第2話 妹が異世界帰りを自称しました


 九月。新学期初日の朝、事件は起こった。


 カリンが学校には行かないと言い出した。


 行きたくないとか休むとか、はたまた仮病を使うわけでもなく断固たる意志として「行かない」そう、言い出したんだ。


 ◇

「カリン。それはいくらお兄ちゃんと言えど、はいそれと聞けないぞ?」


「そっか。少しお兄ちゃんのことを侮ってた。ただ甘やかしてくれるだけの、優しい人だと思ってたのに」

 

 カリンはベッドから起き上がろうともせず、横になりながらため息混じりに言った。


 部屋には『神話系』の書物が至る所に転がっている……。


 ほんとに変わってしまった。

 これが厨二病ってやつなのだろうか。


「それはカリンのことが大切だからだぞ? ただ甘やかすだけが優しさとは限らないんだ」


 俺はいったい、九歳相手に何を言っているのか。


「うん知ってる。お兄ちゃんわたしのこと大好きだからね。でもね、大切に思うからこそ、踏み込んでほしくない一線っていうのがあるの。わかってくれないかな?」


 妙に艶っぽかった。

 そして、言葉遣いも大人びている。


 これが図書館に通い詰め「神話系」の書物を読み漁った成果なのか。


 カルシウムとかマグネシウムとか言ってた頃とは大違いだ。


 俺が知る限り、カリンはいつも楽しそうに学校に行っていた。学校での話もたくさん聞かされた。


 あの夏祭りの日を境に、俺とカリンはあまり話さなくなった。俺からは何度も話しかけたけど、その都度素っ気なくされてしまったためだ。


 やはり兄離れかと思うと、それ以上深くは突っ込めなかった。


 そのツケとも言うのだろうか。


 夏休み、時間はたくさんあった。

 いくらでも話す機会だってあったというのに。


 俺は何もできなかった。いや、しなかった。


 嫌われるのが怖くて、距離を置いてしまったんだ。


 その結果、新学期初日の朝。

 この土壇場で、カリンは学校へは行かないと言い出した。


 ◇

 話は平行線を辿った。

 学校には行かないと言うだけのカリン。それはダメだと言う俺。


 そしてついに、カリンは本当のことを話すから落ち着いて聞いてほしいと言った。


 ゴクリ。俺は生唾を飲み込んだ。

 虐めか、嫌がらせか。はたまた喧嘩か。

 カリンが何かしらの事情を抱えていることは明白だった。


 兄として、何ができるのか。

 どこまでしてしまっていいのか。初めてのことで戸惑いを隠せない。


 それでも、カリンの笑顔を守りたい。

 その気持ちだけは揺るがず変わらず、ずっと胸の中にある。


 大丈夫だよカリン。お兄ちゃんがついてる!


 頑なにベッドから起き上がらず、ゴロゴロしていたカリンがついに起き上がった。


「ふぁ〜あ。……はぁ」


 大きなあくびをつくと、ため息を一つ。


 そして、左手で右手首を抑えると覚悟を決めたのか神妙な面持ちに変わり、静かに口を開いた。


「お兄ちゃん。わたしの右手にはね、邪神龍が眠ってるの」


 俺は言葉を失った。

 真面目な話をしていたはずだ。それがここにきて、まさかの厨二病。


 でも、カリンの表情はとても切なそうな顔をしていた。それとは別に申し訳なさそうな雰囲気も漂っていた。


 その右手に邪神龍が眠っていると言う事・・・に後ろめたい気持ちがあるのだろう。



 あの日、夏祭りの日、涙を流していた。


 カリンの心のうちに一歩、踏み込めたであろう場面。


 それを、俺は怖い夢と決めつけた。


 あの時、あの瞬間、悩みを聞こうともしなかった俺に、今、カリンを問い詰める資格があるのだろうか。


 きっと、色々と溜め込んでしまったんだ。


 あの出来事が、最悪な形となって今を紡いだ。


 今はただ、カリンの気持ちを汲んであげよう。それくらいしか……。


「そ、そうだったのか。昔から言ってたもんな。右手に邪神龍が眠ってるって」


 少し噛んでしまった。

 もっと上手いことを言わなければいけないのに、言葉が出てこない。


「違う。そうじゃない。此処とは別の世界。異世界に召喚されて、色々・・あって右手に邪神龍を封印してこの世界に戻って来たの。今までお遊びで言ってた邪神龍とは根本的に違う」


 じっと俺の目を見つめてきた。

 その目からは嘘など微塵も感じさせない、確かな真実だけが映し出されていた。


 なんとなくそんな気はしていたんだ。

 そういう設定でいくんだろうなとは思っていた。


 そうか。異世界帰りを自称するんだね。


 いいよ。お兄ちゃんはその設定、受け入れるよ。カリンがそれで、少しでも笑顔を取り戻してくれるのなら。


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