?」


 振り返り切な顔をしてみせる音霧さんの目は確信的。暇を持て余してるせいか、普段のグイグイ具合とは段違い。


 帰りたいの意思表示さえも満足にさせてもらえない……。


 ……逃げ場は……ない。



「じゃあ三分だけですよ。早く家に帰らなきゃいけないので」


「よろしい!」


 まだまだ残暑の厳しい炎天下……音霧さんの体は汗で火照っていた。


 肩を触れば手が湿る。


 年上女子特有の甘くも優しさに包まれた匂いと言うのだろうか。むんむんもあもあと充満している。


 これは男をダメにする匂いだ。


 でも屈しない。平然を装う。


 だから揉む。肩を揉む。

 これは単なるご近所付き合い。……たぶん。


 “もみもみもみもみもみもみ”


「そうそこ。もっとぐりぐり押して。……いいかも。あぁ、いい。……もっとして」


「へ、変な声出さないでくださいよ!」


「うん? 変な声ってなぁに? いいから続けなさーい。凝っちゃってさぁ。どうしてこんなに肩凝りひどいんだろぉ」


 結局、ただの肩揉みでは終わらない。

 これは俺をからかうための、お遊びのための肩揉み。


「そんなに凝ってるなら整体にでもいってください」


「あー。ほら、まだ三分経ってないよ?」


「わかりましたよ……」


 “もみもみもみもみもみもみ”


「あぁ……いい。そこっ。……んぅっ」


 絶対わざとやってるだろ!

 ……とは、言えるわけもなく。素直にからかわれるのが俺の選択肢。


 “もみもみもみもみもみもみ”


 ◇

「はい。三分経ちましたから。俺はもう行きますね。カリンが待ってるので」


 カリンは俺のことなど待っていない。

 普段のノリで言った後に、妙な切なさに苛まれた。


「じゃあ延長するぅ。スー君続けて。ほら、整体師さんはやくぅ〜!」


「当店は完全予約制。延長は承っておりません」


「閉店ガラガラ?」

「はい」


「なら仕方ない。今日はそういうことにしといてあげるっ」


 そう言うとベンチから立ち上がり、スカートを払った。


「じゃあ〜ご褒美にアイスを一口あげましょーう」


「い、いらないから!」


 食べ掛けのアイスを俺の口元にフイッと差し出してきた。……いや、ほんとに……困る。


「ふふっ。そっか。美味しいのに」


 そう言うと視線をこちらに向けたまま、上目遣いにアイスをぺろり。


 ……卑猥だ。


 音霧さん。いや寧々姉はこんなことをする人じゃなかったのに。


 この後、いったいどんなからかわれ方をするのかと、内心どんよりしていると意外にも終了の一声が掛かった。


「よし、と。じゃあ帰ろっか」

「あ。はい! そうですね!」


 ホッとした瞬間だった。のも束の間。


「うん。すー君家にね!」


「はい?」


「久々にカリンちゃんと遊んで癒されたくなっちゃった。まだあれやってるの? 邪神龍ごっこ」


「やってると言えばやってますけど、ちょっと変わってしまったと言うか」


 さすがに今のカリンと合わせるのはまずいだろ。全力で断らないと。


「じゃ、早くいこっ」

「いや、またの機会に。今日はちょっと」


「ほら行くよ〜すー君」


 って、聞いてないし!


「ほんとにダメだって!」

「はいはいわかったからぁ〜」


 このわかったは絶対わかってないやつ!


 家までの道のり「来ないでください」と何度お願いしても「わかったよぉ〜」と、来る気満々の返事がかえってくるだけ。


 そうして、当たり前のようにうちの玄関を跨いだ。


 〝ガチャン〟


 とは言え、冷静に考えるとカリンはどうせ自分の部屋。ご飯のときくらいしか降りて来ないから。


 寝てるってことにしてしまおう。


 って思ってたのに、どうしてこんな時に限って……。


 玄関の先にカリンは……居た。

 手には神話系の書物。ちょうど図書館の帰りのようだった。


「おかえ……り?」


 おそらくあの日以来、初めてカリンに言われるおかえりだった。のに、最後の“り”を発する際に疑問符が付くように首を傾げた。


 あぁ。久々のカリンの“お兄ちゃんおかえり”だったのに……くぅ。


 そんな俺の心境など、誰も知る由はなく。音霧さんはいつものノリでカリンに話しかけた。


「おっひさぁ! カリンちゃん!」


「え。誰? ……この女」


「あれれ。忘れちゃったのかな? それならっ、めがりゅうし〜、スッペシャルぅぅー」


 音霧さんがカリンの大好きだった邪神龍ごっこをやり始めた時だった。


「黙れ。帰れ」


  ((……え?))


 いわゆる心の声というやつだろうか。音霧さんとシンパシーした気がした。


 ハッと勢いよく俺のほうを振り返った。


「す、スー君これどういうこと? カリンちゃんどうしちゃったの?」


「いや、だからこれは。なんというか。だから……来て欲しくなかったと言いますか」


 どうしちゃったのと言われると、言葉にならない。正直、俺も驚いているところだ。

 しどもどする俺の様子を察したのか、カリンが口を開いた。


「ふーん。お兄ちゃんさ、わたしがこの家に居るの知ってて、よくこんなことに至れるね?」


「こんなことって、え?」


 何故か俺に対して怒っているようだった。

 と、思うもカリンは腕を組んでゲフンとしている。絶対怒ってるやつだった。


「言い訳は聞きたくない。わたしが居るのに女連れ込んで。なに考えてるの? わたしはなに? 女に見えないって言うの?」


「あ、いや……これは……その」


 謎の修羅場っぽい展開になってしまった。


「スー君。わたし帰るよ。カリンちゃんはとんでもないブラコンになってしまったぁ。しくしく」


 しくしくって言葉にしちゃうあたり、言うほど気にはしてなさそうだ。


「だからスー君とか変な名前で呼ぶな。そして帰れ。二度と来るな!」


「カリン‼︎」


 これはさすがに兄として、注意せざるを得ない。


「いいの。今日のところは帰るから。ぐすん」


 ぐすんとか言葉にしてるから大丈夫そうだな。


 音霧さんで良かったとは思うも、カリンのこの言動は兄として甘やかしていい場面ではない。



 ガチャンッ。


 音霧さんが帰ると、カリンは安堵のため息をひとつついた。


「あいつからはサキュバスの卑しい匂いがする。お兄ちゃん気をつけたほうがいいよ」


 さ、サキュバス?

 俺は耳を疑ってしまった。


「カリン。さすがにこれはお兄ちゃんだって怒るぞ? 隣に住んでる音霧寧々さん。思い出せないか?」


「うん……居た……かも。結構良くしてもらってたかもしれない。まさか隣の家にサキュバスが住んでいたなんて。世の中不思議なこともあるんだね」


「カリン! そうじゃないだろ。こういう時はどうするだっけ?」


「ど、どうするって?」


 本気でわかっていない様子だった。


「ごめんなさいするんだろ」


「ご、ごめんなさいだと? 異世界を救った、英雄の、このわたしが? サキュバス如きに?」


 そうだと言いたいけど。

 やっぱりな、カリンは俺の大好きな可愛い妹だ。甘やかしてなにが悪い。ちゃんと落とし所も用意してあげないと。


 特に今は……。


「ごめんなさいするなら、帰りにパフェを食べに行こうと思ってる。それでどうだ!」


「……このわたしを買収とはな。いい度胸をしている。さすがお兄ちゃん」


「ダメか?」


「……いく」


 とは言うも納得した表情ではなかった。

 パフェ欲しさに謝りにいくわけではない。そんな様子が感じ取れる。


 無理をさせちゃってるのかな……。

 でもなぁ、こればかりは……。

 こうやって他所様に厨二病的攻撃を当たり前にするのだけは、良いことではない。


 だけど、まだ九歳。……難しいよなぁ。それでも、カリンの気持ちを汲んであげたい。


 悪気があるようには見えなかったから。


「世間体とか御近所付き合いとかな。難しいかもしれないけど色々あるんだよ。サキュバスからお兄ちゃんを守りたくての行動だとわかってるけど。ごめんなカリン」


「お兄ちゃんが謝ることじゃないよ。わたしの言い方が悪かった。世間体ね。子供じゃないからわかるよ。あるんだよね。そういうしがらみが」


「お、おう。そうだぞ!」


 俺は目をパチクリしてしまった。


 度々思う。九歳って、こんなにも大人びてるものなのか……?


 大きくなったら哲学者にでもなったりして。

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