世界一可愛い俺の妹(小学三年生)が『異世界帰り』を自称した。そして右手に『ドラゴン』が眠っているとまで言い出した。……う、うん。中二病に目覚めちゃったかな? 兄として、そっと寄り添ってあげよう

おひるね

第1話 かるしうむびーむ!


 目の前の少女は両腕をクロスさせ、十字を作る。その瞳は自信に満ち溢れ、勝利を確信するものだった。


 これは最初から勝敗の決した戦い。


 此処は戦場。命のやり取り──。


 ……ではなく、我が家のリビングでの一コマ。


「くらえ! おっにいちゃん! スッペシャル超電磁ぃぃカルシウムぅぅ邪神龍ビィィーム!」


 俺、音坂スバルの可愛い可愛い妹、音坂カリンの必殺技が炸裂した瞬間だった。


 小学三年生のカリンと高校二年生の俺。

 戦う前から……勝敗は決している! ここだけは何ひとつブレない。


 カリンは閉じた唇から大きく息を吐き出し「ぶるぶるぶるぶるぶるぶる……」と可愛く効果音まで演出した。


 俺が取るべき行動はただひとつ。


「ぐはぁ、やーらーれーたー!」


 派手にやられる! ソファーにダイブ!


「えへへ。かりんつおい! さいきょー!」


 握った拳をえいえいっとして右手を上げる。可愛い可愛い勝利ポーズだ。


 と、次の瞬間、カリンもダイブ。

 俺が倒れ込むソファーへとお腹めがけて躊躇なくダイブ!


「えーい! おにいちゃんすきぃ!」


 これはさすがに痛いぞ……。

 とは思うも、楽しそうにするカリンの姿の前では些細なこと。


「おにいちゃんもカリンのこと好きだぞ〜。こちょこちょしてやる!」


「あっ、そ、それはだめー!」


 最強を自負する妹もくすぐりにはめっぽう弱かったりもする。


 そんな、ありふれた──夏休みを自宅のリビングで過ごす兄妹のひととき。



 築十年。5LDKの一軒家に俺とカリンは二人で暮らしている。

 妹はまだ九歳。寂しいこともあるはずなのに、それを誰かに見せることはない。


 俺が父親と母親の代わりになれるとは思っていない。でも、カリンの笑顔だけは何があっても守りたいと思っている──。




 +++


 さてと。邪神龍ごっこも一区切りついたことだし。


「じゃあお兄ちゃんは夕飯の買い出しに行ってくるから、いい子にお留守番してるんだぞ?」


「かりんもいくー!」

「おっ? さっきは暑いから行かないって言ってなかったか?」


「ふふん。おにいちゃんよわっちいから、ひとりじゃ、しんぱい! かりんのみぎてにねむる邪神龍でまもってあげないと!」


 なんとも健気で優しい妹だ。

 今日は少し、オーバーにやられ過ぎたかな? ……今後は気をつけないとな。


「そしたらカンカン帽を被って来なさい。外は日差しが強いからな」

「うん。かんかんぼうかぶるー! ごーごーおにいちゃん! おかしはみっつまでだ!」


「ふたっつまでだろ?」


「やだあ! みっつ! このみぎてでまもってあげるんだから、いーのー!」


 そう言うとフッとし右手を見せつけてきた。


 昔から魔法少女や美少女戦隊が好きでよく真似ていた。けど、ここ最近は空前の邪神龍ブーム。ちょっと、厨二病っぽいんだよなぁ。


 とは思うも、まだ九歳。


 ま。いっか!


 なんて。思っていた夏休みも中盤に差し掛かったある日。


 この日はカリンが楽しみにしていた夏祭りの日だった。

 お目当は屋台で売られる『りんご飴』『わたあめ』『バナナチョコ』


 しかし楽しみにするあまり、昨晩は遠足気分さながらに夜更かしをしてしまったんだ。すっかり寝不足で眠気まなこな妹には、強制お昼寝命令を下した。


 最初は「おまつりいくんだー!」って駄々をこねられたけど、やはり眠かったのだろう。すぐにぐーすか寝てしまった。


 だがそれは、昼前の話だ。


 夕方になったというのに起きてこない。

 さすがに寝過ぎだと思い、カリンの部屋を覗くと──。


 既に起きていてベッドの上で呆然としていた。


 ははーん。寝ぼけてるな? と、思ったけど様子が変だった。


 よく見ると瞳からは涙が流れていて、頬を伝い続けている。

 拭こうともせず、ただ流れては落ちていくだけ。


 明らかに様子がおかしかった。


「どうしたカリン? 夏祭り行かないのか?」


 声を掛けるも気づく様子はない。まるで放心状態のようだった。


「おい、カリン? 大丈夫か?」


 肩を揺らすと、意識が戻ったのか驚いた表情で俺を見た。


「お兄……ちゃん?」


 何故か言い方が、とてもよそよそしかった。


「そうだ。お兄ちゃんだぞ! 怖い夢でも見ちゃったか?」


 するとカリンの表情はたちまち険しさに包まれた。


「……夢? あははは。夢なら……どれだけ幸せなことか」


 ん? んんん?

 なんだこれ。新しい設定が始まったのか?


 妙に口調が大人っぽいが……。


 それなら。


「ふっふっふ。よくぞ夢より舞い戻った! 待っていたぞ。この地で、姫の帰還を! 右手に眠りし邪神龍の力、披露してみせよ!」


 と、まぁ。こんな感じかな?


「う……そ? え。誰? お兄ちゃんじゃないの? まさか、この世界までも?」


 慌てて壁際に背を向けると、俺を警戒しだした。


 うん。これは完全に寝ぼけているな。


「うそうそ。冗談! 夢の続きを演じてみた的な? なんかそれっぽい夢見てたんだろ?」


 直後、カリンの瞳孔が広がった。


「ふざ……けるな‼︎ やっていいことと悪いことの分別もつかないのか‼︎ 愚かなノーマルヒューマンが‼︎ 出て行け!」


 その言葉は真に迫るものがあった。

 俺は一歩、無意識に後ずさってしまった。


「ど、どうしたカリン……?」


「あ……。……ごめんお兄ちゃん。そうだよね。いつも一緒に遊んでくれてたもんね。異世界ごっこの続きだったんだよね。……少し寝ぼけてたみたい」


 うんうん。

 とんでもない悪夢を見ていたんだろうな。


「ほら、カリン。怖くないよ。お兄ちゃんが側に居るからな。怖くなーい。怖くなーい」


 俺はカリンを抱き寄せた。

 その体は酷く震えていて、どれだけ深い悪夢にうなされていたのか、想像に容易いほどだった。


「お兄ちゃん……お兄ちゃんだ……懐かしいな。本当にお兄ちゃんなんだ」


 背中をトントンと暫く叩いてやると、落ち着きを取り戻したのか、気付くとカリンの涙は止まっていた。


「よしっ。じゃあ行こうか。カリンが楽しみにしてた夏祭りだぞ〜? 特別にわたあめふたっつ買っちゃおう!」


「……ううん。今日はやめとく。ありがとうねお兄ちゃん。すごく温かかったよ」


 涙は止まったと言うのに、とても切ない顔をしていた。いつだってニコニコと笑顔を絶やすことのなかったカリン。それが今、こんなにも……。


 本当に、どうしたって言うんだよ。


「どうしたぁ、カリン? あんず飴もバナナチョコもふたっつ買っちゃおうか! 今日だけ特別だぞ〜?」


「ごめんね。いま、そんな気分じゃないんだ。少し、ひとりにさせてもらっていいかな?」


「お、おう。そうか。気が変わったらいつでも言えよ。お兄ちゃんはリビングに居るから」


「わたしは行かないよ。今からでも間に合うなら、お兄ちゃんは友達との予定を優先して。いつもわたしのためにありがとう。これからはもう、大丈夫だから」


 あれ?

 あれれ?

 なんだよ、これ?


 その日からカリンは塞ぎ込むように、部屋からはあまり出てこなくなった。


 俺はリビングにひとりで過ごす時間が多くなった。

 



 +++


 食べることが大好きなカリン。しかし度々、ご飯の時間に遅れて来るようになった。そんなときは決まって──。


「そっか。この体だと、食べないと活動できないんだった」


 こんなことをぼやいたり。


「また、十時間も寝てしまった。なんて不便な体なんだ……」


 とか。


「やはりこの世界にマナは存在しない……。じゃあわたしはいったい、どうしたら…………」


 とか。自分ワールドを形成し始めていた。


 図書館にも通っているようで不思議な書物を借りてくる。玄関でチラッと見た限りタイトルは『神話系』


 ……うん。どうやらうちの妹は、ガチ・・厨二病・・・に目覚めてしまったらしい。


 メガ粒子がどうとかカルシウムがなんたらとか、言っていた頃が懐かしい。

 ていうかカルシウムってなんだよな。はははっ。はははは…………。


 お兄ちゃんお兄ちゃんってうるさいくらい、ついてきてたのに。

 外に出れば俺のズボンの端をギュって握って離さなかったのに。


 隣にいつも居たんだよ。


 なのに……。


 もう、隣にカリンの姿はない。


 リビングの大きなTVでアニメを観る、その姿もない。


 仲良く並んで歯磨きをする姿も、ない。


 ない。ない。ない。……なにも、ない。


 ひとつ屋根の下に住んでいるのに、顔を合わせる機会は数えるほどになってしまった……。


 これが、兄離れというやつなのだろうか。

 大人の階段を登ってしまったのだろうか。


 ……どうして。


 ……なんで。


 切なさだけが、ただただ心に染みわたる。


 そんな、高二の夏休み──。

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